第9話 穴
瞑っていた目を開き、自分の身体の状態を確かめる。吹き抜けるように強烈な魔力を浴びたが、何ともなっていないようだ。ガキのほうも、驚いて身を竦ませているだけのようで、胸を撫で下ろす。
「今の、何だったんだろ…うわぁ!」
ガキが立っていた大扉が、何の前触れもなく左右にすこんと開いた。足場を無くしたガキが落ちてきて、くるりと着地する。
「親父さんの言ってたとおりだな」
腕輪の形をした鍵が開いた新たな道の先は、椀を伏せたような半球の広間だった。
◇
扉の奥に踏み入って中を観察する。
金属製の壁と天井には光る管が走っていて広間を照らしているのは、これまでと同様。広間の床と天井の真ん中には丸い大穴が開いており、その中心には半透明の柱が貫くように屹立している。穴の縁からは何箇所か金網の足場が伸びており、その柱まで歩いて近づくことができるようになっていた。
穴を覗き込んでみるが、随分と深いようで真っ暗だ。かすかに潮の香りを感じるのは気のせいだろうか。
まずは重要そうなその柱を調べてみることにする。
「何だろうな、これ」
近づいてから気づいたが、柱だと思っていたものは中空の筒だった。表面にはびっしりと細やかな文様が彫り込まれていて、その線の上を小さな光点が走り回っている。
ガキが軋む金網を不安そうに踏みながら、俺に遅れて歩いてきた。
「たぶん、昇降機だよ」
ガキによると、過去に帝国本国の遺跡で似たようなものが発見されているらしい。ここまで大きなものではなかったため、無理やり丸ごと掘り出してから修復し、城かどこかで使われているそうだ。
神代の技術との出会いに、大いに気持ちが高まるが…これも動かし方がわからない。表面の文様を指でつつくと波紋のように光が広がる。これは扉に比べて随分と精巧な造りのようだ。あまり乱暴なことは試せそうにない。ガキも腕輪を使って色々試しているが、成果はなさそうだ。
顎に手を当て考え込むガキに声をかける。
「とりあえず、ここでちょっと休憩するか」
◇
少しひんやりとする床に腰を下ろし、部屋の中央にある神代の装置をぼんやりと眺める。遠目に見ても細かい文様は判別できないが、かすかに脈動する光点の群れがさざ波のように行き交っている幻想的な光景だ。閉ざされた遺跡の奥、神代の人間を除けば、この光景を味わうことができるのは俺たち二人だけ。…何となく、冒険者の楽しさがわかってきた気がする。
隣を見れば、膝を抱いたガキも目をきらきらとさせている。大事に残していた干し葡萄を分けてやり、立ち上がった。
「そろそろ行くか」
ガキの背嚢から黒いマントを引っ張り出す。この先、また蜥蜴人間と出くわしたときに一瞬でも仲間と勘違いしてくれないかという淡い期待だ。それを見てガキも寸法の合わないマントを羽織る。四本指の手袋も無理矢理装着するようだ。
お互い準備が整ったようなので、部屋の真ん中の穴に向かう。天井にも穴が空いているが、目指すのはさらなる地下だ。さっき感じた潮の香りを信じるならば、この先は海に繋がっているはず。蜥蜴人間が使うための神代の舟でも見つかれば…というのは、流石に都合が良すぎる考えだろうか。
半ば思い出づくりの遺跡探索ではあるが、脱出の可能性を諦めたくはないのだ。
◇
「おい、あんまり先に行くな」
調子よく壁を歩いていくガキのほうを見下ろして声を張る。こういった場面ではガキには敵わない。
相変わらず、魔獣などの気配はない。この状況で襲われたら対処は困難なので助かる。代わりに、足元のほうからかすかに波音が聞こえ始めた。潮の香りがしたように感じたのは、勘違いではなかったようだ。
先ほどまでより少し速度を上げて、壁を降りていく。
穴のあまりの深さに不安を覚え始めた頃、ようやく波立つ水面が目に入った。ここの水はただの海水のようだ。これ以上下ることはできないので、壁面に沿って横に移動を始める。
下りてきた位置とは逆のあたりまで来たとき、また金網に塞がれた丸い通路を発見した。金網を外して海面にぼちゃんと投げ捨て、通路の入口をくぐる。
通路に極端な傾斜はないが、天井が低いので歩きにくいのには変わりはない。中腰の姿勢のまま、念のため剣も抜いておいて進む。
◇
「む…」
腰の負担が辛くなってきたころ、前方から何かが接近する気配。床ではなく天井を這ってくるようだ。ガキに合図して下がらせる。脇道もない通路なので、会敵は必至。敵には気づかれてしまうだろうが、ランタンの光を強める。
突然の強い光に身を竦ませるのは、逆さまに張りつく黒い蜥蜴のような生物。大きさは赤子程度。
「サラマンダー!…でも、体色が変」
帝国のほうに生息する生物なのか、ガキは知っているらしい。よく見ると、蜥蜴とは異なりぶよぶよとした皮膚に覆われている。イモリみたいなやつだ。爪も牙もなく、表皮も柔らかそうで、あまり強そうには見えない。
気をつけて、の声を背に距離を詰める。混乱しているうちに仕留めようと思ったが間に合わなかった。小さい身体に見合わぬ戦意を見せて果敢に飛びかかってくる。
見え見えの動きだったので、後ろに引いて難なく躱す。べちゃりと床に腹を打ちつけたイモリの頭を踏みつけて、切っ先を首筋に差し込んだ。
「ぎっ!」
変な声を出してしまったのは俺のほうだ。全身を貫いた衝撃に剣を取り落す。後方に転がり距離をとるが、イモリはすでに絶命していて、追撃はなかった。
「何だ、今の…」
未知の攻撃の影響を確認するべく身体を動かしてみるが、少し痺れが残る程度で大事はないようだ。
剣を拾い上げているところに、ガキが心配そうに歩み寄ってくる。
「たぶん、雷だよ」
火花が走ったのが見えたとのこと。サラマンダーは火を吐くはずなんだけど…と続けるガキ。どうやら変種だったらしい。弱そうな見た目で甘く見ていたが、初めて出会う魔術を使う魔獣だった。
アリサが雷術を使うのは目にしてきたが、雷に打たれるとこんな風になるのか…
「なるほど、厄介だな…」
この先、またこいつが出てくるようなら剣では戦えない。拾った曲刀を鞘に納め、腰に提げた革袋の中の鉄球を数える。
◇
その後も散発的にサラマンダーとやらの襲撃を受けるが、いずれも一匹ずつだったので鉄球の先制攻撃で難なく退けていく。まとめて来られると投擲が追いつかないところだった。
変種とのことなので、素材を剥ぎ取れば金になりそうだが、狭い通路であまり同じところに留まりたくない。最初の一匹を丸ごとガキの背嚢に押し込んだだけで、あとは捨て置いている。余裕があれば、帰りに回収するつもりだ。
そうして進んでいると、やがて球形の小部屋のような空間に辿り着いた。左右には、これまでの通路よりも狭い穴が一つずつ。正面には一回り大きな穴が開いており、風の流れからすると、こちらは先でさらにいくつもに分岐しているようだ。
…これまでの道程から一転、いきなり複雑な構造になったものだ。
久々に伸ばした腰の後ろを叩きつつ、ガキに軽口をきく。
「冒険らしくなってきたな」
にっと笑い返すガキ。
何の手がかりもないので、まずは左の狭い穴に向かって四つん這いで潜り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます