第10話 蜥蜴とイモリ

 四つん這いの膝が限界を迎える前に通路の果てに辿りついた。行き止まりの床には、また金網で塞がれた穴がある。下の空間も例の光る管で照らされているらしく、天井に格子模様の影をつくっている。

 ここも動くものの気配はないので、金網を外して飛び降りる。降りた先は、この遺跡に入って初めての矩形の部屋。高い棚が規則的に並んでいるところを見ると、倉庫のようだ。球形の部屋が好きなやつらでも、倉庫はこんな構造にするらしい。


「お宝がいっぱい!」


 目を輝かすガキの言うとおり、どの棚にも木とも金属とも判断がつかない素材の箱がぎっしりと収められている。本当にお宝かどうか確認するため、手近な棚から箱を下ろして開けてみることにした。


「さて、結構重かったが…」


 期待に胸を膨らませ、蓋を持ち上げる。と、中を見る前にガキが鼻を押さえて悶絶した。俺も吐き気をこらえて慌てて蓋を閉め直す。…くっさいぞ、これ!


「何が入ってたの…?」


 涙目のガキが起き上がってきた。俺は未だ漂う臭気を風術で散らしながら説明する。


「肉だな、たぶん…」


 隙間からちらりと見えたのは薄桃色の肉片。蓋のぎりぎりまでぎっしりと詰まっていた。目に染みるほどの悪臭は、ただの腐敗臭とは思えない。何の肉なのか、どういう処理をしたのか、料理好きの俺でも想像がつかない謎の挽肉だ。

 カップを取り出し、二人で何度もうがいする。


 箱を棚に戻し、あらためて辺りを見回す。ここにある箱、全部あの肉なんだろうか。…そういえば、この部屋は今までの場所より心なしか気温が低いように感じる。倉庫というよりは、肉の貯蔵庫なのかもしれない。

 お宝を期待していただけに、落胆は大きい。強いて言えば、あの地獄のような悪臭を完全に遮断できる箱には値打ちがあるのかもしれないが…だからといって、中身を取り出してきれいに洗う、なんてのは勘弁して欲しい。


「一応、全部確認しておくか…」


     ◇


 ガキと手分けして、棚の合間を歩き回る。箱の側面に描かれた文様はどれも同じだ。軽く持ち上げてみるが、重量感は最初の箱と変わらない。おそらく中身も同じだろう。

 ガキはお宝を諦めきれないのか、ときどき箱を開けてしまっているようだ。離れたところから、えずく声が聞こえて笑ってしまう。


 無為な散策を続けて部屋の奥に辿りついてみれば、上階で通ってきたものと同じ大扉がそびえ立っていた。扉の上に赤いプレートがあるのも同じ。ほどなくして、別の経路を辿ってきたガキも追いついてくる。


「僕の出番かな」


 袖をまくり上げて腕輪を見せるガキ。頷いてやると、意気揚々と扉に足をかける。役目があるのが嬉しいらしい。

 そういえば、俺が腕輪を着けていても開けられるのか試してもよかったかな、などと考えていると、また閃光とともに魔力が放たれた。今度の扉は随分とせっかちだな、と呑気に構えていたが、はっと気づく。…魔力が放たれたのは扉の反対側だ!


 ガキの襟首を引っ掴んで棚の裏に隠れる。ガキは首が締まったことに抗議しようとしたようだが、俺の真剣な表情を見て口をつぐむ。

 ほどなくして、すこんと大扉が開く。姿を見せたのは、大箱が載った台車を押す一匹の蜥蜴人間だった。息を殺す俺たちに気づくことなく部屋の奥に進んでいく。ガキにはここに留まるよう合図を出し、細心の注意を払って後を追った。


 目的の場所らしい棚に辿りついた蜥蜴人間は、箱を引っ張り出して中身を台車に移し始めた。匂いは平気なようだが、あまり腕力がないらしく苦労している。

 作業を終えた蜥蜴人間は、同じルートを通って部屋から出ていった。ごろごろと車輪が転がる音が遠ざかり、やがて扉がまたすこんと閉まる。


「あいつら、あれ食べてるのかな…」


 顔をしかめるガキ。俺も想像しただけで気分が悪くなるが…

 大扉のほうに戻ろうとするガキを引き留めて告げた。


「一旦、小部屋まで戻ろうぜ」


     ◇


 またも四つん這いの情けない格好で球形の小部屋まで引き返す。大扉の向こうが気になっていたらしいガキが尋ねてきた。


「どうして戻ってきたの?それに、さっきのやつ倒してもよかったんじゃない?」


 隠れたこと自体は咄嗟のことだったが、あいつに手を出さずに引き返してきたのには一応理由がある。これまで蜥蜴人間に出会ったのは、いずれも平らな床の場所だ。それがやつらの活動領域なのだろう。おそらく、管のように丸い通路は本来やつらが行き来する場所ではないので、イモリにさえ気をつければ安全地帯と見なしていいと思われる。

 さっきの扉の先も平らな床だった。蜥蜴人間は一匹程度ならどうにでも料理できる相手だが、束で向かって来られるとまずい。環状の廊下にあった居室らしき扉の数を考えると、蜥蜴人間はまだまだ何処かにいるはずだ。大扉の先には群れを成して歩き回っている可能性がある。どこか他にも居室の階層があるのなら、なおさらだ。

 他に進むべき道がないのなら正面切って戦うのも止むを得ないが、今はまだ未調査の道がある。…というような事をつらつらと説明してやると、いたく感心したようにもじゃもじゃ頭が揺らされた。


「冒険者って、そんなに色々考えるんだね。強いだけじゃだめなんだ…」


 そこまで感心することではないと思うが…

 他のやつらは腕っぷしで道を切り拓くのかもしれないが、俺はなけなしの知恵を絞り出してどうにかするしかないのだ。

 べつに口に出すことでもないので、格好をつけておく。


「冒険者は視野が広くて機転が利くやつが一番成功するんだよ」


 いつぞやのロディ先輩の受け売りだ。


     ◇


 次に向かうのは右の狭い穴。左の穴とほぼ同じ距離で行き止まりに行き着く。床に金網があるのも同じだが…こちらには動くものの気配がある。金網を外して音を立てるわけにはいかないので、頬を床につけて下の様子を覗き込んだ。


「これは気持ち悪いな…」


 思わず率直な感想がこぼれ出た。下の空間では蜥蜴人間たちが何やら忙しそうに動き回っている。見える範囲でも十匹以上。

 しかし、不気味なのは深く掘り込まれたような床の一部のほうだ。到底数えきれないほどの黒いものが堀の底でぬらぬらとひしめき合っている。距離があるので個々の判別はできないが、色合いからしておそらくは、あのイモリ。ときおり火花が散っているのはイモリが放つ雷だろう。…視野の外まで広がっている堀、イモリの総数は如何ほどなのか。これまでに出会ったイモリはここから逃げ出したものだろう。

 蜥蜴人間たちは何やら荷物を運んだり網でイモリを掬ったりしている。と、視界の端で箱のようなものを運んでいた蜥蜴人間が、箱の中身を堀のなかにぶちまけた。黒々としたイモリの塊にびちゃびちゃと降り注ぐのは、気持ちの悪い薄桃色の肉片。…あれはこいつらの餌だったのか。

 堀の内壁には脈動する管がびっしりと張り巡らされていて、何かを吸い上げるように蠢いている。明かりのための光る管とは異なり、生物由来の素材で作られているようだ。


 死角には扉や他のものなどもあるのだろうが、ここに降りていくのはなしだろう。ガキに合図して後ろ向きで元来た道を戻る。


     ◇


 小部屋に戻って早々、俺が見たものを尋ねるガキに、あの不快な光景を語ってやる。次第に、幼い顔に不似合いな深い皺が眉の間に刻まれていく。


「何のために飼育しているんだろう…」


 ガキが抱いた疑問に、俺も考え込む。最初に思いつくのは蜥蜴人間たちの食糧にするためだが、やつらは内臓などない妙な生物だ。あの薄桃色の肉片の材料にするにしても、それをまたイモリに食わせるというのは意味がわからない。

 そこでふと、泥酔したチャーリーから聞いた話を思い出す。


「もしかして、動力源か…?」


 身を乗り出すガキにチャーリーの話を掻い摘んで説明する。神代に使われた装置は、基本的には魔力で何らかの動作をさせているそうだが、ごく一部には雷を利用したものがあるらしい。

 神代の技術の詳細など重要機密のはずだが、酒に弱いチャーリーはうっかり口を滑らせたのだ。もっと滑りを良くしてやろうと酒を勧めると寝てしまいやがったので、あまり詳しいことはわからないが…

 堀の内壁の蠢く管で雷の力をどこかに送っているのではないのだろうか。


「ということは、この先には今度こそ本当のお宝があるのかな?」


 ガキの弾んだ声に、俺も頷く。あれだけの数のイモリをわざわざ飼育しているのだ。半端なものではあるまい。

 最後に残った正面の一回り大きな穴。その先に待つであろう神代の遺物に思いを馳せる。










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