第7話 扉

 オールの出番はあっという間に終わってしまった。球形の空間から続いていた通路は、入ってほどなくから上方に向かって弧を描いており、俺たちが乗る足場はすぐに座礁してしまったのだ。

 名残惜しそうにオールを見ているガキを促して足場から飛び降りる。ここからはまた円形の通路を徒歩移動だ。


     ◇


 今度の通路は上下にぐねぐねと蛇行している。壁に張り付いて移動しなければならないほどの傾斜ではないが、歩きにくいことこの上ない。神代の人々は一体何を考えてこんな不便な施設を使っていたのだろうか。


「神代の遺跡のなかって、こんな感じなんだね」


 ガキが靴底で傾斜を滑り降りながら楽し気に言う。敵影もないのですっかり油断してしまっているが、注意はしないでおく。代わりに俺が警戒しておけばいいのだ。勾配のせいで見通しの悪い通路に風術を行使しながら答える。


「俺もここ以外に一か所しか知らないから、何とも言えないな。…親父さん、家で冒険の話はしなかったのか?」


 少し迷ったが父親の話を振ってみると、ガキは昔日を懐かしむように大人びた表情を見せた。


「…あまりしなかったね。自分が危険な目にあっているのを家族に知られたくなかったんだと思う。冒険者になんかなるんじゃないぞ、ってよく言ってたよ」


 すっかり親不孝者だ、と少し寂し気に笑う。


「でもね、冒険が上手くいったときには酔っぱらって帰ってきて、お母さんが……」


 いつになく饒舌に語るガキ。本当に家族のことが大好きだったんだろう。中途半端な結果とはいえ、一応仇はいなくなったわけで、少しずつ気持ちの整理がついてきたようだ。

 これからは好きなことをやって生きていけばいい…と考えたところで、現在の状況を思い出す。

 何とかして無事に帰してやりたい、とずきりと痛む胸元を握りしめる。


「それでね、そのときのお土産が……」


 なおも思い出を語るガキを制止する。少し先で通路が上下に分岐しているようだ。

 先行して様子を確かめてみる。上へ向かう通路は曲がりくねりながら遠くまで延びているようだが、下へ向かう通路はまたすぐに金網で塞がれていた。どちらの道が正解なのか判断材料もないので、ひとまず下の金網のほうに向かってみることにする。


 金網の先は金属製の平らな床で、水が溜まっていることもない。同じ轍を踏まぬよう、ロープを結び付けて落下を防いだうえで金網を外す。ゆっくりと床に降ろした金網に続いて、なるべく足音を立てぬように飛び降りた。すぐさま周囲を警戒するが、ここにも敵の気配はない。

 目視で周辺を確認するべく明かりを強めようとしたところで、球形の空間と同じように辺りは白い光で照らされた。ここは部屋ではなく、通路の途中だったようだ。天井を這う管が光を放ち、緩く湾曲した廊下を照らしている。

 …明らかに生きている遺跡なのに、こんなに何もないものなのか。魔獣どころか、拾えるような遺物もない。


 一応の安全が確認できたでガキを呼ぶ。先ほどと同じように抱きとめようとするが、ひらりと躱して着地されてしまった。父親からの遺伝なのか、やたらと身のこなしがいい。


「どっちに行きたい?お前に選ばせてやるよ」


 真剣な顔をして悩んでいるが、たぶんどっちでも変わらないぞ。何を根拠に決めたのか、ガキが指差した右のほうに向かって歩き出した。


     ◇


 床が平らになったので、先ほどまでの通路よりも随分と歩きやすい。あれは人が歩くための通路ではなく、何かを流すための管の中だったのかもしれない。

 調子よく歩き出してほどなく、湾曲した通路の外側にあたる壁に扉らしきものがあるのが見えた。またも先行して確認するが…取っ手も何もない扉。さっぱり開け方がわからない。鞘に納めた曲刀でぶん殴ってみたが、がいんと大きな音がしただけで、びくともしない。壁との間にあるわずかな隙間に剣をねじ込んでみることも考えたが、借り物の剣を折りたくないしな…


「…先に進むぞ」


 じとっとした視線を背中に感じるが、俺にはどうにも出来ないのだ。


 それから先、同じような扉が等間隔にあらわれるようになった。どれも開けられない。一応、お宝を探しに来ているのに、目の前の部屋に入れないというのは辛い。何とも言えないもどかしさを感じながら進んでいると、今度は内側の壁に一際大きな扉があるのを発見した。通路も外側に向かって少し広くなっており、見るからに重要そうだ。

 二人並んで扉を見上げる。真ん中あたりに上下に継ぎ目が走っているところを見ると、左右に開く扉のようだ。天井付近には赤く光る横長のプレートが埋め込まれている。

   

 ここも隙間をこじ開けるのは難しそうなので、上方のプレートを調べてみることにする。壁に張り付いて登ろうところで、ガキが追い抜かしていった。 


「僕が行くよ!」


 軽快に壁を走るガキ。好きにやらせてやることにする。魔力の反応に異常も見られないので、べつに危険なものでもないだろう。ガキはちょこちょこと動き回りながらプレートを覗き込んでいたが、しばらくすると首をかしげながら飛び降りてきた。特に何も見つからなかったようだ。

 その間、俺も扉自体を調べていたが、ここも開けられそうにない。


「…先に進むか」


 重いため息をつき、扉を通り過ぎて進む。


     ◇


「…ねぇ、イネスって本当に稼げる冒険者だったの?」


 後ろをつまらなそうに歩くガキが失礼なことを言い出した。『帝国砦』では毎日そこそこいいものを食べていたり、ガキに食べ物などを惜しむことなく恵んでやったりしていたのを疑問に思ったらしい。

 たしかに、これまでの探索では何も見つけられず、いいところは見せられていないが…


「俺は魔獣狩りのほうが専門なんだよ」


 見栄を張って言い返しておく。本当に得意なのは羊の毛刈りだ。あと、羽振りが良かったのは『羊の街』の遺跡の先行調査でもらった報奨金が残っていたからだ。


 半ば無駄だろうとは思いつつも、等間隔に並ぶ扉を軽く調べながら進んでいると、床に転がる金網と天井の穴が見えてきた。どうやら湾曲した廊下は環状になっていたらしく、初めの場所に戻ってきてしまったようだ。

 いかにも何かありげな空間だったが、分岐のところまで引き返すしかないらしい。


「この扉で最後か…」


 かすかな期待を込めて拳の裏を打ち付ける。この扉も他のものと全く同じだ。さすがに少し気持ちが萎えて、引き返す前に休憩でもとろうとガキに声をかけようとしたところで、扉の隙間からかりかりと小さな音が聞こえ始めた。慌てて扉に向き直ると、重そうな扉がするすると上に持ち上がっていくところだった。この扉はこういう向きに開くのか、と呑気に感心していた顔が固まる。扉の向こう、俺に向かい合って立つのは蜥蜴顔の男だった。


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