第7話 生命の洪水
それぞれの背に二人の人間を乗せた二頭の巨馬が、地下通路の石畳を砕かんばかりに激しく打ち鳴らす。
蹄鉄から脚部に伝わる反動も、照明の範囲外を塗りつぶす闇も、利口で勇敢で逞しい彼らは物ともしない。
「……そろそろ、次の連絡箇所だな」
私兵団が作成した地図の正確性をざっと確認し終えた俺たちは、地下第一層の外周付近から中央部に向かって移動している。
地図に示された連絡箇所は、床が崩落した地点だったり、人一人が通れる程度の穴に備え付けられた梯子だったりと場所によって様々。
そこから第二層の様子を確認して回っているのだ。
「…………はぁ、憂鬱」
第二層の偵察役を任せているダナが、俺の背後で盛大な溜息を漏らす。
探索を始めて早々に何を……などと言うつもりはない。
……どの連絡箇所の先も、俺たちをして踏み込むのに躊躇させるのに十分な状況なのだ。
◇
床の穴に飛び降りたダナは、ものの数秒でぴょんと引き返して来る。
生きている遺跡では何らかの機構が働いているらしく、階層を越えてまで魔獣が追って来ることは少ない。
「……駄目、ここも一緒」
ダナ以外の面々もそれぞれ一度は階下を覗いているので、その顰めっ面だけで状況は容易に想像できる。
第二層には魔獣がぎっしり詰まっているという前評判は比喩でも何でもなく、文字通りにそのとおり。
連絡箇所の近傍では、呆れるほどの数の大鼠が互いを足場にして折り重なり、通路の幅を埋め尽くしているのだ。
……間抜けな獲物が落ちて来ることなんて早々ないとは思うのだが、共食いをするほどに食糧事情が厳しいらしい。
「まぁ、イケるっちゃイケるんだがな……」
突入の際には最前衛を務める予定のテオも大きな溜息。
大鼠程度は敵ではなくても、間断なく剣を振り続け、前進し続けなければ鼠の死骸で溺れてしまう。
「これじゃ、どこから降りても一緒よね」
アリサの言うとおり、どの連絡箇所においても、大鼠どもは漏れなく待ち構えていた。
分布に偏りがあるのでは……という淡い期待も今の確認で潰えてしまった。
「……となると、中央部に一番近い、この連絡箇所から降りたいところだな」
第一層の地図は確かに完成しているが、中央付近だけは空白のまま。
そこは『適応因子』を含む水が湧く噴水の直下であり、明らかに重要区画であるとは思われるものの、第一層にはそこへの進入路が存在しないのだ。
隠し扉なども発見できなかったので、下層から登ってくる構造になっているのだろう。
「……肚をくくるしかないね」
むせ返るような獣臭と腐臭を散々かがされたダナは、頰を叩いて気合を入れ直す。
「……そうするか」
姫様やセレステに魔術で薙ぎ払ってもらうという手もあるが……俺たちだけでも対処できなくはない以上、探索初日から頼るわけにはいかない。
◇
携帯するのは明かりと武器の類のみとし、その他の荷物は馬に番を任せる。
……本来なら馬のほうに番が必要なのだが、彼らは利口なのだ。
「全員、地図は頭に入っているな?はぐれたら洒落にならないぞ」
それぞれの懐には、第一層の地図の写しに加えて、偵察時の情報を元に作成した第二層の推定図が入っている。
しかし、それを悠長に広げる余裕はないだろう。
「鼠の群れを突破してしばらく直進すれば、中央区画に向かって伸びる太い通路に出るはず。その後は俺が状況を見て指示するが……構わないよな?」
言うなれば、この下は大通りへと向かう路地のような場所。その交差点まで踏み込めば中央区画を視認できる……はず。
とはいえ、大通りのほうにも鼠がぎっしり詰まっているかもしれないし、大通り自体も途中で途切れているかもしれない。
おまけに、脱出経路についても、元の道を引き返すべきか、別の連絡箇所に向かうべきは状況次第で流動的。
悠長に相談する余裕もないはずなので、リーダーの俺が独断で決めることを予め宣言しておく。
「おう、頼むぜ。リーダー」
そんな行き当たりばったりの計画にも、テオとアリサは笑って拳を突き出し、ダナも一拍遅れてそれに倣う。
「……そういえば、そんな儀式をやってたな」
テオとアリサと組むことを決めたとき、遺跡で別行動を始める前。
別々の道を歩むことを決めた夜も、酔った勢いでやったかもしれない。
「頼むよ、相棒!」
あのときにはいなかったもう一人も、すっかり馴染んでいやがる。
この場に集った新進気鋭らしい冒険者たちは、四つの拳を力強く打ち合わせた。
◇
俺たちに先んじて穴に飛び込むのは、チャーリー謹製の閃光弾。
穴の輪郭に沿った光の柱が消失した直後、テオの姿も階下に消える。
「……よし、来い!」
降下地点の掃除を終えた合図を受けて、アリサ、俺、ダナの準備で後に続く。
第二層の床は石畳ではなく、継ぎ目の見当たらない金属板。
飛散した鼠の血と発光物質で彩られた金属製の床に片足で着地し、すぐさまテオが切り開いた血路を辿る。
「イケるっちゃ、イケるが、キツいぞ!」
言葉を刻むのに合わせて、テオが左右交互に剣を振り上げる。
……キツいらしいが、イケるのなら問題ない。
「もう少しペースを上げても大丈夫よ!」
その背後、振り抜かれたテオの長剣が触れんばかりの位置まで接近したアリサが、空けていた左手で短剣を抜く。
そして、両側面に電撃を放って援護を開始。
「もう少し、速度を上げてくれると助かるな!」
最後尾のダナは左右の壁面と天井を駆け回り、追走を開始しようとする鼠どもの意識を逸らしてくれている。
やつは屋外ではムササビのように飛翔するが、本来はこんな閉鎖空間のほうを得意としているのだ。
「テオ、頑張れ!」
俺の役割は応援……ではなく、前方の索敵だ。
風術の腕を上げた今なら、方向を絞りさえすればかなりの距離まで把握できる。
「残りは四分の三くらいだ!そのまま一気に抜けてしまえ」
大通りのほうまで鼠の行列が繋がっていればさすがに引き返すところだが、群れの残りを突破すれば敵影はまばら。
申し訳ないが、ここは頑張ってもらおう。
「お前ら、容赦ないな!」
……口をきく余裕があるのなら大丈夫だ。
◇
剣の腹による殴打で鼠どもを纏めて弾き飛ばし、とうとうテオが敵陣突破を成し遂げた。
追走する一団をある程度引き離したところで、俺とダナが先頭に回る。
「アリサは後方への対処!テオは……一旦休憩だ」
それは予め打ち合わせていた陣形の一つ。
アリサが後ろの鼠どもに電撃を放って牽制し、テオは呼吸を整えるのに専念してもらう。
「じゃ、行くね!」
ダナに細かい指示は必要ない。
足場を壁に移して先行し、交差点の偵察に向かう。
「……さて」
正面方向、大通りから路地に侵入して来る鼠どもの対処は俺の役目。ここに来てようやく、背負っていた羽根箒を抜く。
この武器は今まで俺が扱ってきた中で最軽量。羽根の束に埋もれた柳葉状の刃を穂先とする、短槍の柄を半分ほどに切り詰めたような得物だ。
一撃の威力には欠けるが、この局面では問題ない。
「……ふっ!」
軽く息を吐いて繰り出す軽い突き。進路を塞ぐと思われる個体のみに狙いをつけ、前肢の付け根を浅く切りつける。
「…………」
テオが不満げな視線を向けているのを背に感じるが、断じて手抜きではない。
お前らならこれで十分だろうという、後続の二人への信頼だ。
「見えた、『鍵付き』の大扉!」
早くも大通りとの交差点へ躍り出たダナが、中央区画のほうを向いて叫ぶ。
予想どおり、重要な区画だったようだ。
「急いで!反対側から別の群れが来てるよ」
戦闘音を抑えるほどの余裕はなかったので致し方ない。俺は肩越しに『急げ!』の視線を飛ばす。
「…………」
アリサからも不満の視線を向けられるが黙殺する。
どれだけ負担に偏りがあろうが、俺に判断を任せた以上文句は言わせないぞ。
◇
路地を抜けた俺たち三人は、交差点で待っていたダナと合流する。
「さて……」
左右に伸びる大通り。右手側には『孤島の遺跡』で見たものとよく似た大扉が見え、左手側からは先ほど以上の規模の鼠の群れの気配。
どうやら、他の路地からも続々と集結してきているらしい。
「……あの扉を開けられるか確認したあと、別の連絡箇所から脱出だ」
扉の前に辿り着く頃には、集結を終えた鼠の群れが背後に迫っているはず。
流れを遡って元の場所に戻るのは厳しいだろう。
大扉のほうに移動を開始しながら、俺は脱出までの流れを指示し始める。
「テオにはまた先頭を任せることになるから、今のうちに……」
「イネス!」
ダナの鋭い声を受けて大扉のほうに向き直ると、俺たちと大扉との間にある路地から巨大な何かが飛び出して来るところだった。
「……おいおい、あれの相手はキツいぞ」
ぎらぎらと虹色の光沢を放つ、馬鹿みたいにどでかいカナブン。
……地下にも昆虫が出るとは聞いていないぞ。
「どうするのよ?!」
慌てた様子で前後を見比べるアリサに向かって、俺は歯を見せて笑う。
「問題ない、正面突破だ」
俺が仕事をしていなかったのは、断じて手抜きではない。
こういう事態に備えて、力を温存していたのだ。
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