第8話 銀朱の羽筆

 前方に立ち塞がり、ぎちぎちと顎門を鳴らすお化けカナブン。

 しかし、脅威となるのはその部位ではなく、むしろ全身を覆う分厚い外骨格のほうか。

 半端な刃物など当然のように弾き返し、鈍器で殴りかかったところで揺るぎもしないだろう。


 丸っこい胴体は通路を完全に塞ぐほどの大きさではないものの、天井や壁との隙間をすり抜けようとすれば、反応して体当たりをかます程度の知恵はあると思うべき。

 もちろん、まともに正面から挑んだところで、のしかかられて押し潰されるのが落ちだろうが……


「一発で仕留めるぞ!テオとアリサも、減速せずに追って来い」


 俺が自信満々に宣言しても、追従していた二人は若干狼狽える。

 あの手の大物の相手は大の得意だと伝えたはずだが、さすがに口頭での説明だけでは信じ切れないか。

 まぁ実際に見せてやれば分かることなので、遠慮なく速度を上げて二人を引き離す。


「……何秒で?」


 すかさず並走し始めたダナが、楽し気に笑って問いかける。

 少し唸ったあと、立てた指は五本。


「了解。行って来い、相棒!」


 背中にバチンと気合を注入され、俺は一気に加速した。


     ◇


 大通りの幅を目一杯使ったジグザグ走行。金属床に刻む歩幅は普段の数倍だ。

 その絡繰は、気合いとともに注がれた『重量操作』の呪術。やつの腕前ではまだ意思を持つ対象には上手く行使できないのだが、呪術の素養を有し、且つ完全に気を許している俺だけは例外なのだ。


「行くぞ、昆虫!」


 声と身振りを併せて、昆虫相手に露骨な挑発行為。

 突進されては後続もろとも轢き潰されてしまうので、間抜けな餌が自ら飛び込んでくるように振る舞う。


「これでも喰らえ!」


 間抜けな台詞に合わせ、大仰な動作で振り上げた左手から放つは青味がかった靄。

 妹が扱う『幻影』の呪術を模倣する過程で習得した……ただのハッタリだ。


 蒸気に光術を投影しただけで、不気味さ以外に何の力も持たない技だが、胴体に比して小さいであろう脳味噌を揺さぶる程度の効果はある。


 突如として展開された意味不明の出し物に、混乱した様子を見せるカナブン。

 それを確認したのち、派手な動きから一転、最短距離で側壁に向かう。


「ふっ!」


 蹴りの反動で宙を舞い始めたところで身体が重さを取り戻すが……もう問題ない。


 頭部と胸部の境目の節を目掛けて、目一杯に長く持った羽根箒を一息で二度振るう。

 穂先は甲殻に触れることなく、羽根の先端が表面を撫でただけだが……これも問題ない。


 銀色の柄の端に真っ白な羽根を束ねた、この得物。俺は羽根箒と呼んでいるが、本来は筆を模したものだ。

 事前に染み込ませておいた俺の血液が、ぎらつく甲殻の表面にべったりと塗りつけられる。


「よっと」


 頭部を足蹴にして俺が降り立ったのは、カナブンの眼前から少し距離を置いた場所。

 神経が通っていなくても何かをされたのは理解しているらしく、警戒心から僅かに後退る。


「……これで終わりだ」

 

 俺が新たな武器に望んだ『呪術の出力強化』という無茶な要求に、チャーリーは『効果の圧縮』という解決策で応えた。

 発動が遅延するうえに『脆化』するのは一瞬という扱いにくさはあれど、求めた機能はたしかに実現されている。


 また、甲殻を自身の血液で彩色したのは、呪術の拙さを補うための儀式。

 素手で直接触れている間しか効果を発揮しないという欠点は、身体の一部と見做されるらしい血液を利用することで解決された。


「…………」


 羽根箒を肩に担ぎ、間合いの外から何処を見ているのか分からないカナブンと睨み合う。

 俺の無防備さに食らいつくべきか逡巡しているようだが、残念ながらまもなく時間切れだ。


 発動が遅延することにより生まれた、思わぬ副次効果。

 ……何も決定打を加えるのは自分でなくても構わないのだ。


「えいっ!」


 血色の十字が完成してから五秒が経過する寸前。

 天井付近に滞留させていた青い靄から飛び出すのは、もちろん自慢の相棒だ。


 限界まで捻りと荷重を加えられた鉄鱗のマントは、もはや凶悪なフレイル。

 完璧なタイミングで着弾した一撃は、呪いの交点を卵の殻のごとく粉砕した。


     ◇


 追いついて来たテオとアリサは何か言いたげだが、黙殺して先を急ぐ。

 ……何も俺が仕留めるとは言っていないのだ。


 絶命したカナブンの脇をすり抜けると、追っ手の鼠どもは目標を俺たちより大きな獲物に変更した。

 何とも殺伐とした食物連鎖だが、ともかくかなりの時間が稼げるだろう。


 騒々しい咀嚼音を背に大通りを駆け抜ければ、中央区画を囲むように弧を描く回廊が左右に伸びていた。

 正面の壁には、『孤島の遺跡』にあったそれを上回る高さの大扉。


「うぉっ?!」


 扉の上部より赤い閃光と強烈な魔力が放射され、初体験のテオが仰天する。

 これで『鍵』に反応し、勝手に扉が開くはずなのだが……扉はうんともすんとも言わない。


「……壊れているのかしら?」


 アリサが残念そうな顔をしているが、開錠の機構は正しく作動したようなので、おそらくそうではないだろう。


「星、足りないのかな?」

 

 ダナが扉と見比べる腕輪には、五つの光点が煌めいている。

 元々は四つ星だった腕輪は、帰省の折に『裏山の遺跡』を攻略したことで星が一つ増えた。

 ……ちなみに、俺も三つ星冒険者だ。


「あるいは、専用の鍵が必要なのかもな」


 いずれにせよ、今は手の出しようがない。


     ◇


 その後、中央区画を囲む回廊を一周したところで、俺たちは本日の探索を終了した。

 発見した大扉は合計六つ。いずれも固く閉ざされており、奥に踏み入ることは出来なかった。


 拠点に帰還後、他の面々は休憩をとり始めるが、リーダーの俺は成果報告のために会議室へと向かう。


「お疲れ様です」


 テーブルの奥で出迎えたのは、姫様とチャーリー。

 地上探索班のリーダーであるロディさんもすでに帰還しており、ちょうど報告を終えたところのようだ。


 俺は空いていた席に着き、作成途中の地図を広げて第二層の状況を説明する。


「……中央区画はそんな感じでした。明日以降は『鍵』となる遺物を探す予定です」


 ここは未踏の遺跡であるので、何処かにそれが残されている可能性は高い。

 ただ、手がかりは何もないので、鼠だらけの第二層を虱潰しに回るしかないのが辛いところだ。


 言葉の端にそんな憂鬱さを滲ませているのに気づいたロディさんは、描きかけの地図を自分の手元に寄せる。


「だったら、とりあえずこの辺りを調べてみろ。構造的に、第三層との連絡箇所がある可能性が高い」


 ……そうか、同じ階層に『鍵』があるとは限らない。

 それに、最初に発見した手掛かりがあからさまだったために気を取られていたが、手掛かりはあの大扉だけとは限らない。


 示された候補は数多く、全て確認するのは骨が折れるだろうが、無策で探索するよりは遥かにましだ。

 豊富な経験に基づく判断と予測……やはりおっさん連中に追いつくのは容易ではない。


「ありがとうございます。森のほうでは、何か見つけましたか?」


 俺の問いかけに、今度はロディさんが憂鬱さを露わにする。


「ああ、見つかったんだがな……」


 詳しく聞いてみれば、探索を始めて早々に『適応因子』を含む小川を見つけたとのこと。

 ……何本も。


「どれも濃度に差はなく、方向もバラバラ。おかげで、全く本命が絞り込めない。おまけに、どうやら地下水脈も多く存在しているようでな……」


 つまり、手掛かりが多過ぎて困る状況というわけか。

 とりあえず適当に一つを選び、明日以降に遡ってみるそうだ。


「さすがですね、初日の成果としては上々です。皆さんに頼ったのは、間違いではありませんでした」


 過分なお褒めの言葉に、一日の疲労が解けていくような感覚を覚えるが……俺とロディさんは顔を見合わせて苦笑する。

 これこそが『言祝ぎ』の御業の本来の使い方なんだろうが……タネを知っている身としては何とも言えない気分だ。


「本心でもあるのですから、素直に喜んでおきなさい。拠点のほうは魔獣の襲撃もなく、特に報告することはありません。さて……他に何かありますか?」


 形式的な締めの言葉に、チャーリーが手を挙げる。


「……予てより開発中の連鎖反応式『適応因子』爆弾。クライド君の『欲望の塔』でも撃てるように小型化を試みているんだが、中々上手くいかないんだよ。この周辺は『適応因子』が潤沢にあるせいか、今日も危うく暴発しかけてしまって……」


 しれっとなされた爆弾発言に、姫様さえもぎょっとする。

 元気を取り戻したのは結構だが、さっさと『水源』を見つけないととんでもない事になりそうだ。

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