第5話 虎と獅子

「もうそろそろか…」


 棺桶の縁に腰を下ろし、靴紐を締め直す。全裸で取っ組み合いはもう勘弁なので、しっかりと服は着込んでいる。


 あれからおそらく一週間が過ぎた。もはや正確な時間は不明だが、一日一回の闘争と一日一杯のでろでろを繰り返す日々。やたらと腹持ちがいいので、一日一食でも元気一杯だ。

 相変わらず訳の分からない状況だが、分かったこともいくつかある。まず、一回勝てばカードの表の数字が100増えるとともに、裏の小さな丸が一つ塗り潰される。負けても表の数字は減らないが、小さな丸が一つ減る。そして、治療を受けると表の数字が50減らされ、でろでろと引き換えに10徴収される。

 そんな訳で、5勝2敗の俺のカードは120。勝っても毎回治療を受けていたので、なかなか貯まらないのだ。


 目を瞑り、戦いに向けて気持ちを高める。


     ◇


 やがて壁がすこんと開き、もはや見慣れた虎男が現れた。抵抗さえしなければ危害は加えて来ないので、大人しく担がれる。

 荷物となって廊下を運ばれる俺。


「なぁ…そろそろ自分で歩くぞ?」


 無駄かと思われた要望は聞き入れられ、どさりと床に降ろされた。こいつ、喋らないが言葉は通じるのか。

 愛想笑いを浮かべて話しかけようとする俺に硝子の刺又が突きつけられる。


 まずは今日のノルマをこなさないといけないらしい。仕事場に向かってとぼとぼと歩き始めた。


     ◇


 今日の影人間は随分と小さい。これまで負けた相手は、最初の一戦を除けばいずれもでかいやつだった。ペトゥラさんの言葉に従って毎日何かに祈っていたおかげか、運が向いて来たようだ。


 ちびっこい影人間は、格子が開くなり身を低くして走り出した。弧を描く軌道で側面をつこうとする。俺はそれを嫌うように斜めに後退。


 ひたすら下がり続けていると、当然のごとく部屋の隅に追い込まれる。左右の肩の後ろに壁を背負った俺は、腰を落として身構えた。

 影人間は疾走の勢いそのままに壁を蹴って飛び上がり、頭上から襲いかかってくる。…その手の動きをするやつはよく知ってるぞ。


 一歩前に踏み出して上方からの攻撃を躱した俺は、着地の体勢整わぬ影人間に肩口からの体当たりを浴びせた。

 壁との間に挟まれて崩れ落ちる影人間に追撃の蹴りを重ねる。抵抗が弱まったところで馬乗りになり、両膝で腕を封じた。


 どこかの誰かと違って可愛げのないのっぺりとした顔に、容赦なく掌打の雨。


 やがて影人間はどろりと溶け始める。地面に染み込んで正に影のような人型となり、それも次第に薄れていった。

 この影人間、首締めや関節技は効かないが、ある程度痛めつけるとこうなるのだ。


 初の完勝に、拳を突き上げて無言の勝ち名乗り。


     ◇


 完勝が初めてならば、自分の足で部屋に戻るのも初めてだ。付き添いの虎男を見送ってから床に腰を下ろした。


 これまでの戦いで、俺は着実に強くなっている。短期間のうちに負傷と回復を繰り返したせいか、身体が一回り大きくなったような気がする。加えて、怪我とともに新たな学びも身体に刻み込まれて格闘技術の向上も著しい。

 …喧嘩の腕前が上がったから何だ、という話だが。


 虎男の正体が分からない。あんなものが王都を闊歩していたら騒ぎになっていたはずなので、礼拝堂の祭壇のようなものから現れたのだと思うが…

 虎男の目的も分からない。俺としては非常に良い鍛錬になっているが、それがやつの意図するところなのだろうか。…ある程度鍛えたところで俺も虎男にされてしまうのだろうか。

 羊や蜥蜴よりは多少ましかとか考えて、随分と思考がおかしくなっていることに気づく。


 ともあれ、今日勝ったことでカードの裏の勝ち星は4になった。5つ全て塗り潰せば何か変化があるに違いない。


 考えるのは終わりにして床に寝転がる。棺桶のほうが寝心地はいいが、そちらで寝ては謎の数字が50減らされてしまう。

 随分とくたびれてしまった革靴を枕にして目を閉じた。


     ◇


 明けて翌日、腹ごなしも兼ねた準備運動をしているとお迎えが来た。今日も荷運びは断り、意気揚々と勝負の場に向かおうとするも、ぐいっと襟首を掴まれて首が締まる。


「おい…」


 控えめな抗議は黙殺され、またも担ぎ上げられてしまう。運ばれて行くのはいつもと逆の方向。階段のほうだ。勝ち星を5つにする前に何やら変化が起きたようだ。


 上下動が激しい肩の上で揺らされることしばし、階段を登りきった虎男に毎度のごとく乱暴に投げ捨てられる。

 しかし、今日は尻に痛みは走らない。落下したのはやたらと座り心地のいい椅子の上だ。せっかくなので寛ろいでやろうとするも、すぐさま手足をがっちりと拘束されてしまう。…とうとう解体されてしまうのか。

 辺りを見回してみるが、この小部屋に物騒な道具などは見当たらない。虎男は背もたれの後ろで何やら作業をしている。


 やがて正面の壁が上下に開いた。その先の様子を確認するより早く、床が前方に滑り出す。

 小部屋の床が完全に扉の向こう側にせり出したとき、俺は思わず感嘆の声を上げた。


「凄いな、これは…」


 扉の先の光景は、かたちとしては峡谷といっていいものだ。しかし前後の壁は全て金属張り。光る管で照らされているものの、底も上端も見えず輝く葉脈が遥か彼方まで続いている。正面の壁には扉や穴がぽつぽつと点在しており、きっとこちら側の壁も同様なのだろうと思われる。


 あまりに壮大な景色に口をあんぐりと開けていると、床がさらに前方にせり出していく。そのまま落下していくこともなく、ふわりと浮き上がる金属板。チャーリーがつくった空飛ぶ舟と同じようなものらしい。


 金属板は峡谷の間を飛行し始める。次第に加速し、呼吸が困難になるほどの勢いで景色が流れていく。

 …俺が囚われていたのは礼拝堂の直下だと思っていたが、こうなるともうわからない。気を失っている間に同じように移動していたのならば、一体出口はどこなのか。この大峡谷を探索し尽くすことなど、生きているうちには不可能だ。


 いまいち楽しめない空の旅もやがて終わりを迎える。金属板は多少の減速はしたものの、かなりの勢いで壁に衝突。俺の椅子まで伝う振動とともに壁が口を開けた。


 俺の正面に回る虎男。こいつはあの速度で飛んでいる間ずっと直立不動だった。

 とんがった爪で器用に拘束をはずし、俺を担ぎ上げようとするが、思い直したかのように両脇に腕を入れて立たせてくれた。

 …妙に愛嬌のある仕草に少し和んでしまう。


 ほのぼのとしたのも束の間、背中をどんと突かれて通路の奥に歩き出した。


     ◇


 以前の無機質な通路とは違い、金色の装飾がなされた廊下を進む。勝ち星4という中途半端な状況で、待遇が改善されるのだろうか。


 虎男の先導に従い、何度かの分岐と曲がり角と経て目的地に辿り着く。見えてきたのは土の地面。どうやら今日もやることは変わらないらしい。


 本日の決戦の場を見渡す。こちらも少し豪華になっているようだ。俺が通ってきた入口は金色で飾り付けられ、対戦相手の入口は銀色の装飾。戦場は八角形で少し広くなり、天井もかなり高い。周囲の壁の上には観覧席のようなものまで作られている。


 銀色の入口を睨みつけていると、対戦相手が現れるより先に別のものが姿を見せた。

 観覧席の最上段に立った獅子顔の男。分厚い胸板にはごつい首飾りが輝いており、組まれた両腕には金の手甲。さらには背後に虎男を従えている。そいつを上回る立派な体躯とたなびく黄金の鬣は、正に王者の風格だ。

 どかりと座って俺を見下ろす獅子男。歯を剝きだすその顔は笑っているようにも見える。…今日は御前試合ということか。


 平服もせずに待っていると、やがて虎男に先導された対戦相手がやってくる。

 向かい合って立つのは、ひょろりと背が高い影人間。俺としては初日の技巧派の影人間との再戦かと思っていたが、予想は外れた。

 腕を上げた今なら、あいつ以外なら何とかなるはず…


「……そうくるのかよ」


 細長い腕で構えられた一本の棒。5つ目の勝ち星を得るには、この不公平を乗り越えなければならないらしい。


 ままならない状況だが、嘆いても仕方がない。雄叫び一つ上げて、構えをとった。

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