第6話 偽りの王

 左手は腰の前に、右手は顎の横に。いずれも拳は作らない。緩く広げた手のひらを相手に向けて半身で立つ。

 これが俺が編み出した構えだ。…拳で思い切り殴れば手首を痛める、ということを学んだだけだが。


 対する影人間も半身になり、両手で握った棒を中段に構えた。さほど長くもない得物だが槍として扱うらしい。


 互いにじりじりと距離を詰める静かな立ち上がり。当然、先に射程に入れられるのは俺のほうだ。

 腹部を狙った突きを掌底で打ち払う。アリサにならって防御に専念する左手は、鋭い一撃にもきっちり反応してくれる。しかし、この棒…軽いが硬い。穂先こそないが、続けてもらうと不味そうだ。

 顔面を狙った追撃は、左前腕で上方に受け流す。そのまま潜り込むように踏み出すが…得物の引き戻しが早い。右での一刺しは諦めて後退した。

 …こいつも俺より格上だ。以前なら早々に博打じみた攻めに出てしまうところだが、それでは通用しないことは身に染みている。

 持久戦の覚悟を固め、再度構えを整えた。


     ◇


 突きの乱打をひたすら凌ぐ。結局右手も防御に動員されているが、何とか直撃は許していない。受けに使った部分はずきずきと痛むものの、そんなものは最初から覚悟している。


 いつの間にか影人間の棒捌きに荒さが見えるようになってきた。ここまで長い時間戦うのは初めてだが、こいつらにも疲労なり焦りなりがあるらしい。


 やがて待望の払い技が繰り出された。…しかし少し高いか。後頭部を狙った一撃は身を沈めてやり過ごす。踏み込みたいのをぐっと堪え、中途半端な間合いを維持。

 折り返しの中段薙ぎ払いが俺を襲う。…ここだ!


 防御に向かった左手を翻し、敢えて腹筋への直撃を許す。うめき声を噛み潰して根性で耐え抜く。

 翻った手でしっかりと握った棒の柄。それを手前に引き寄せながら、先端を脇に抱え込んだ。


「うらぁ!」


 思い切り勢いをつけて後転。開戦前の位置まで間合いが広がる。しかし状況は一転、影人間は無手となり、俺の手には得物がある。

 …悪いが、こちらが専門なんだ。


 狼狽えているように見える影人間に口角を上げて襲いかかった。


     ◇


 そのあとは俺の独壇場だった。鬱憤を晴らすように棒を振るう。やつも槍の心得はあるようだが、ころころと持ち方を変える俺の変則的な攻めに全く対処できていない。妙な得物ばかり扱ってきた経験がここで活きている。


 脳天への振り下ろしをまともに受けた影人間が仰向けに倒れる。もがくこともなく、そのまま床の染みになっていった。

 杖代わりに体重を支えていた棒を放り投げて仰向けに倒れた。


 観客席を見上げるが、獅子男たちの姿はない。果たしてお眼鏡に叶っただろうか…?


     ◇


 ぶっ倒れるほどではないが、自分の脚で歩く元気はない。棒を虎男に返して担がれる。

 心地よい揺れに微睡みながら運ばれていると、来たときとは異なる経路を通っていることに気づく。


 やがて辿りついた一つの部屋。開いた壁のなかを覗き込んだ俺は感動の声を上げる。


「…便所がある!」


 これまでの牢屋の倍ほどの広さの部屋には、棺桶とテーブルの他に大きな戸棚やベッドなどもある。

 奥の壁には開いたままの扉があり、そこには念願の便器。詳しくは思い出したくもないが、ここで暮らす日々であれが一番屈辱的だったかもしれない。


 はしゃぐ俺を部屋に押し込んで虎男は去っていった。ふかふかのベッドに腰を下ろす。勝ち星5つ集めたことで劇的な待遇改善だ。

 早速カードの評価を確認しようとするが、戦いの前に虎男に預けたままだったことを思い出す。


「まぁ、後でいいか」


 早速、神代の便所の調査を開始した。


     ◇


 さほど待つこともなく虎男は再訪してきた。ベッドから身を起こして手を振ってやる。いつもとは時間帯が違うが、食事を持ってきたらしい。

 テーブルに置かれた盆には器が三つも載っている。内容はでろでろの椀と薄桃色の円盤が盛られた大皿と色とりどりのサイコロがのった小皿。相変わらず正体不明の食べ物だが、豪華になっていることは間違いない。


 礼を言おうとする俺にカードが突き返される。その表記を見て眉をひそめた。…表の数字が増えていない。


「おい…これ、間違ってないか?」


 抗議を入れるが、何の動きも見せない虎男。しばらくの睨み合いののち、黙って去っていった。

 …さっきの一戦のぶんは、この豪華らしい食事で吹っ飛んだらしい。頑張った結果、縮まってしまった寿命に頭を抱えた。


     ◇


 妙に味が良くなった食事を終えて一息。空になった器を眺めているうちに、ふと気づく。いつもなら俺が食べ終わるまで待っている虎男がいない。

 盆を持って立ち上がり、壁をどんどんと叩く。


「おい、これはどうすればいいんだ?」


 返事の代わりにすこんと開く壁。廊下に顔を出して見回してみるが、虎男の姿はない。

 …鍵のかけ忘れか?


 せっかくなので探検してやろうと、言い訳用の盆を持ったまま廊下に出る。来るときに通って来た側とは反対の方向に歩き出した。


     ◇


 枝分かれする廊下を勘で進んでいく。見回りしている者もいない。随分と緩くなった監視、これも待遇改善の一環だろうか。


 帰り道が怪しくなり始めたころ、広間のような空間に辿り着いた。

 一際高い天井には光る管がシャンデリアのように垂れ下がっている。毛足が長い絨毯には立派なソファが並べられており、姫様の屋敷の応接間より絢爛な雰囲気。


 ソファの脇に立つ虎男の後ろ姿が見える。俺は片手を上げながら近づいていくが、そのソファに腰掛ける人影に気づいて足を止めた。

 黄金の鬣。獅子男が酒らしきものが注がれたグラスを傾けている。

 固まる俺に向かって獣面が歯を見せた。


「おう、お前か!まぁ座れよ」


 …魔獣でも上位者ともなれば喋れるらしい。逆らっても仕方ないので、おずおずと向かいに腰を下ろす。

 俺が持つ盆を見咎めた獅子男が片眉を上げた。


「何だ、ろくなもん食ってねぇな。これでも食えよ」


 低いテーブルに並べられた食べ物を勧める獅子男。俺をつまみにする気はないらしい。


「さっきは観てたぜ!お前みたいに活きがいいやつは久しぶりだ」


 どうやらお眼鏡に叶ったらしく、随分とご機嫌の様子だ。俺が謎の食べ物をもそもそと口にするのを楽しげに眺めている。

 このくらい機嫌がよければ、色々質問しても大丈夫か…?


「俺みたいに…ということは、他にも戦っている人間がいるんですか?」


 獅子男が天井の光にグラスを翳す。


「今はいねぇな。みんな死んじまったよ。こないだのやつは何とか俺のところまで上がってきやがったが……俺も負けてやるわけにはいかないからな」


 降参ありの戦いでも死者が出るのか。これから始まるであろう過酷な日々を思うと、自ずと顔が引き締まる。


「結局、ここは何をする場所なんですか?」


 言葉を選んでいるのか、考えこむ獅子男。


「……戦って、稼いで、美味いものなり武器なりを手に入れる。俺に言えるのはそれだけだな」


 なるほど…その果てに何があるかを語る気はない、ということか。

 返答があるとも思えないが、一番重要な質問。


「それで…どうやったらここから出られるんですか?」


 俺の問いかけに、獅子男は途端に情けない表情を見せる。


「…さっぱりわからん。俺も一年近くここにいるんだが、何の手がかりも見つからねぇ」


 ………はて?


「えっ…と、貴方が虎男たちの主なんですよね?」


「違うわっ!」


 獅子男、もとい獅子っぽいおっさんが吠えた。

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