この上なく気恥ずかしい帰省

 謂れなき責任を負わされた俺は、お袋の命令により帰郷を余儀なくされた。

 ……腐った戸板を見せられれば、断ることなんて出来なかった。


 この帰郷は親父と妹へのダナの顔見せという意味合いもあるが、理由はそれだけではない。


「……まだ全然だね」


 例の巨馬の背。俺の脚の間で落下するリンゴを受け止めたダナは、小馬鹿にしたような笑みを浮かべて振り返る。


 強引な帰郷命令の目的は、俺に呪術を習得させること。

 みんなの尽力で目覚めさせてもらったわけだか、まだ俺の身体は万全ではないらしく。

 速やかに呪術を習得して『適応因子』を制御しないと、発狂するか破裂するか人獣になってしまうらしいのだ。


 今、姫様の陣営は呪術の研究に躍起になっている。

 俺は眠っている間に色々と出遅れてしまった形だが、命が懸かっている以上頑張らざるを得ない。

 ……そもそも、お袋が凄腕の呪術師だったということ自体、未だに理解不能なのだが。


「うぅ、緊張してきた」


 呪術の先達たるダナは、挨拶の練習に余念がない様子。そんなに頑張って外堀を埋めなくても、逃げも隠れもしない。

 俺はくりくりの巻き毛をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。


「……もう!わたしの事はいいから、イネスも頑張ってよ」


 言われなくても、そうするつもりだ。

 今さらしょうもない死に方などするわけにはいかない。


     ◇


 昼飯時を少し過ぎた頃、俺たちはさして懐かしくもない実家に辿り着いた。


「いらっしゃい。それと、おかえりなさい」


 すでに客は全員帰っており、店内で出迎えたのはテーブルを拭くお袋ただ一人。

 いつかの記憶と変わらぬその姿に、呪術師のおどろおどろしさなど全く感じられない。


「ご馳走をしてあげたいところだけど、お父さんが裏で待っているから先に挨拶を済ませて来なさい」


 調理道具の手入れか、あるいは夜のための仕込みか。この時間帯はいつもそうだった。


 ……ダナの紹介と、勝手に冒険者になったことに対する謝罪。どちらも気が重いが、ここまで来て逃げるわけにはいかない。


 俺たちは厨房の勝手口を通り抜けて、裏庭に向かった。


     ◇


「……来たか」


 井戸の前に座った親父の背中の大きさは、以前と変わりない。まぁ、変わるほどの年月は経っていないのだから当然だ。

 それに、俺にまつわる事情はすでに聞いているだろうに、特に怒ったりはしていないようだ。


「ただいま。それで、こいつが……」


 ダナの事を何と表現しようかと口籠ったところに、ひょいと一本のすりこぎを投げ渡される。


「言い訳も詫びもいらない。まずは、お前の腕を見せてみろ」


 ……まぁ、お袋が冒険者だったと知った時点で、その可能性も考えてはいた。

 しかし、同じくすりこぎ片手に無造作に立つ姿には、あのときのお袋のような凄みは感じられない。


 口論くらいならともかく、親子喧嘩なんてまともにしたことはないぞ。


 本気を出していいものか迷いつつ、すりこぎによる模擬戦が始まった。


     ◇


「……降参だ」


 手加減なんて、とんでもない話だった。

 動きの速さ自体は俺と同程度なのに、一撃も入れられないどころか、一度も攻撃を放てない。


 動きが読まれているというよりも、動きを誘導されたかのような不可解さ。加えて、軽く当てられただけの攻撃で全身に走る痺れ。

 いずれも魔力の気配は全く感じなかったので、おそらくは純然たる技術。まるで、活きの良い魚を締めるときのような……


「魔獣狩りも鶏の解体も変わらんだろう。今まで何を学んできたんだ?」


 ……料理人独特の感性、全くもって理解できない。

 この様子では、動きの速さのほうも俺に合わせていたのではないだろうか。


「いらっしゃい、君がダナさんだね。愚息が随分と迷惑をかけたようで……」


 始まったお辞儀の応酬をよそに、俺は地面に崩れ落ちた。


     ◇


 口内に染みるシチューを流し込んだあと、俺たちが向かったのは街を一望する裏山。


「いい眺めだね!」


 夕日に照らされる街に目を輝かせながら、ダナがたなびく髪を押さえる。

 その様子に、故郷に特段の思い入れを持たない俺でも、何となく嬉しく思ってしまう。


 ……思えば、こいつの故郷や子供の頃の話などはあまり聞いてこなかった。

 悲しい思い出が多いのだろうが、それ以外もきっとあるに違いない。


「しかし、何でこんな場所で……」


 ここに来たのは、妹のラーラとの顔合わせのため。

 仕入れの注文に出ているのかと思ったが、待ち合わせに指定されたのは何故かこの街外れだったのだ。


「イネス、あれは何?」


 指差す先にあるのは、林の中で半ば土に埋もれた大きな岩の亀裂。そこに隠された、小屋とも呼ぶのも烏滸がましい木造の何か。

 ……俺たち兄妹が幼い頃に作った秘密基地だ。まだ残っていたのか。


「あれは……いや、冒険してみるか?」


 待ち合わせの時間までは、また少し余裕がある。

 俺たちは、本職による大人気のない探索に向かった。


     ◇


「あ、兄貴。おかえり!ダナさんも初めまして!」


 秘密基地の床からひょこりと顔を出したのは、妹のラーラ。

 もうそんな歳でもないはずなのに、何でそんな手の込んだ改築をしていやがるんだ。


「……はじめまして。ダナと言います」


 好意的な対応に安堵の表情を浮かべるダナが、ぺこりと頭を下げる。


「一体、お前は何をしているんだ……?」


 言葉の途中で、ラーラの背負い籠に満載の瑞々しい野菜に気づく。

 お使いの途中でこんな寄り道をするような馬鹿ではなかったはずだが……


「あぁ、兄貴は宿を継ぐ気がなかったから教えてもらってないんだね。この奥には生きている遺跡があってね、野菜が育つんだよ」


 この歳になって初めて知らされる、家族の秘密の数々。

 疎外感にうずくまった俺は、ダナに背中をさすられる。


「生きている遺跡って……大丈夫なの?」


 ……そうだ。防衛機構も生きている可能性があるし、魔獣だっているかもしれない。


 ダナの心配にふふんと笑ったラーラは、指でくるりと宙に円を描く。


「うぉっ!」


 夕暮れの裏山に突如として出現する羊。鮮血のような毛と獰猛な瞳は、明らかに魔獣のそれ。

 飛び上がった俺は、慌ててそれを蹴り飛ばして二人を庇いに入る。


 しかし、妙に軽い手応え。まさか……


「それは光術の幻影だけど、噛まれるとちゃんと痛いから。あ、明日からは私が呪術を教えるから、二人ともよろしくね!」


 歯を剝く羊を前に、俺は無心となった。


     ◇


「……はぁ」


 宿の前のベンチに腰を下ろした俺は、星空を眺めながら衝撃の一日を振り返る。


 ……冒険者に興味を示していなかった俺に説明する道理はなかったのだろうが、それにしてもあんまりではないだろうか。

 ……それに、実はとんでもない血筋に生まれていたらしい俺に、さしたる才能がないというのはどういう理屈か。


 やり場のない感情に再度の溜息をついていると、兄のアランが隣に座って酒瓶を差し出してきた。


「悪かったな。色々と秘密にしていて」


 この様子だと兄貴も知っていたようだが、お袋たちが隠したがっている以上、勝手に話すわけにはいかなかったのだろう。

 出かけた愚痴を、酒と一緒に吞み下す。


「……俺もな、いつかお前に教えてやりたいと思っていた事があるんだ。落ち込んでいる今なら、ちょうどいいかもな」


 ……こいつもか。もう、何を言われても驚かないぞ。


「俺には武術も呪術も向いていなかったが、風術だけはそれなりの腕なんだ。形状の把握だけなら、扉越しだろうが精密に……」


 兄貴がまだ結婚していなかったのは、特殊な性癖のせいだった。

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