幕間

この上なく清々しい朝

 ……いつ以来だろうか、ここまで心地よい目覚めは。


 冒険者になって以来、野営の硬い地面で無理矢理に眠るか、鍛錬で身体を痛めつけたあとに宿のベッドに飛び込むばかりの日々だった。

 散々やる気がないと言っておきながら、気づけば誰に言われるでもなくそんな毎日を送っていることに、目を閉じたまま笑みを浮かべてしまう。


 このまま二度寝したいという欲が首をもたげるが、せっかくの清々しい朝。

 本日の予定を思案しながら、俺は瞼を持ち上げた。


     ◇


「……ありゃ?」


 いつもと違う部屋の様子に、俺は記憶の糸を手繰り始める。


 ……温泉で鼻血を出したところまでは覚えている。

 おそらくクライドが運んでくれたんだろうが、ここは例の高級宿ではない。

 思いのほか重症で、医者のところにでも運び込まれたんだろうか?


 ひとまず部屋の外に出てみようと思い、ベッドから這い出そうとしたところで、隣にある小山の存在に気づく。


「何だ!?」


 ひっぺがした布団の下から現れたのは……寝間着も髪も乱れ切ったダナの姿。

 己の所業を理解した俺は、清々しい気持ちなど一瞬のうちに吹き飛んで、さぁっと血の気が失せる。


 ……やらかしてしまった。


 このまま寝かせておくべきか、起こして謝り倒すべきか。どうしたものか迷っている間に、ダナは目を覚ましてしまった。


「……すまん」


 寝ぼけ眼のダナに向かって座り直し、シーツに額を擦り付ける。

 頭を下げる寸前に見えた何とも複雑な表情は、どう理解するべきなのだろうか。


「……起きたんだね」


 一切の感情が籠らない声に顔を上げるのが恐ろしく、俺はさらに深く額を埋める。


「……わたしはイネスの相棒だから。命を懸けるのは当然だし……まぁ、それ以外を差し出す覚悟もしているつもりだよ」


 何となく、怒りの深さだけは分かった。

 適当な詫びの言葉は逆効果になると考え、このまま最後まで聞くことにする。


「……だけどさぁ!どうして、一晩中頭を撫で回されないといけないんだよ!いい加減にしろよ、お前!どうすればいいんだよ、わたしは!ふざけるな!」


 ……まずい、最後まで聞いてもさっぱり状況が分からないぞ。

 とはいえ、このまま枕で殴られ続けていても事態は進展しない。

 俺は一旦凶器を取り上げて、今度はきちんと座り直す。


「……本当に済まなかった。どうしたら、許してもらえるだろうか?」


 まだまだ暴れ足りないようだが、ダナはふぅっと息を吐いて無理矢理に気持ちを落ち着かせた。


 ……そして、ぎりぎりと締め上げられる寝間着の襟首。


「まず、いい加減はっきりしてよ!イネスにとって、わたしは何なの?」


 まんまるの瞳に映るのは、とうに見飽きた間抜け面。

 そして、憤懣に代わって浮上した覚悟。まるで祈るような期待と、それより色濃い不安。


 観念した俺は、決定的な言葉を口にした。


     ◇


 俺の選択は正しかったようで、ダナはすっかりご満悦の表情。

 今後のことが思いやられるが、俺が負けてしまったのだから仕方がない。


 サイドテーブルの水差しから二人分注いでやると、ようやく素面に戻ったダナが詳しい事情を語り始めた。


 その内容は、想像を遥かに絶するもの。


 俺はとんでもない時間眠りこけていたようだし、大幅にはしょられた冒険譚でもその過酷さは十二分に伝わる。


「……派手に迷惑をかけたんだな」


 先ほどとは別の意味で、俺は深く深く頭を下げる。

 そこに振り下ろされる枕は、随分と柔らかいものだった。


「気にしなくてもいいよ。その代わり、わたしが危ないときにはイネスが頑張ってね」


 そんな事は言われるまでもない。

 口にした時点で、その覚悟は固めている。


     ◇


 迷惑をかけた人たちが待っているというので、弾むような足取りのダナに手を引かれて応接室に向かう。

 扉の前に着いたときに寝間着のままだったことに気づくも、まぁいいかと思い、そのまま扉を押した。


「……終わりましたか」


 そこで待っていたのは、姫様を中心にして居並ぶ大勢の人たち。

 見知った顔もあれば、面識のない使用人らしき人たちまで集まってくれている。


 柄にもなく涙を零しそうになるも、すぐに面々が浮かべる下品な笑いの意味に気づく。


 乱れた寝間着に、ぼさぼさの髪。疲労の色はあれど、ご機嫌の二人。

 ……誰がどう見ても、事後だ。


 何とか弁明しようと試みるも、ダナに脇腹をつつかれて中断させられる。

 まずは礼を言えということなんだろうが、早くも力関係が決定づけられてしまったような。


 ともあれ……


「あぁ……皆さん、大変ご迷惑をおかけしました。お蔭様で、このとおり無事に目を覚ますことが出来ました。本当にありがとうございます」


 二人揃ってお辞儀をすると、約一名を除いて、すなわちクライド以外から暖かい拍手が送られる。

 誤解は全く解けていないようだが、もはや言い出す機会は失われた。


 何とも面映ゆい気持ちで各々からの言葉を受けていると、人々を割って思いもよらない人物が姿を見せた。


「……お袋」


 いや、随分と長い間寝ていたわけだから、ここに招かれていても不思議はないが……

 冒険者になったことを直接知らせていないうえに、この小っ恥ずかしい状況。気まずいにも程がある。


 俺が何か言おうと口を開きかけるも、それは手のひらで制止された。


「イネス、おはよう。……私が言うべきことは、一つだけよ」


 開いた手のひらが俺の喉笛を捉え、分厚い扉に思い切り背中を叩きつけられる。


「責任を取りなさい」


 重厚な戸板が、瞬く間に腐り落ちた。

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