第8章 生命の惑星(前) 〜草原の追憶と蠢動する欲望〜
第1話 掃除屋と針モグラ
一日の仕事を終えた俺は、定宿の井戸を借りて作業着にこびり付いた汚れを洗い流す。
客は冒険者ばかりなのであまり気にする必要はないのだが、嫌味のような白さには赤の汚れが非常に目立つのだ。
「あ、『掃除屋』の兄貴も今帰りっすか。相変わらず、えげつない返り血っすね……」
適当な挨拶のあとに隣で装備を外し始めるのは、俺に懐いている新人冒険者たち。
初めて会ったときには『お掃除名人』と揶揄されたものだが、すぐさま便所送りにしてやったことで妙に尊敬を集めてしまったのだ。
……返り血ではなく自分の血なのだが、今さら敢えて口にする必要はないだろう。
鬱陶しく思いつつも少し誇らしく感じてしまう自分に苦笑していると、新人の一人が遠慮がちに歩み寄ってきた。
「あのぉ……また今度、稽古をつけて貰えないっすか?」
また今度と言いながら、できれば今すぐを期待する目の輝き。
俺は桶を下ろす代わりに、鮮血滴る羽根箒を担ぎ上げる。
「……仕方ないな。場所は、いつもの空き地でいいよな?」
あの人たちから受けた恩をこいつらに返すのは、ある意味で義務。さらに言えば、それが街一番の冒険者の責任でもある。
◇
半年にも渡る実家への長逗留で修行に目処がついた俺は、いつの間にか接収されていた装備の代わりが届いたのを機に、自慢の相棒とともに駆け出し向けの狩場を回り始めた。
多くの人々に迷惑をかけたあの出来事は、一重に俺の経験不足のせい。慢心も判断の誤りも、全てはそれに起因する。
辺境各地の拠点を巡って、一からの経験を積むと同時に、同世代の冒険者と己を比較して身の程の把握に努める日々。
単調ながらも確かな手応えを感じる冒険者稼業をこなすうちに、俺はどうにか名実ともに中堅を名乗れるようになったと思う。
……そろそろ、次の方針について相棒と相談する時期が来たのかもしれない。
◇
「お疲れ!血は足りているの?」
宿の一室に帰って来るなりそう問いかけるのは自慢の相棒、通称『針モグラ』の姉御。
その二つ名の由来は、今脱いだばかりのマントにびっしりと生えた刺々しい鱗。
正直、今のこいつには全くそぐわない二つ名なのだが、誰にも戦闘風景を見せていないために外見で判断されるのは致し方ない。
……俺たちには、秘密が多いのだ。
「むしろ、今日はかなり余ったな。いつものを頼む」
俺が手のひらを差し出すと、そこが浅く切りつけられる。そして、その上に載せられるのは、やつが身につけていたベルトだ。
青い硝子の装飾を握り締めると、傷口から音を立てて勢いよく血が吸い出される。
……自己に呪術をかける修行で症状が安定し、『適応因子』の暴走による発狂や人獣化の危険はなくなったのだが、血液が過剰に産生される問題は未解決のまま。
日々の産生量と戦闘で消費したぶんを計算して、余剰が多く出た日にはこうして吸い出す必要があるのだ。
「……本当にいっぱい余ったね。だいぶ呪術も上手くなってきたんじゃない?」
吸い出された血からはベルトに内蔵された機構により『適応因子』が抽出され、やつが戦闘する際の補助に使われている。
色々な意味で、俺と相棒の相性は最高だ。
◇
「……そうそう、こんなのが届いていたんだった」
そんな日課を終えて寛いでいると、ひょいと一通の手紙が渡される。差出人は、姫様。
本日の成果を売り捌きに行った際、相棒が商会から受け取って来たらしい。
かれこれ一年以上顔を合わせていないが、どんな要件だろうか。
「早く開けてよ!」
宛名は二人に向けてのものだったが、一緒に読むつもりだったのか手紙は未開封。
ベッドに寝そべる俺の背に、馴染みとなった体温と極々僅かな柔らかさがのしかかる。
無駄に豪華な封蝋を指で開いて手紙を読み進めていくと、どちらからともなく笑いが起こった。
「……これは、なかなか大仕事だな」
手紙に書かれていた要件は、遺跡探索の誘い。
目的地は『放牧場』の遺跡深層。かつて、駆け出しの俺が初めての遺跡探索に挑んだ場所だ。
「今のわたしたちの腕を試すには、ちょうど良い相手かもね」
頼りになる相棒が指差すのは、特記事項の欄。『人型の魔獣との交戦の可能性あり』の記述だ。
まともな冒険者なら即座に断る理由となる部分も、やつにとっては好奇心の対象に過ぎないらしい。
「返事は……相談するまでもないな」
お互いに乗り気なのは言葉にしなくても分かっているし、そもそも誘いという書き出しで始まった手紙の末尾には『強制参加』と太字で書かれていた。
◇
返事を出すより直接向かったほうが早いと考えた俺たちは、短い準備期間のあとに今の拠点を離れることにした。
見送りに来てくれた新人たちが地平に消えた頃、股の間から楽し気な声が聞こえた。
「みんな、どうしてるかな?」
今回の依頼は、姫様の陣営ほぼ全員が参加することになっている。
各地を飛び回っていた俺たちは、彼らの近況を把握し切れていない。
「テオは姫様の護衛で、クライドはおっさん連中の下についたんだったな……」
まだ実家にいた頃に届いた手紙には、たしかそう書かれていたはず。
俺より一足早く元気になったテオは、アリサと虎男に扱かれて、すっかり腹がへっこんだらしい。
クライドの筆圧から察するに、あの二人の仲にも進展があったのかもしれない。
「セレステさんとチャーリーは、相変わらずだろうけど……」
セレステは公国での人脈を活かして、ロディさんと一緒に諜報員じみた仕事もしているらしい。
チャーリーは……考えるまでもなく、また悪趣味な開発に勤しんでいるのだろう。
「誰が一番腕を上げたのか、楽しみだな」
俺たちも段違いに腕を上げたという自負はあるが、彼らだって負けていないはず。
教会に秘密で呪術を研究している姫様陣営の面々が、真っ当な鍛錬だけをしているとは到底思えない。
「……そういえば、この子のこと忘れてた。関所とか大丈夫かな?」
……それは失念していた。
俺たちが跨る、もう一匹の相棒。
チャーリーに謎の飼料を食わされた巨大な仔馬は、ある程度のところで成長は止まったものの、辺境の各地を巡るうちに異常に筋肉が発達し始めたのだ。
……そこらの魔獣より、よほど危険な生物なのだ。
そんなわけで、最近では『姫とともに奈落から召喚された乗騎』という意味の分からない噂まで立てられている。
◇
関所を姫様からの手紙の封蝋で強引に突破し、街道沿いにもれなく不穏な噂をばら撒きながら王国領内を順調に進む。
そして、数日の旅路を経て、俺たちはいつか振りの王都、もはやもう一つの実家とも言える姫様の屋敷を訪れた。
◇
「久しぶりだね!装備の調子はどうだい?」
先触れも出していないのに、姫様の屋敷の門前で待ち構えていたチャーリー。
俺の体調より先にそちらを気にする辺り、実に相変わらずだ。
「あぁ、二人とも全く問題ない。……見た目以外はな」
黒はやめろと注文したせいで、目にも眩しい白さに染め上げられた作業服。防具としての性能もさることながら、着心地も抜群で普段着としても常用してしまうほど。
王都入りする前にトゲトゲのマントを仕舞い込んだダナと違って、俺はそのままの格好で化け物馬に跨っていた。
したがって、大きな羽根箒を担いで二人乗りする俺たちは、すっかり『掃除屋』の宣伝だと思われてしまったのだ。
「うん、それは良かった。ダナ君たちが持ち帰って来てくれた例の知識のおかげで、研究は大いに進んでいるよ」
例の知識とは、もちろん呪術に関する情報だ。
これまで解析できなかった遺物のいくつかは、呪術の知識と照らし合わせることで説明がつくものだったらしく、その成果は俺たちの装備にも盛り込まれている。
……そして、俺の抗議はどうでもいいらしい。
「……そろそろいいか?とりあえず、姫様に挨拶しておきたいんだが」
鼻先をくすぐって馬への挨拶を続けるチャーリーに問いかける。
「姫様たちなら訓練場のほうにいるよ。この子を預けて一緒に行こうか」
……そういえば、いつぞやアリサと模擬戦をした空き地を姫様が買い取ったんだったか。
怯える使用人に筋肉の塊を預けて、俺たち三人は訓練場に向かった。
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