第5話 姫様のご命令

 わたしが恐れていたように、街の住民総出で襲って来るという事態にはならなかった。

 なぜなら、この『冒険者の街』は半年ほど前に放棄されており、住民と呼べるのは『髑髏党』を名乗るあのちんぴらどもだけだったのだ。


 ここを放棄した冒険者たちが行った先は、もちろん辺境のさらに奥。

 どういう経緯があったのかは分からないけれど、腕の立つ者から順に前線を押し上げに向かったとのこと。


 騒動が収まったあと、自室に招き入れてくれた『髑髏党』の頭目が、そんな事情を話してくれた。


「……そんな訳でして。あっしらの腕では先に進むのは厳しかったもんですから、ここに留まっていたんですよ」


 掘り起された頭目は、すっかり毒気が抜けたように大人しくなっていた。

 かつては虐げられる側の人間の集まりだったようで、街にいるのが自分たちだけになったことで調子に乗ってしまったらしい。


「……なるほど、そうなんだ。教えてくれてありがとうね」


 こちらを代表して頭目の相手をするのは、何故か気に入られてしまったわたし。

 さっきの大技がただの一発芸だったのはばれているようだけど、妙に度胸を買われてしまったのだ。


「で、その『活性因子』については、先に行ったやつらに聞いてもらうしかないですな」


 もちろん、頭目にも『活性因子』のことを尋ねてみた。

 『活性因子』という呼び名自体はチャーリーが決めたものだけど、この辺りの冒険者にとってはごく身近なものらしく、すぐに意味は伝わった。


 曰く、閉ざされた遺跡の内部や強力な魔獣の血肉に存在する特殊な物質。

 体内に適量を取り込むことで、負傷からの回復や肉体的、魔力的な成長を促す。

 また、体内に取り込んだ分を上手く操ることができれば、身体能力や魔術の威力を強化することも可能。

 ちなみに、うちのおっさん連中やペトゥラさんも、無意識にその技術を使っているらしい。


 そんな風に、わたしたちが正確に把握していなかった情報を得られたので、ここまで来た意味はあったのだけど……


「取り込み過ぎて狂ったり死んだりするやつは時々いますが、ただただ眠り続けるっていのは、あっしも聞いた事がねえ」


 残念ながら、あいつを目覚めさせる手掛かりとなる情報は得られなかった。


 ただ、前線を押し上げに向かった冒険者たちならもっと『活性因子』の扱いに慣れているはずなので、もしかしたら何か知っているかもしれないとのこと。


「あっしが知っているのは、そんなところですな。……そろそろ、いいですかね?」


 広場で開催中の酒盛りが気になって仕方がないようなので、改めてお礼を言ってから送り出す。


「……最前線の冒険者か」


 あの頭目にさえ、下っ端の振る舞いを染み付けさせるなんて……一体どんなやつらなんだろうか。


     ◇


 わたしたちとの揉め事をきっかけとして、『髑髏党』は下界に戻ることを決めた。


 出会いはアレだったけど、貴重な情報を貰えたことなので、わたしたちもきちんと見送りに向かう。


「そんじゃまあ、せいぜい頑張ってくださいよ。あっしらも姫様のご無事を祈っていますぜ」


 揉め事のあとにテレンスが冗談で言った姫様という呼び名は、一夜にして彼らの間で定着してしまった。


「みんなも頑張ってね。……下界の暮らしに馴染めるように」


 冒険者としての腕前のほうは、何の心配もいらない。

 だけど、長らく蛮族同然の暮らしをしていた彼らが、普通の街の暮らしに馴染むのには苦労するだろう。


「それはもちろん、『奈落の姫』の配下として恥ずかしくないようにさせていただきやすよ。もしまた会うことが会ったら、何でも命じてくださいよ!」


 わたしはすぐさま命令権を行使して、『奈落の姫』と呼ぶことと、配下を名乗ることを禁止した。


     ◇


 彼らの旅立ちを見送ったところで、テレンスが振り返る。


「で、これからどうするんだ?姫様よ」


 残念ながら、おっさん連中への命令権は持っていないので、大人しくこれからの事を考える。


 必要な情報が得られなかったので、ここからまだ先に進むのは当然として……選ぶべき進路は二つ。

 『燃える河』方面か、『大樹海』方面のどちからだ。


 『燃える河』はその名のとおり、溶岩が尽きる事なく流れる高温地帯。

 『大樹海』もその名のとおり、見上げんばかりの巨木と鬱蒼と茂る下草が行く手を阻む難所。

 環境は前者のほうが厳しいけど、魔獣は後者のほうが手強く、総合的な難度は変わらないらしい。


 先に進むことを選択した冒険者たちは、そのいずれかに向かって行ったらしいのだ。


「……『燃える河』かな?」


 わたしはしばらく悩んだあと、そう決断を下す。


 どちらも厳しい道のりになるのは間違いないけど、樹海の中で当てもなく他の冒険者を探すのは困難極まりないだろう。

 対して、『燃える河』は冒険者たちの行く手を長らく阻んでいた場所。幾人かにはそこを越える算段があるのだとしても、河岸で立ち往生している冒険者もきっといるはず。


「それなら、私も頑張らないとね!」


 もちろん、ペトゥラさんの魔術も大いに当てにしている。

 特に、環境への対応という点では彼女に頼りきりになるだろう。


「じゃあ、早速準備を始めるか。馬車はここに置いて行くとして……あいつらが残していった荷物も確認しねえとな」


 嬉々として荷物の整理を始めるおっさん連中に、臆したところは見られない。

 過去にこの辺りまで来たことがあるテレンスだけじゃなく、ランダルさんとレンデルさんもだ。


 魔獣がだんだんと強くなり始めた当初、二人はテレンスの活躍を前に気圧されていた。

 でも、しばらくすると触発されたようにテレンスに並び立って果敢に戦い始めたのだ。

 ……単に奮起したとかではなく、見違えるような動きで。


 初めての冒険に赴く新人冒険者のように楽し気に話し合うおっさん連中を見て思う。


 ……『願い』の力、そして『活性因子』。どうやら、本当に精神論ではないみたいだ。


     ◇


 準備を終えたわたしたちは、元『冒険者の街』を離れて徒歩での移動を開始した。


 荷物はなるべく減らしたものの、それでも五人分の野営装備ともなるとかなりの重さ。

 それをわたしは背嚢と荷車で一手に運ぶ。


 『髑髏党』が残していってくれたこの荷車は、べつに重量軽減の機構などはついていないけれど、とにかく頑丈で悪路にも対応している。

 耐熱性が高いという汚い毛皮もあったけれど、そちらはまだ身につけずに仕舞ったままだ。


「……俺らも手伝ったほうがいいんじゃねえか?」


 レンデルさんが手を出そうとするが、わたしは断る。

 たしかに結構疲れるけど、この先は戦える人間の手を空けておきたい。


 それに……


「これはこれで、何か楽しいです」


 荷物運びなんて、『帝国砦』にいたときには散々やらされた。

 もちろんそのときは楽しいなんて思いもしなかったけれど、今は違う。


 わたしでも多少は役に立っているという充足感。それもあるけれど、全てではない。


 辺境の深部という、並の人間ならまず目にすることはない景色。そこに自分の足跡を刻んでいるということ。

 大小様々な岩がごろごろと転がる不気味な荒野なんだけど……それがむしろ、わたしを無性にわくわくとさせる。


 こんなところで油断するわけにはいかないし、旅の目的を見失うわけにはいかない。

 でも、何となく、この気持ちはそのままで良いように思う。


 そんな事を考えていると、荷車を牽く手にも自然と力が入ってくる。

 ……申し訳ないけれど、お父さんの子供は冒険者だったみたいだ。


「……寝過ごすなんて、馬鹿め」


 遠く離れた地で、今も眠りこけているだろう間抜けな男の寝顔を思って、少し笑った。

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