第6話 灼熱の大地

 まだまだ『燃える河』なんて見えないけれど、気温は上がる一方。

 試しに『髑髏党』に貰った毛皮を羽織っては見たものの、却って暑かったので時々ペトゥラさんに出してもらう霧で凌いでいる。


 目に入る植物はかさかさに乾いた苔や、ぽつんと立っている枯れ木ぐらいの死の荒野。


 ……でも、こんな場所にも魔獣は棲息している。


     ◇


「くそ!きついな、こりゃ」


 おっさん連中が血まみれになりながら立ち向かっているのは、頭目から聞いていた強敵の一つ。鎧陸ヒトデ。

 ちょっとした小屋ほどもある巨体は鉱物質の鱗に覆われており、攻撃を加えることはおろか、近づくこともままならない。


 お腹側が弱点ということは分かっているので、ランダルさんが槍で何とか捲り上げようと苦心しているのだけど、うにうにとした動きで巧みに躱されてしまう。


「退くんだったら、早く決めてね!」


 ペトゥラさんは、うじゃうじゃと湧いてくる赤ちゃんヒトデを吹き飛ばすのに手一杯。

 擦り下ろされたおっさん連中の治療も出来ていない。


「……わたしがやってみます!」


 戦力的に限界が近づきつつある状況。


 当然、逃げることも視野に入れるべきだけど、そう容易く進路を曲げていては一向に目的地に近づけない。

 これまで戦いには参加しなかったので、わたしには体力的にも魔力的にも余裕はある。

 この状況なら、足を引っ張らないようにさえ気をつければ、わたし程度の実力でも役に立てるはず。

 

 ……何より、色々と理由はつけてみても、やっぱり見ているだけというのは鬱憤が溜まるのだ。


 荷車から少し離れて、熱い地面にピッケルを突き立てる。

 思い出すのは、『救いの御手』を使ったときの感覚。


 わたしも『孤島の遺跡』での冒険と、辺境に来てから食べた魔獣の肉で、多少は『活性因子』を取り込んできている。


 目を閉じて、お腹の底の熱に意識を集中させる。

 ……これがそうなのかは分からないけど、今はそうだと信じる。

 渦巻く熱に願いを乗せて、地表の下に細い管を伸ばしていく。


「……大丈夫なの?」


 わたしの額に浮かぶ汗に、ペトゥラさんが心配気な声をかける。


 地面を伝う振動か、魔力の高まりか。どちらに反応したのかは分からないけど、ヒトデがわたしに注意を向ける。


 その移動速度を計算したうえで、想像するのは落とし穴じゃなくて火山の噴火。

 本の挿絵でしか見たことないけれど……そんなことはどうでもいい!


「……ぶっ飛べ!」


 わたしが目を見開くと同時に炸裂した大地は、ヒトデの巨体を天高く舞い上がらせた。


     ◇


 浜に打ち上げられたように藻掻く大ヒトデは、柔らかいところを滅多刺しにされて絶命する。

 親を倒された赤ちゃんヒトデたちは、仇を打とうとすることもなく、岩の隙間に消えていった。


「やるな、姫様!あいつが寝ている間に完全に超えちまったな」


 ランダルさんが例の如く、わたしの背中をばしばしと叩く。


「まだまだ、です」


 元より負けているつもりはないけれど、わたしはまだ冒険者になったばかり。

 この程度を自分の限界とするつもりなんてない。


 ……それに、わたしの力をあいつに見せつけてこそ初めて意味があるのだ。


     ◇


 岩石だらけの荒野の様子が、また少し変わる。


 比較的平らだった地面にスプーンでくり抜いたような窪地が現れ始め、結局わたしたちは頻繁に進路を変更せざるを得なかった。

 突っ切れないこともない深さだけど、どうも見えない毒霧が溜まっているらしい。


 気温の上昇も激しく、汗だくになるのを通り越して肌がじりじりと炙られる。

 止む無く、みんなして臭くて汚い毛皮を頭から被る。


 体力的にも精神的にもぎりぎりのわたしたちを繋ぎ止めるのは、先行した冒険者たちが残した活動の痕跡だ。

 窪地の縁に沿って残る足跡や、人の手によって屠られたと思われる魔獣の死骸。

 目的地に近づいているという実感を原動力とし、何とか足を動かす。


 繰り返される死闘と、気を抜き切れない短い休憩。

 もはや会話をする余力はないけれど、そのおかげで誰も弱音を吐かなかった。


 そして……


     ◇


「……見えた」


 小高い丘の頂上に並び立ったわたしたちの顔が、彼方から届く熱風と輝きで赤く染められる。


「あれが『燃える河』かよ。……ちょっと想像と違ったな」


 レンデルさんの言うとおり、丘の向こう側に広がる光景は、わたしたちの想像を遥かに超えた凄まじさだった。


 『河』という名前から、幅広で穏やかな一本の流れを想定していたけれど、あれはそんな生易しいものじゃない。


 地の果てまで続く横真一文字の断崖の遥か下方、どこまでも広がる荒野をのた打つ赤い激流。

 どういう理由かあちこちで爆発を起こしており、飛沫と黒煙を辺りにばら撒いている。

 複雑に分岐した支流が形作る巨大な迷路には、出口や正解の道筋どころか入口すら全く見出せない。


「先行した冒険者たちは、全員ここを越えて行ったのか……?」


 当然の疑問だけれど、道中に残された痕跡は、その事実を確かに指し示している。

 足止めされている冒険者も、迂回路や橋も一切見当たらない。


 ……本当に、どうなってるの?


「私たちがここを越えようとしても、たぶん熱さで身体が保たないわね」


 たしかに、これ以上進めばペトゥラさんの霧でも追いつかないだろう。


 チャーリーなら、あそこを越える手段も高温対策も何とか出来るかもしれないけど……今そんなことを考えたって、どうにもならない。

 

「……ごめんなさい」


 『燃える河』方面に向かうことを選択し、みんなに何日もの過酷な行軍を強いたのは、わたしの責任だ。

 あまりの申し訳なさと手掛かりがこぼれ落ちた落胆に、わたしは深く深く項垂れる。


「いや、俺たちにもどっちが正解か分からなかったんだ。どの道、当てずっぽうで選ぶしかなかっただろう」


 ……それはそうだけど、わたしがその流れを作ったのには変わりない。


 依然としてしょんぼりするわたしに、ランダルさんが豪快な笑い声を上げる。


「その辺は、やっぱり駆け出しだな。魔獣狩りでも遺跡探索でも、冒険者稼業には空振りなんて付き物だ。お前もあいつも、今まで上手くいき過ぎなんだよ」


 ……思い返せば、わたしたちは確かに恵まれていた。

 駆け出しとしては異例なほどの成果を出してきたのは殆ど幸運によるところだし、こんな風に慰めてくれる気のいい先輩たちに出会えた事だってそうだ。


「それに、まるっきり無駄足だった訳でもないみたいだぜ。ほら、見ろよ」


 テレンスが『燃える河』に背を向けて、斜め後方を指差す。


 丘に登ったおかげで開けた視界の端には、久々に目にした深い緑の色。

 ……移動中は気づかなかったけど、『大樹海』はこんな近くまで広がっていたのか。


「……あっ!」


 荒野と森林の境界から少し分け入った奥。


 ここから見ても分かるほどに常識外れな巨木の傍から、幾筋かの白い煙が立ち上っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る