第12話 泥にまみれて
腸を溢れさせながら茫洋とした表情で立つエノーラ。その顔色は新雪と変わりなく、死んでいるのは明らかだ。口元から垂れる赤いものは、血ではなくあの不気味な粘液なのだろう。
そして、片手に持つのは悪趣味な杖。あれのたちの悪さはよく知っている。怪鳥どもが拾ってきやがったのか……
一直線の大階段。あれに背を狙われながら逃げ切るのは無理だろう。誰かが対処に向かわなければならない。
「エノーラちゃん!」
クライドが悲壮な表情を浮かべて階段を踏み出す。思うところはあるだろうが……
「お前はセレステと二人で前の三人組の相手をしろ!」
足の遅いクライドでは、あそこに辿り着くまでに狙い撃ちだ。魔力が乏しく攻め手に欠くセレステも適任とは言えない。
そして何より……
「……返してもらうぞ」
それは俺の数少ない財産だ。
◇
「頑張って!上で待ってるわよ」
セレステが激励とともに強壮薬の瓶を投げてきた。それを受け取り階段を駆け下りる。
本当に待っててくれるかは知らないが……まぁ、それならそれで文句は言うまい。あちらはあちらで死線なのだ。
掲げられる不気味な杖。頭骨の視線の先を予測して、横っ飛びに躱す。
照射するごとに溜めのような動作をとるところを見ると、どうやら蓄積された魔力ではなく自前の魔力で発動させているらしい。
そのせいか呪いの照射間隔は長く、余裕を持って対処できているが……
「くそ、足場が悪い」
元より下り階段であるうえに、多数の障害物と足元のぬかるみ。思うように速度を上げられない。
このまま根気よく距離を詰めていくことは可能だが、広間を塞いだ圧雪の壁がいつまで保つのか分からない。
短期戦を決意し、壁に足をかけた。
「……行くぞ」
壁にへばりつく……のではなく、垂直に立つ。鼻で笑って見下ろされるのが悔しくて、密かに練習はしていたのだ。あいつほど自由自在にとはいかないが、短時間なら何とかなる。
体幹の悲鳴を根性でねじ伏せて、重力を無視した突撃を開始した。
◇
床、壁、床、反対側の壁。無茶苦茶な走路で階段を駆け下りる。半ば転がり落ちるようにして距離が詰まり出すと、呪いの照射が目に見えて減り始めた。
……乱射から狙撃に切り替えやがった。
着地の寸前に飛来した呪いが蟹爪に直撃。腕の骨ごと粉砕される。涙を堪えてひしゃげた蟹爪を放り投げる。
目測を誤ったわけではない。明らかに照射の威力も範囲も拡大している。
風術の併用とは、多芸な死体だ。
やつが立つ踊り場まであと二十段といったところ。このまま距離が縮まれば躱し切れなくなる。
勝負に出るしかない。
「食らえっ!」
足元の泥を掴み壁に向かって跳躍。再装填の隙を狙って投擲する。真正面から放った泥の塊は杖の髑髏で呆気なく打ち払われた。
……そりゃ、そのくらいやるだろうさ。
過剰に冷却された泥は着弾するなり瞬く間に凍結。頭骨をべったりと覆い尽くす。呪いの威力を受け止められるほどではないだろうが、これで狙いは狂うはず。
いや、狂わなくても知ったことか!
「うおぉっ!」
己の迷いを吹き飛ばす咆哮。一直線に壁を駆ける。エノーラが凍った泥を砕き終えたとき、俺はすでに宙空で後ろ回し蹴りの体勢。
速射の呪いを迎え撃つように渾身の一撃を放つ。
「きっちり死んどけ!」
凶悪な刃が生え揃ったブーツは呪いを打ち破って真っ白な顔に直撃。頭部ごと遥か彼方に吹き飛ばした。
◇
泥で滑って着地は盛大に失敗。顔面から踊り場に突っ込む。床だの壁だのを跳ね回っている間にすっかり泥だらけなので、汚れなど今更だ。
目立った負傷は砕けた左腕のみ。全身の筋肉も軋みを上げているが、いつの間にやらその程度は怪我に勘定しないようになってしまった。
とはいえ、階段の上を見れば、泥混じりの『霧氷結界』が視界をさえぎっている。あちらはまだ交戦中らしい。念のために強壮薬を服用しておく。
……短時間のうちに二本目の服用、副作用は大丈夫だろうか。
傍らには仰向けに倒れた頭部のない死体。余裕が無く仕方なかったとはいえ、可哀想なことをしてしまった。クライドに見せるのは酷だが、あとで遺品でも回収するだろう。
しかし、それよりも先に回収しなければならないものがある。
「……悪いな」
今なお死体の手に握られた不気味な杖に腕を伸ばす。それに指先が届く前に、俺は吹き飛ばされた。
◇
壁に背を叩きつけられ、ずるずると尻餅をつく。眼前には、はしたなく片脚を上げる首なし死体。思いっきり腹を蹴り飛ばされたらしい。首の断面では赤い粘液が蠢いている。
「大人しく死んどけよ……」
悪態をつく俺に向かって振り下ろされる髑髏。この体勢では躱しようがない。止む無く右の蟹爪で受け止める。
「ぃぎっ!」
どう跳ね返ったのか、反対側の壁まで弾き飛ばされる。得物が振られる速度と威力が釣り合っていない。
くそ、破壊力増強の機構まで使い熟しやがるのか……
今の一撃で蟹爪は完全に粉砕。右腕のほうも骨折どころか肉ごと叩き潰されて少し長くなってしまっている。
床と壁で弾んだ勢いで偶然立たたされているが、脚を動かすどころじゃないぞ。少しでも身じろぎすれば、激痛で蹲ってしまう。
ご丁寧なことに、止めは遠距離からの呪いにするらしい。首なしエノーラは両手で握った杖を高く掲げて魔力を高めている。
階段の上では、未だ『霧氷結界』が続いている。セレステはまだ無事らしい。クライドは大丈夫だろうか。
……悪いが、時間稼ぎはここまでだ。
色々と覚悟を決めた途端にこの結末。世の中ままならない。
今際の瞼に浮かぶのは、やっぱりあのもじゃもじゃだった。もっと他に、アリサとか姫様とかいるはずなのに。
……最期まで小憎たらしいやつだ。
処刑の準備が整い、俺の心臓に突きつけられる髑髏の杖。せめて最期は前のめりに逝ってやる。
「うおぉっ!」
俺の末期の叫びに先んじて響くクライドの野太い声。一本の槍のようなものが『霧氷結界』を切り裂いて飛翔してくる。
髑髏の杖を弾き飛ばしたのは、先端にどでかい氷球がくっついた枝だった。芸が細かいことにとげとげまで生えている。
……あいつら、余裕があるならさっさと突破して逃げればいいのに。
思わず笑みが溢れる。人生を振り返っている場合じゃないらしい。
この期に及んで強壮薬が効果を発揮し始め、全身の負傷がぐずぐずと音を立てながら修復されていく。副作用のせいか、渦巻く熱で腹の底が焼けるようだ。
「死んでたまるか!」
何の捻りもない心からの叫び。痛みを無視して走り出す。
◇
取り落とされた杖を奪いに向かうも、あと一歩のところで間に合わない。仕方なく氷球の棒を拾い上げる。
……俺もそっちがいいのだが。
そこからは泥臭い至近距離での殴り合い。見た目だけはよく似た得物を振るって、互いの身体を破壊し合う。
髑髏の機構は未だ有効。頭部に触れないように、柄の部分を身体で受け止める。受けた損傷はすぐさま修復され始めるが、全身が炎上したように熱を発し出す。
相手も完全に防御を捨てている。氷球のとげに肉を削られるのもお構いなし。攻撃の反動で自壊しながら打ち返してくる。
とうとう両者の膝が同時に粉砕。まぐわうようにもつれ合って、泥の中を転がる。壁にぶち当たって回転が止まったとき、上にいたのは俺だった。
「いい加減死ね!」
逆手に持った棒で心臓を押し潰そうとする俺に、ずたぼろの死体が必死に抵抗する。
僅かに力が緩んだかと思えば、腹の下から突きつけられる髑髏。咄嗟に左手で掴むが、腕を伝う衝撃が俺の内臓を搔きまわす。
死体に血反吐を撒き散らしながら笑う。何が「死ぬ覚悟は出来ている」だ。散々偉そうな事を言っておきながら、こうして泥にまみれて足掻いている。
かつての俺は、こんなに諦めが悪い性格ではなかったはず。なし崩しの冒険者稼業を続けるうちに変わってしまったのだろうか。
胸の内にあるのは、闘志だとか仲間を思う気持ちだとか、そんな上等なものじゃない。
ただただ未練と後悔だけ。
……優柔不断に生きて来たツケだ、仕方がない。
もはや思考が途切れ途切れの俺の頭で、あいつの無邪気な声がこだまする。
「がぁあっ!」
それしかないなら、それをぶち撒けるより仕方がない。ねばつく泥のような感情と全身を駆け巡る灼熱。意味を成さない叫びとともに、全部まとめて爆発させた。
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