掬い上げる未来

 揺すっても駄目。抓っても駄目。鼻を摘んでも駄目。

 最近の日課を繰り返したあと、わたしは涙の跡が残るシーツに拳を振り下ろした。


「……ねぇ、もうお終いなの?」


 今日の返事も、気持ち良さ気な寝息だけ。

 一体どんないやらしい夢を見ているのか、むにゃむにゃと動く口元と、むにむにと動く指先。


 ……本当に腹立たしい。


     ◇


 さすがに身体が保たないことを理解したわたしは、時間通りに食堂に向かう。

 いつもと同じ、味のしない豪華な料理を乱暴にお腹に押し込む。


 一息ついて、またあの客室に戻ろうとしたところに、エルバートさんがわたしを呼びに来た。

 何やら姫様がお呼びとのこと。


 連れられて向かう先は、姫様の居室じゃなくて会議室。

 いつもと違う段取りに、嫌な予感が込み上げてくる。


 ……あいつが眠ってから、もう一ヶ月近い時が流れている。

 お金の事は気になさらない姫様でも、何かの決断を下すには十分な時間だ。


 でも、だからといって話を聞かないわけにはいかない。

 わたしは胸に刺すような痛みを感じながら、エルバートさんの後に続いた。


     ◇


「来ましたね」


 会議室でわたしを出迎えたのは、姫様だけじゃなくて、ランダルさんとレンデルさんの兄弟に、テレンスを加えた合計四人。

 ……わたしが思い切り蹴り上げたこともあり、あいつとは少々気まずい。


「さて、では始めさせていただきますね」


 わたしの戸惑いを他所に、姫様の説明が始まる。


「今回お願いしたい仕事は、物資の輸送と情報収集です」


 そりゃ姫様はあいつの事を気にかけているばかりとはいかないだろうし、他に仕事もあるだろう。

 ……でも、わたしをここに呼んだ理由がさっぱり分からない。


「運ぶ物は高級酒。向かう先は、あの『冒険者の街』です」


 『冒険者の街』。その名前は耳にしたことがある。

 辺境探索の最前線、その一歩手前。各地から集まった凄腕の冒険者たちが、彼らだけで運営している最高峰の拠点だ。


「この依頼の難度は、皆の想像する通り。ですから、わたくしの考えうる中で出来る限りの人材に声をかけさせていただきました」


 ……ますます意味が分からない。


 そこまでの手間をかけて、運ぶ物は酒。費用に見合うだけの対価があるとは思えない。

 そもそも、出来る限りの人材というのに、わたしが含まれるはずがない。


「参加していただきたいのは、ランダルさんご兄弟にテレンス。ここに居ないもう一人は後日紹介しますが……あぁ、ダナは強制参加です」


 さすがにもう黙っていられない。


 仕事の難度以前に、わたしがこの屋敷を離れられないのは姫様も良く知っているはずなのに。


 抗議の声を上げようとしたわたしに、姫様が手のひらを向けて発言を制止する。


「……貴女には、行く理由があるでしょう」


 いたずらを仕掛けたときのような笑顔を見て、ようやく姫様の気遣いを理解する。


 ……あいつの症状については、わたしも聞かされいる。

 『活性因子』による原因不明の昏睡。手元にある情報では手の施しようがない、と。

 手掛かりがあるとすれば、散々遺跡探索を繰り返した冒険者たちがいる、最前線近くに他ならない。


「せっかくの機会ですから、若手にも経験を積ませたいのです。アリサにはテオの看病がありますから、貴女しかいないでしょう」


 姫様の取ってつけたような言い訳も、もう耳には入らない。


 このままただ待つのなんて、わたしの性には合わない。

 ……何より、これ以上あの腹の立つ寝顔を眺めていると、目覚めさせるどころか絞め殺してしまいかねない。


 大きく深呼吸すると、お腹の底に炎が灯ったような気がした。


「……行かせてください!」


 あいつが気持ち良く寝ている間に、相棒のわたしが一足先に最前線に乗り込んでやるのだ。



 

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