エピローグ
草原に燻る炎を避けながら走る俺たちの後ろから、微かに馬蹄の音が聞こえ始めた。
「……キーロンの野郎が動いたようだぞ」
俺の背中で意識を取り戻したテレンスが、苦しげに呟く。あとで治療してやらねば。
しかし、あいつら馬まで持ち込んでいやがったのか。三十人の騎兵ともなれば、その戦力は相当なものだ。
準備万端な姫様のことだから、心配ないとは思うが……
これから何が起こるのか分からないが、何にせよ巻き込まれてはたまらない。
抵抗の意思を見せないテレンスの縄を解いて、三人で走る。
◇
野営地の前で待ち構えていたのは、ランダルさんとレンデルさんのご兄弟。螺旋の穂先を持つ槍と、蛇腹状の刃がついた手甲をそれぞれ携えている。
……あいつ、何で俺の武器だけおかしな形にしやがるんだ。
「急げ、もう始まるぞ!」
再会を喜ぶ言葉を交わす間も無く、大声で叫ぶランダルさん。指差す先は野営地の奥の大きな小屋。
今更、籠城するのか?
首を傾げながらも走り続け、小屋の前に辿り着く。今度の出迎えは姫様だ。
「首だけでいいと言ったはずですが?」
随分と物騒な冗談に冷や汗が流れる。
……冗談だよな?
「……まぁ、いいでしょう。色々と楽しい話が聞けそうですし、首から下にも値打ちがありそうです」
良かった。連れてきた手前、ここでこいつを殺されてしまうのは寝覚めが悪い。
「ともかく、皆さん早く中へ。そろそろ獲物も近づいて来ておりますし」
もはや獲物呼ばわりの襲撃者たち。心の中で手を合わせつつ、姫様に従って小屋の中に入る。
◇
「何じゃこら……」
思わず呟くテレンス。俺も全く同感だ。
草原に建てられた急造と思しき小屋の内壁は、分厚そうな金属板で隙間なく覆われていた。半地下になっているせいで、外観からの印象よりも遥かに広く感じる。
あちこちに何かの装置が取り付けられており、何処かの遺跡に迷い込んだような気持ちにさせられる。
「さて、ではダナは下で報告を。そちらの方も話を聞かせてください」
まだ地下まであるらしく、姫様はダナを、ランダルさん兄弟はテレンスを連れて階段のほうに去っていく。
代わって姿を見せたのは、憎たらしい友人のチャーリーだ。
「久しぶりだね。まぁそんなことより、ここは凄いだろう!」
まだ襲撃を受けている最中なのに、相変わらずの男だ。
「……これだけ守りを固めていたのなら、立て籠もっていれば済んだんじゃないのか?」
俺の当然の疑問に、苦笑いで答えるチャーリー。
「姫様がアレの具合を実戦で試してみたいと仰せでね。それに……私も試してみたいものがあったのでね」
そうだった。おそらく本日最大の出し物がまだ残っているはずなのだ。
俺が口を開くより早く、チャーリーが窓を指差す。
「そろそろ始めるよ」
炎上する野営地を前に、陣形を整える騎兵たち。キーロンが声を張り上げている様子も見える。
彼らに向かって、小屋の屋根に設置されていたあの尖塔が轟音を立てて倒れ始めた。
◇
あれは砲台だったのか?!……チャーリーが胸を張っていやがる以上、そこから撃ち出されるのは只の砲弾であるはずがない。
どんな凄まじい威力なのかと思い身構えていると、ぷしゅっと気の抜けるような音とともに人の頭ほどの球体が山なりに放たれた。
騎兵たちの遥か頭上で炸裂したそれは、濃い桃色の煙を辺りに撒き散らす。
致死毒……ではないだろう。そんなもの、チャーリーはとっくに通り過ぎている。
目を凝らして様子を窺うも、立て続けに撃たれた球体が吐き出す煙により、外は全く見えなくなっている。
「あれは例の液体から精製した媚薬、『羊たちの宴』の試作品だよ。姫様の資金源にしようと開発したものなんだけど、まだそういう用途では使えないんだ」
こいつ、何てものを使いやがるんだ。確かにやつらの平常心は奪えるだろうが、女性が多いこちらの陣営には不利に働きそうな……
「あぁ、その心配はいらないよ。あれはまだ効果が強烈過ぎて、同性も動物も見境なしなんだよ」
あまりの悪辣さに、俺は絶句する。裏切って本当に良かった……
◇
煙の奥で始まっているだろう地獄の宴には意識を向けないようにして、チャーリーと馬鹿話。
次の武器について相談していたところに、セレステが上がってきた。
「……お疲れ様」
怪我こそなさそうだが、こいつも随分くたびれている。
「ハリーはあのアリサって子が生け捕りにしたけど、シリルには逃げられたわ」
やはりアリサが勝ったか。セレステにしても、格上相手に十分な戦果だ。
「あの姫様、お淑やかそうなのに……一体、何?訳のわからない薬をお腹いっぱい飲まされたんだけど」
吐き気を堪えるようにしているのは、そのせいか。おそらく魔力を回復する薬か何かなのだろう。
チャーリーも、そういう真っ当なものだけ作っていればいいものを……
◇
セレステにチャーリーを紹介してやっていると、今度は猫仮面が現れた。姫様への報告はもう終わったらしい。
ついでにこいつも紹介してやろうとして、ふと気づく。
「……それ、いつまで着けているんだ?」
いや、むしろ何だそれは?と問うべきか。
「あぁ、忘れてたよ」
軽い言葉とともに露わになる、久方ぶりの相棒の顔。俺は必死に動揺を押し殺す。
もじゃもじゃが萎んで艶々の巻き毛になっているのには気づいていたが、どういう訳か随分と肌が白くなっている。
……以前はどれだけ垢まみれだったのだろうか。
にっと笑うその顔は、取り立てて美人でもない愛嬌のある中性的なものだ。しかし、何やら纏う雰囲気が違うせいか、今のこいつを見て性別を間違える者はいないだろう。
何て小癪な……
「あら、可愛い子ね。私はセレステで、これが相棒のイネスよ」
……おい、その紹介の仕方はまずい!
愛嬌のある顔からすとんと表情が抜け落ちる。再び装着される猫仮面。
そうして、本日最後の死闘が幕を上げた。
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