第11話 遥かなる放牧場

 音もなく拳一つぶんほど沈み込んだ壁は、音もなく横にスライドする。

 扉の面積は思いの外広く、開口部の大きさは俺たち四人が同時に中を覗き込むのに十分だった。


「…………おぉ」


 目の前の広がる光景に、テオとアリサは感嘆の声を漏らす。

 かく言う俺も、驚きを隠せない。


「……広いね」


 ダナも呆けたように呟く。まぁ、最初に抱く感想としては当然それだろう。


 それなりの広さを持つ中央区画。ここもまた迷路のように通路が張り巡らされていると覚悟していたが、意に反して金属の壁が一切存在しない一続きの空間だった。

 大広間と呼ぶには些か広過ぎる円形の領域には、外周に沿う足場があるのみで、それ以外の箇所には床すらない。


「……昇降機があったわね」


 大穴と呼ぶには些か広過ぎる虚空の中心には、透明な筒が数本屹立している。たしかに、あれはいずれも超大型の昇降機。

 それに巻きつく管のいずれかは、きっと地上の噴水に赤黒い液体を供給しているのだろう。


 この階層からは乗り降りできないようになっているのか、昇降機に続く足場は作られていない。

 あそこに向かうには、虚空を渡る手段を用意する必要がある。が、それ以前に……


「くそ、焦らしやがるな……」


 悪態をつくテオが、眼前の壁に拳を打ち付ける。


 ……俺たちが隠し扉より進入した場所もまた、透明な壁に隙間なく囲まれていた。


     ◇


「……これは、やっぱりアレだね」


 過去に潜った遺跡で何度か目にした透明の素材。姫様が持つ障壁の魔術具のような効果が常時発揮されており、遺跡が生きている場合には破壊は不可能だ。

 ……俺の『脆化』の呪術は透過するのだが、その後の物理的干渉が届かない。


 ロディさんの『呪術破り』なら何とかなるかもしれないので、後日試してみてもらうとして……


「とりあえずは、あっちだな」


 透明の箱の中には、人形が通ったと思われる下層へ向かうスロープも存在する。

 風術による見立てでは、おそらく五層ほど下まで続いている。


 その先にあるのは食糧倉庫か、あるいは人形どもの待機場所か。

 それぞれの消耗度合いを考えると、このまま探索を続けるのか悩むところだ。


「俺はいけるぜ」


 本日まだ働きが少ないテオは元気いっぱい。ダナも血を補給してやれば問題ないだろう。

 アリサも……チャーリーに貰った強壮薬の小瓶を取り出しているし、大丈夫か。


「よし、じゃあ軽く見に行ってみるか」


 ……下層の状況次第では、またチャーリーに何か作ってもらわないといけないからな。


     ◇


 螺旋で始まったスロープは、何周か回るとすぐに一直線になった。

 向かう方向は、中央区画の外。どうやら、この先の第八層は少し趣が違う構造らしい。


 鼠の気配も人形の足音もなく、俺たちの行く手を遮るものは何もない。

 唯一、気になるのは……


「……空気が上手い」


 顔に当たる風には獣臭も腐臭も埃っぽさもなく、下層に向かうにつれて僅かに濃くなっていたはずの『適応因子』すらほぼ皆無。

 これを安全と見做すべきか、危険と見做すべきか。現段階では判断がつかない。


「明かりだ!」


 先頭を軽快に駆けていたテオが歓声を上げる。

 そのまま飛び出して一人で……というような愚かな男ではないので、きちんと後続を待ってくれた。


「……まさか、外じゃないわよね?」


 まるで錯乱したかのようなアリサの台詞は、空気に混ざる微かな草の匂いを敏感に感じ取ってのこと。改めて見れば、前方の光も自然光のように思える。

 広大な部屋だということだけは確かだが……


「…………」


 どういうことかと視線で問われるが、俺もダナも答えを持ち合わせていない。


 ……あの柔らかい光は、かつて見た『裏山の遺跡』の食料生産設備の照明に似ている。

 しかし、あそこは実験室に並んだ棚で野菜を栽培しているような場所。こんな訳の分からない状況ではなかった。


「……まぁ、実際に見てみるしかないか」


 魔獣を狩って素材を剥ぎ取る。あるいは、荒らされた遺跡をさらに踏み荒らして金目のもの漁る。

 そんな仕事が主の冒険者稼業で、こんな未知に触れる機会など稀なのだ。

 ……せっかくの機会、楽しまなくては勿体ない。


 俺たちは肩を並べて、スロープの終端に立った。


     ◇


「……まさか、外じゃないよな」


 あんぐりと開いた俺の口からも、思わず錯乱したような台詞が転がり出る。


 遥か彼方まで広がる、胸の高さを越える草叢。うねるように連なる丘……というか小山。

 頭上には澄み切った青空と燦然と輝く太陽……に見間違えそうな青塗りの天井と巨大な照明。

 スロープが繋がっていた背後の壁だけが場違いな金属の光沢を放っており……その左右の果ても見えない。


 縮尺こそ狂っているが、あの『放牧場』をそのまま地下に再現したかのような光景だ。


「神代人って、馬鹿なのか?」


 テオの呆れた溜め息に、一同揃って苦笑する。

 馬鹿げた労力を費やしてこんな施設を作るくらいなら、それこそ地上の『放牧場』に住めばいい話だ。

 神代人の地底好きは、本当に度を超している。


「……地面も本物の土だね。たぶん、何層ぶんもずっと土だよ」


 草叢に完全に埋もれていたダナが、ぴょこんと頭を出す。

 言わずとも地中を探っていてくれたらしい。


「じゃあ、その土と草は少し持ち帰るとして……」


 小山の麓には人形が歩いた獣道の痕跡があるが……


「まぁ、山登りよね」


 ひとまず、ここの全容を見てみないことには、今後の方針の立てようがない。


     ◇


 馬鹿げた背丈まで育った草の中を歩くのは苦労したが、俺たちは何とか丘の頂上に到達した。

 ……テレンスがいれば楽だったのにとダナはぼやいていたが、まさか草刈りのために呼ぶわけにもいかない。


 しばし呼吸を整えたあと、頂上の目印のような巨岩によじ登り、この偽りの放牧場を見渡す。


「…………」


 視界が広がったことで、ここが扇型の空間だったことは分かったが……もはや言葉も出ない。


 まだ青々とした麦畑と規則的に整えられた畦道。こんもりと盛り上がった森に、きらきらと煌めく泉の水面。

 何処までも広がる、絵画のように牧歌的な風景。


「……あれ、どれだけでかいんだよ」


 黙々と農作業を行う人形に、泉の傍で寛ぐ羊たちの群れ。この距離では正確な大きさなど測りようもないが、間違いなく見上げるほどにでかい。

 そもそも、あの麦からして一粒一粒がダナの頭よりでかいだろう。


「……で、どうするの?リーダー」


 判断を求められても、俺は返事に窮してしまう。

 こんなもん、何処から手をつければいいんだ……


     ◇


 俺が下した結論は、当然のごとく「とりあえず帰るか」というもの。雑草と土塊を手土産に、俺たちは拠点へと帰還した。


 毎度恒例となった食事がてらの打ち合わせにチャーリーも招き、本日の成果を報告してやる。

 自身が準備した物品がきちんと役割を果たし、自身が提案した作戦が功を奏したことで大興奮。巨大な『放牧場』の下りに入ると、興奮は最高潮を突破した。


「……いやはや、凄いね。本来の目的である『水源』云々はさておき、現状の成果でも歴史に名を残してもおかしくないんじゃないかい?」


 チャーリーの賞賛は、酔いの勢いも手伝ってすこぶる滑らか。しかし、それは決して過剰ではない。


 ほぼ完全な形で今なお稼働し続ける神代の巨大農場。あの麦や羊を食っても大丈夫なのか確認する必要はあるが、遺跡を生かしたままにしておけば永遠に食料を生み出し続けるだろう。

 あの人形だって今でも生産されているようだし、いくらでも収穫できるはずだから、この遺跡の経済的価値は計り知れない。


 だが、それゆえに……


「……いくらなんでも、まずいよな」


 ただでさえ、この遺跡は『適応因子』の源泉という軍事的価値から各勢力に目をつけられている。

 そこに無限の経済的価値が重なるとなれば、どんな規模の争いが起こるのか想像もつかない。

 もし情報が漏れれば、新たに争いに加わる勢力も出てくるだろう。


「あぁ……その件で一つ悪いお知らせだよ。とうとう教会の勢力が動き出したそうだ。姫様の活動に感銘を受けた教会の重鎮が、応援の部隊を出すべきと主張しているようだよ」


 ……そんな名目など、表向きに過ぎないのは明らかだ。

 姫様がペトゥラさんを面子に加えなかった理由も、あちらのややこしい状況に対応するためだった。


 他の面々にもその辺りの懸念はすでに伝えており、歴史的発見を成し遂げた冒険者たちはどんよりと沈み込む。

 何も知らないあの小太りのおっさんがいれば、また大きく首を傾げることだろう。


「さて、姫様はどうなさるのかね?素直に教会に明け渡すのか、立て籠もって時間を稼いでいるうちに別の勢力と交渉するのか……」


 後者についても、交渉の伝手などはともかく、立て籠もること自体は不可能ではない。

 僅かな人数しかいないが、いずれも腕に覚えがある者ばかりで、ここは立地にも恵まれている。

 物資の問題すら、今日の探索で解決の芽が出て来てしまった。


「……あるいは、遺跡を丸ごと爆破して、全部台無しにするのか」


 テオが「出来るのか?!」と目を剥くが、きっとチャーリーなら不可能ではないのだろう。

 例の「連鎖反応式『適応因子』爆弾」とやらは、『適応因子』が多い環境ほど威力を発揮すると聞いている。


「……ロディさんたちのほうの進捗はどうなの?」


 アリサが何とか好材料を探そうとするも、チャーリーはゆるゆると首を横に振る。


「あちらも似たような状況らしいよ。『適応因子』を含む湧水をいくつか見つけたらしいけど、どれも『水源』と断定するほどの濃度ではなかったそうだ」


 冒険は順調に進みつつも、目的の物には一向に近づけない。

 おまけに、時間制限まで明確に設けられてしまった。


 色々と考えることが出て来たが……まぁ、俺たちがやるべきことは変わらないか。


「……所詮、わたしたちは冒険者だからね」


 ダナと顔を見合わせ、肩を竦める。


 俺たちは冒険者。とりあえず、冒険するより仕方がない。

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