第4話 畳み掛ける不運

「よし、今日はここまでにしよう!」


 概算で三合目ほどまで登ったところ。目的地の針葉樹林を臨む平坦な場所で野営をすることになった。

 懸念していた天候も何とか今まで保ってくれた。魔獣の襲撃もごく僅かで、それらも強敵と呼べるようなものではなかった。先行した一団が間引いてくれたのか、あるいは運が良かっただけなのか。


 いつもの癖で料理の準備を始めようとするも、何やら張り切ったエノーラ嬢が一人で担当するつもりのようだったので遠慮した。

 ……本当に面倒臭い。


 手持ち無沙汰になった俺は、すっかり尻に馴染んだ棺桶に腰を下ろして景色を眺める。

 この山の頂上付近は相変わらず黒ずんだ雲に覆われている。明日は厳しい天気になるかもしれない。


 遠方に目を移すと、そちらにはこの山よりも高い峰々が遥か彼方まで連なっている。その向こう側、どれほどの距離か見当もつかない場所に天と地を繋ぐ糸のようなものが見える。

 あれが辺境の最奥と目されている『神に至る塔』だろう。人工の構造物に使うのもおかしな話だが、そこはまさに人跡未踏。少なくとも現代に生きる人間にあそこまで辿り着いた者はいない。……つまり、本当は塔かどうかも分からないのだ。


 当然、過去には名だたる冒険者たちがそこを目指した。しかし、雪深く峻険な山岳地帯を突破できた者はおらず、そこを迂回したとしても『燃える河』と呼ばれる溶岩地帯が立ち塞がる、らしい。

 ……どいつもこいつも、何故そんな大層な名前を付けたがるのか。


「寝床が出来たわよ」


 野営の準備を怠ける俺のところにセレステがやってきた。指し示す先を見れば、雪洞というよりは小屋に近いような立派な寝所が二つも建っている。

 男女別ということだろう。さすがにそれ以外の組み合わせではどうしたって面倒事が起きる。


     ◇


 エノーラ嬢のそこそこの料理を平らげたあと、俺たちは交代で休むことになった。

 最初の見張りはエノーラとクライド。しかし、実際にはクライドが一人で寂しく立っていそうな気がする。


 俺は小屋の一つでリューと二人っきり。ずっと会話はない。女がいなければ喋らないらしい。

 寝るにはまだ少々早いので、生命線である装備の手入れをしていると、突然低い声が響いた。


「……おい、『呪術師』。彼女には僕が先に目をつけてたんだ。あまり調子に乗るなよ」


 こいつも素を出してきやがったな。仲間内で二人目を狙うなんて、完全に頭が沸いてやがるな。


「……お前に言われる筋合いはないな」


 あの腹黒女とどうこうなろうとは考えていないが、こいつの言いなりになるのも癪だ。

 しばらくの無言の睨み合いののち、リューは舌打ちして小屋から出て行った。


 次は俺とセレステの順番なのだが、代わってくれるらしい。ご厚意に甘えてコートにくるまった。


     ◇


 翌朝、天気はすっかり回復し、朝日の照り返しが眩しいほどだ。俺は結局朝まで熟睡してやったので、体力も魔力も万全。

 セレステのほうを見ると、やつも同様のようだ。上手いことリューを転がして、一人で寝ずの番をさせやがったらしい。……いい気味だ。


「ここからの行程を説明する。僕たちは真っ直ぐあの針葉樹林に向かうのではなく、大きく迂回して別の場所から進入する。当然、最終的には先行した冒険者たちに出くわすだろうけど、そうしておけば偶然だと言い張ることもできる」


 下心全開のくせにきちんと考えていやがるな。たしかにこの先は魔獣や環境だけではなく、先行している一団にも注意を払わなければならない。下手に揉めると冒険者同士でやり合う羽目になってしまう。


 人間関係のあれやこれやに意識を割かれてしまっていたが、ここからは十分に気を引き締めなければ。


     ◇


 腰ほどの高さまで雪が積もった急斜面を登る。昨日までは歩き易い場所を選んで進むことができたが、今日は作戦の都合上そうもいかない。

 行軍の陣形も変わり、先頭にクライドがついて道を作ってくれている。その後ろにリューとエノーラが続いて、最後尾は俺とセレステ。思うように速度が上がらないせいか、互いの間隔は狭まっている。


 風術を行使する頻度を密にして周囲を警戒していると、前方を歩くセレステがおもむろに振り返った。


「ねぇ、様子がおかしくない?」


 さすがに今日は真面目にやるらしいセレステ。


「……全く魔獣がいないことか?」


 それには俺も気がついていた。周囲の環境が変わったとはいえ、これは不自然だ。先行した一団が通った場所でもないので、狩り尽くされたというわけではないだろう。

 ……何が起こっている?


「気を抜かないようにするしかないわね」


 幸いこの辺りは見通しも良く、天気も良好だ。警戒の範囲を広げて歩みを進める。


     ◇


 日が中天に差し掛かる頃、異変が起きた。右側に広がる針葉樹林の奥でがさりと枝が揺れる気配。落雪……ではない。


「右方、警戒!」


 俺の声を聞いた各々が樹林のほうに向き直って身構える。積雪のために陣形を整えるところまでは出来ないが、とりあえずの警戒態勢は間に合った。


 気配は加速しながら接近する。ばきばきと太い枝がへし折れる音が広範囲から聞こえ始めた。……これは多いぞ!


「怪鳥か!」


 尖った樹々を揺るがして躍り出てきたのは番いの怪鳥。禿げ頭に真っ赤などでかい鶏冠が生えているところを見ると、どうやら亜種らしい。やつらの狙いは中団のリューとエノーラ。


「僕に任せろ!」


 リューがエノーラから離れて大きく前に出た。赤熱する双剣を振るって周囲の雪を溶かして足場を確保する。

 エノーラはその場で弓をつがえて援護の構え。あの二人なら二羽同時でも対処できるだろうが……


「気をつけろ!後続が来るぞ」


 二羽の襲撃を皮切りに針葉樹林が一斉に揺れ動く。その上空に群れをなして舞い上がった怪鳥たち、その数は五十を超えている。

 一列に横陣を組み、俺たちに向かって滑空し始めた。


「セレステ!側面の防御を頼む。できれば後方も」


 注文が多いと愚痴を言いながらも、押し固めた雪の防壁を構築してくれる。俺は棺桶を降り積もった雪の上に放り投げた。重力軽減の機構の出力を上げた棺桶は沈み込むこともなく、足場としては十分だ。

 これで俺たちは大丈夫だが……


「クライド、エノーラの護衛に戻れ!」


 リーダーを差し置いての指示に素直に従うクライド。しかし、間に合うかは微妙だ。

 歯噛みする俺を分厚い風の壁が襲う。顔面に叩きつけられる氷の粒に思わず目をひそめた。


「きゃあっ!」


 甲高い悲鳴が響く。クライドは間に合わなかったのか。様子を伺いたいが、俺も正面の敵に対処しなければならない。


「……死ね!」


 必死に呪いをばら撒く。


     ◇


 雪山が静けさを取り戻す。怪鳥の群れは一度めの突撃を終えると、俺たちを放置して通り過ぎていった。集団での狩りというわけではなかったらしい。

 エノーラ嬢がいた場所は真っ赤に染まっている。これから救出に向かっても、あの出血量では……


「エノーラちゃん……」


 その傍らで膝をつくクライド。ここに来て初めて声を聞いたが、こういう喋り方だったのか。意外に思うも、もちろん茶化すつもりなどない。目の前で思い人をやられた心痛はいかばかりか……

 彼も怪我を負っており、ざっくりと切り裂かれた太腿から流れた血で下半身が赤く染まっている。


 魔術で応急処置をしてやっていると、肩を落としたリューが戻って来た。

 エノーラ嬢から離れたのは軽率と言えなくもないが、あの数ではどうやっても誰かに被害が出ていただろう。


「どうする?『赤い牙』」


 俺が水を向けると、しばらくの黙考ののち顔を上げた。


「……先に進もう」


 戦力的にはまだ足りているだろうが、精神的には大丈夫なのか?俺やセレステはともかく、好意を持たれていたリューにも思うところはあるだろう。

 まぁ、俺としてはべつに構わない。無駄死ににさせないというのも一つの考え方だ。


 重い空気が漂うところにセレステの切羽詰まった声。


「ねぇ、まずいわ!」


 指し示すのは頂上の方向。斜面を舐めるように白い煙が上がっている。微かに聞こえ始める不穏な低音。


 どう見ても雪崩だ。

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