第5話 底抜けの不運

 怒涛のような勢いで迫り来る大雪崩。高く舞い上がる粉雪が陽光を遮り始める。あそこからここまで一直線。

 今はまだ遠いが、確実に俺たちまで届く。


「あの針葉樹林に逃げ込むぞ!僕とセレステさんが道を拓く。『呪術師』はクライドを頼む」


 返事も聞かずに一人で駆け出すリュー。あそこに逃げる判断は正しいと思うが、脚に負傷したクライドには厳しい距離だ。

 ……俺たち二人をを見捨てるつもりだな。


「くそっ、クライドは棺桶に乗れ!」


 言い争う時間も惜しい。大男を棺桶に跨らせ、俺は金具がついた革紐を引っ張り出して馬具のように身体に固定する。……盾を注文したはずだが、こんな仕組みまで付いているのだ。


 高く積もった雪を掻き分けて針葉樹林に向かうが、思うように足が進まない。重力軽減の補助があっても、この大男を運ぶのは厳しいか……

 そうこうしているうちに雪崩は勢いを増して迫ってくる。


 俺もクライドを見捨てるべきかと逡巡し始めたころ、唐突に周囲の積雪が吹き飛んだ。何事かと思うも、こんなことが出来るのは…


「……おい、そういう性格だったのか?」


 俺の軽口に頬を膨らませるセレステ。意外なことに残ってくれたようだ。多少は見直してやらなければならない。


 人手は増えたが、どうする?

 セレステの援護があっても針葉樹林に駆け込むのはもう間に合いそうにない。さっきの圧雪の防壁を作ってもらったところで、あの雪崩の勢いに耐えるのはおろか、方向を逸らすのも無理だろう。

 ……仕方がない。


「セレステ、お前も乗れ!」


 俺も棺桶に跨って叫ぶ。裏側の突起を引っ込めると、棺桶は傾斜に沿って滑り出した。


 こうなったら、少々危険な橇遊びだ。


     ◇


 凍える風を切り裂いて新雪の斜面を滑走する棺桶。それに跨る三人の男女。間抜けで不謹慎な悪ふざけのような状況だが、当人たちは命がけだ。

 命運を託した棺桶に跨るのは、前からクライド、俺、セレステの順。怪我人を風除けにするのは申し訳ないが、クライドは出血の影響で朦朧とし始めており、後ろから支えてやらなければ転がり落ちてしまう。


「ねぇ、次はどうするの?」


 俺の腰に抱きつくセレステが耳元で囁く。振り返れば雪崩の先頭が徐々に近づいてくるのが見える。

 ……この速度でも逃げ切れないか。


「魔術で進路を変えてくれ!」


 背中から体温が離れると同時に魔力が放たれ、棺桶はじりじりと進路を斜めに変え始める。どうやら底面に氷を形成して摩擦を操作しているようだ。

 加減を間違えば棺桶もろとも吹っ飛んでしまうような繊細な作業だが、やるときはやる女だ。


 進路を斜めにとったぶん、雪崩が迫る速さも上がる。……間に合うか?

 背筋が凍るような追いかけっこの行方を固唾を呑んで見守った。


     ◇


 ゆるゆると停止する棺桶。クライドの背中にこつんと額をつけて大きく息を吐く。

 雪崩からの逃避は間一髪のところで成功した。セレステのでかい尻を掠めるほどの、本当にぎりぎりだった。


 顔を上げれば目と鼻の先に崖がある。こっちもぎりぎりだ。止まることまでは考えていなかったので、単なる幸運だ。


「……感謝してよ?」


 腕を俺の腰から首に移したセレステが吐息を吹きかける。たしかに俺とクライドだけではあのまま雪崩に呑まれていただろうが……こいつに迂闊に礼を言うと集られそうだ。


 ぽんぽんと腕を叩いて立ち上がる。随分な距離を滑り降りて来たので、現在地は不明。少し離れたところに針葉樹林があるが、目指していた場所ではなさそうだ。

 まぁ、この期に及んで探索を続けたいやつはいないだろうが。


 どうするにせよ、まずはクライドの治療が先決だ。雪の上に寝かせて傷の具合を見てやる。脚からの出血は止まったようだが、もはや完全に意識を失っている。もしかすると、内臓もやられているのかもしれない。

 とりあえず身体を暖めてやろうと毛布の準備をしていると、どこからか甲高い奇声が聞こえ始めた。


「勘弁してくれよ……」


 先ほどの焼き直しのように蠢く針葉樹林。そこから現れた怪鳥の群れが雪原に影を落とす。

 その数はあのときとほぼ同数で、赤い鶏冠があるのも同じ。おそらくさっきの群れだろう。

 横陣から巻き起こされる分厚い風の壁。

 ……もしや雪崩を起こしやがったのもあいつらか?


 作業をを中断し、何とか手放さずに持っていた杖を掲げる。魔力の残量は心許ない。セレステと二人でどうにかしなければ。


 身構える俺たちの足元にみしみしと不吉な振動が伝わる。思わず辺りを見回すと、俺たちを囲むような形で雪原に亀裂が走る。

 ここは雪庇の上かよ……!


 警告の声を発する間も無く足裏の感触が消失する。必死に手足をばたつかせるも、引っかかるものは何もない。


 俺たち三人と棺桶は、雪塊とともに崖から落下した。


     ◇


 呼吸もままならない状態で必死にもがく。泳ぐように雪を掻き分けて続けていると、ようやく新鮮な空気が届いた。


 雪中からずぼっと頭を出して辺りを見回す。切り立つ崖は見上げんばかりに高いが、谷底に粉雪が深く積もっていたおかげでどうにか助かったようだ。


 ふわふわの雪の上には不気味な杖と棺桶があるのみ。セレステとクライドの姿は見当たらない。完全に雪の中に埋もれてしまっているようだ。


「おい、どこにいる!」


 届くかどうか分からないが、何度も呼びかける。杖を拾い上げてずぼずぼと雪に突き刺していると、突然むにゅっとした手応え。

 粉雪が間欠泉のように噴き上がる。


「……何するのよ」


 出来上がった穴を覗き込むと、胸を押さえて座り込むセレステ。そんなものを気にするあたり、ほぼ無傷といっていいのだろう。

 ……素手で探せばよかった。


「クライドが見当たらない」


 代金を徴収されないうちに話を変えると、セレステは目を閉じて集中し始めた。積雪に染み込むように魔力が放たれる。

 雪の中なら探知の魔術が使えるらしい。


「見つけたわ!」


 さほど時間もかからず発見の報が届く。セレステを穴から引っ張り上げて、指し示された場所に急いだ。


     ◇


「あまり具合が良くなさそうね」


 二人で苦労して大男を引きずり出したが、その顔色は真っ白だ。呼吸はあるものの、身体は冷え切っている。


「酷使して悪いが、小屋を作れるか?」


 吹きっさらしの谷底では治療もままならない。それに俺たちも暖をとらないと、そろそろ体力的に危険だ。


 ぼやきながらも真面目に作業を始めるセレステだったが、土台を固めた時点で首を傾げ始めた。


「この下、地面じゃないわ。……いえ、この下だけじゃない。谷底全体に何か埋まってるみたいよ」


 ぶつぶつ言いながら雪に小さく深い穴を開ける。頬をくっつけあって覗き込むと、土ではなく透き通った何かが見えた。

 凍りついた川でもあるのか……と思ったが、違う。ひび割れた硝子だ。


 それに気づくや否や、またも不吉な軋みが谷底に響き渡る。


 盛大な破砕音ともとに谷底の、さらに底が抜けた。

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