第6話 水鏡の広間

 意識が浮上し、ざばりと身を起こす。口と鼻を満たす液体に噎せ返りながらも自身の状態を確認し、がっくりと肩を落とした。


「…もう何度目だ、これ」


 俺が目を覚ましたのは赤黒い液体の中……ではなく、透き通った温い水の中だった。

 脛ほどの高さまで溜まった水が落下の衝撃を和らげてくれたらしい。あちこちに擦り傷や打ち身はあるが、何とか無事だ。


 辺りを見回す。どこかの遺跡を彷彿とさせるような円形の大広間だが、床一面に澄んだ水が張られている。かすかな波紋がなければ鏡と見紛いそうだ。

 天井を見上げれば、多角形の硝子を組み合わせて作られた巨大なドームになっている。その上の積雪を透過して届く柔らかな陽光が乱反射して、息を飲むような美しさだ。

 その一箇所に空いた穴から太い光の筋が差し込んでいる。俺たちが突き破ってきた場所だろう。亀裂が広がって崩壊するようなことはなさそうだ。


「気がついたのね」


 俺が仲間の無事を案ずると同時に、背後からかかる声。振り返れば水底に座るセレステがいた。……膝枕してくれていたのか。

 こいつもずぶ濡れだが大した怪我はなさそうだ。咄嗟に庇うこともできなかったので、実力で何とかしたのだろう。


「クライドは?」


 指差す先にクライドが仰向けに寝かされていた。一瞬、水面に浮いているのかと見紛うが、どうやらあの辺りは水深が踝ほどまでしかないようだ。


 ざぶざぶと近寄って様子を見る。脚からの再出血と大量の吐血。まさに虫の息だ。こうなると俺の拙い治療術ではどうしようもないが……


「そうだ、荷物は?」


 セレステに問うと、少し離れたところに浮かんでいた棺桶を引っ張ってきてくれた。


「これだけは回収しておいたわ。あなたの杖と、そこの彼の斧と荷物は見当たらなかったけど」


 あの杖がないと俺の戦力は激減だ。遺跡らしき場所で、これはまずい。

 ……金銭的にも、あれが俺の一番の財産なのに。


 とはいえ、今はそれどころではない。すっかりひしゃげてしまった棺桶の蓋を開けると目的のものが見つかった。


「……毒でも飲ませて楽にしてあげるの?」


 酷いことを言いやがる女は放置して、取り出した硝子瓶の栓を抜く。

 チャーリーが精製した強壮薬。数が少ない貴重なものだが、ここは使い所だろう。何やら副作用があるらしいが、気にしている状況ではない。

 口元の血を拭ってやって瓶ごと突っ込む。


「何か手伝えることはある?」


 眉をひそめて俺の作業を見守っていたセレステに、脱いだコートを投げる。

 濡れて肌に張り付いたきわどい衣装。そっちのほうが猛毒だ。


     ◇


 怪しい薬を飲まされたクライドは劇的な回復を見せる。脚の傷口は塞がり、血色も戻った。腹の中までは分からないが、きっともう大丈夫だろう。


 意識が戻るまでは今しばらくかかりそうなので、セレステと二人で水中の段差に腰掛けて目覚めを待つ。


「色々と助かった」


 深々と頭を下げる。セレステがいなければ俺は水底に沈んだままだっただろうし、それ以前にも彼女の魔術には随分と助けられた。


「見捨てると思った?……その手の誤解には慣れてるわ」


 組んだ脚に頬杖をついて微笑むセレステ。


「……すまん、実はそういうやつだと思ってた。公国軍を抜けたのにしても、男絡みで揉め事を起こしたのかと」


 俺が正直な気持ちを吐露すると、すっと目が逸らされる。

 ……それはそれでやらかしたらしい。


     ◇


「セレステさんが無事で本当に良かった!貴女に何かあれば、僕は死んでも死にきれません」


 ほどなくクライドは意識を取り戻した…のだが、副作用のせいでこの有様である。

 ……エノーラちゃんはもういいのか?


 両手をがっしり握られて逃げられないセレステから睨まれるが、仕方ないだろう。俺も初めて使った薬なのだ。


 クライドが喋り疲れたところを見計らってぽんと手を叩く。


「さて、これからどうする?天井の穴から脱出するのは無理そうだから、ここを探索してみるしかないと思うが」


 周囲の壁には何もないが、ここも神代の遺跡。一見しただけでは分からない扉があるかもしれない。あるいは、水面下に沈んだ出入口でもあるのか……


 特に異論も出なかったので、手分けして探索をすることになった。


     ◇


 水鏡を覗き込みながら歩く。この空間の床はところどころが四角い落とし穴のように深く窪んでいる。気を抜いて足を滑らせれば、せっかく乾かした服が台無しになってしまう。


 ……そう言えば、この遺跡は死んでいるようなのに、どうして水が温かいんだろうか。匂いからして温泉というわけでもない。

 遺跡のまだ生きている部分から流れ込んで来ているとしても、それならばこんなに静かな水面なのはおかしい。


 外周付近をあらかた回り終え、一旦考えを整理する。

 四角い落とし穴はある程度の規則性をもって目の粗い笊のような配置で存在していた。面積比から考えて、俺たちが深い所に落ちてきたのは相当な幸運だった。

 それらの底には木製の調度品の残骸が沈んでいる。僅かに残る装飾の痕跡から、実用一辺倒の施設ではなかったことが伺える。


 沈んでいる残骸はそれなりに価値がありそうに見えるが、金属や宝石が埋め込まれていたと思しき箇所は何者かに抉り出されたように傷ついている。回収する苦労を考えれば、

持ち帰るか判断に迷うところ。


「……参ったな」


 ついつい金のことに気をとられてしまったが、肝心の脱出の手掛かりのほうは見つかっていない。

 食糧は棺桶にどっさり積み込んでいるものの、三人で分け合えば切り詰めても数日分といったところ。ここから出たあとに街まで移動しなければならないので、ほとんど余裕はない。


「あいつらは何か見つけたかな」


 セレステとクライドは中心部辺りを調べている。手分けして、と言ったのだが、あの大男は雛鳥のようにセレステの尻を追っかけ回していやがる。


 あの辺りは一際大きい円形の落とし穴の底に瓦礫がうず高く積み上がっていただけだった。

 部屋の中央に出入口はないだろうと後回しにしていたが、何か見つかっただろうか……


     ◇


「色々見つかったわよ」


 にこにこのセレステと胸を張るクライド。遺跡の調査もそこそこに遺物の収集をしていたらしい。……主にクライドを働かせて。

 まぁ、金目のものがあれば値打ちを調べずにはいられないのは冒険者の性ではある。


 戦利品の山を検分してみる。調度品の残骸もあるが、魔術具と思しき物品も数多く引き揚げられている。たしかに周辺部の穴よりは値打ちがありそうなものが多い。


「……これは、加熱用の魔術具だな」


 見覚えのある魔術具。棺桶に搭載されている調理器具によく似ている。これは壊れているようだが、チャーリーにでも修理させれば結構な値がつくはずだ。


 ……ちょっと待て。広間の外周寄りには豪華な調度品。中央付近に調理器具。この物品の配置、王都観光の折に見たことがある。


「ここ、もしかして料理屋だったのか…?」


 中央に配置された舞台のような厨房と、それを観ながら食事を摂れる高級店。ここまでだだっ広い客席を有する料理屋など意味がわからないが、たしかに構造は同じだ。


 遺物を山に戻して厨房跡らしき穴に潜る。円錐状に積み上がっていると思っていたごみの山は、一箇所に切り欠きがある。あの二人が荒らした結果というわけでもない。

 おそらくあそこがカウンター内への通路だったはず。


「もしそうなら……」


 そんな通路を出入口正面に設けるのは考えにくい。つまり、出入口があるのは切り欠きの正反対のほうだ。


     ◇


 遺物探しに励む二人を引っ張って当該の壁のところに向かう。さっきも調べたところだが、つるりとした壁があるだけで特に何も見つからなかった。


「セレステ、この辺の壁を調べてみてくれ」


 俺の拙い魔術では分からなかったが、本職の術師ならどうだ?

 セレステが壁に手を当てて目を閉じると、ぶわりと放たれた魔力が金属板に浸透していく。地術は専門外だろうが、それでも俺より腕は上のはずだ。


「……魔力を吸収する箇所があるわ」


 おそらく扉を開閉する機構だろう。そこだけでも生き返らせれば、俺の鍵で何とかなるかもしれない。

 セレステに頼み、そこに重点的に魔力を注いでもらう。額に汗が滲み始めたころ、何もなかった壁の一部に赤い光が灯った。


 閃光とともに放たれた強烈な魔力が俺たちを貫く。孤島の遺跡で経験したのと同じ現象だ。俺が持つ鍵は、あのときから一つ増えた二つ星のもの。

 いけるか……?


 金属を擦り合わす音が広間に響く。つるりとした壁に細い線が走り、それに囲まれた部分がゆっくりと上昇し始める。

 時折息継ぎをするように止まりながらも、何とか俺たちの膝を越える辺りまで口を開いたところで、不快な音が止んだ。


「凄いわね!」


 俺に抱きつくセレステと無言で殺意を発するクライド。……薬の影響はいつまで続くんだ?


「待て待て、まず先の様子を確認しないと」


 腰を屈めて扉の先を覗き込む。あちら側は真っ暗だ。何とか扉だけは動かせたものの、やはり死んだ遺跡らしい。


 風術を行使しようとしたところで、闇の奥から何かが滑るように近づいてくるのに気づいた。


「下がれ!」


 各々が跳びずさると同時に、扉の隙間を潜り抜けた名状しがたいものが姿を現す。

 

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