第7話 氷の壁と雪の精

 赤と緑でまだら模様に塗られた平べったい物体が水鏡を滑って広間に侵入してくる。水の抵抗で静止すると同時に、放射状に伸ばされていた脚を撓めて立ち上がった。


 六本足の蜘蛛のような立ち姿。偏平な胴体の上には、蛸のような頭部と蠍のように高く掲げられた長い尻尾。その先端には毒針の代わりに巨大な蟹の鋏が生えている。

 ……何だこれ、訳が分からん。


 蛸の頭部が軋みを上げながらセレステのほうを向く。剥がれ落ちるまだら模様の皮膚の下にちらりと金属の反照が見えた。

 あれは砲塔か?!


「クライド!」


 具体的な指示はなくとも射線に立ち塞がる大男。彼が両腕を広げるや否や、蛸の口が火を噴いた。

 ぷしゅっと気が抜けるような音とともに発射された拳大の砲弾が、クライドの土手っ腹に直撃する。呻き声を上げて後退するが、被害は軽微。弾速も然程ではないし、殺傷力は低いようだ。


 やつが身体を張っている間に、俺は謎の敵に向かって走り出している。雷術も駆使して一気に距離を詰めるが、やつの再装填のほうが早かった。

 急制動して半身の構え。射線を見切って左腕を振るう。黒い砲弾は俺の手の甲に防がれて明後日の方向に飛んで行った。


 すかさず地を這うような姿勢で残った距離を詰める。砲身を突き上げるように放つ右の拳。がいんと金属同士がぶつかる音が響くのみで、破壊するには至らない。

 ならば……


「おらぁっ!」


 跳躍しながら、今度は掌底を叩きつける。新しいグローブ、手のひら側には補強がなされていないが、その代わりに滑り止めはしっかり強化済みだ。

 鉄棒遊びのように砲身の上に身体を持ち上げる。そのまま頭部の上まで移動して、砲身に脚を絡める寝技の体勢。振り下ろされる蟹の鋏を転がるように躱しながら、渾身の力を込めた。


 歪められた蛸の首から赤い粘液が噴き上がる。接合部の強度は低いようだ。


「セレステ、関節を狙え!」


 返事も待たずに蠍の尻尾に組み付いた。


     ◇


 謎の物体からよろよろと離れて、水の中に突っ伏す。窒息する前に身を捩って仰向けになり、大いに喘いだ。


 俺が砲塔を破壊した後は、セレステとクライドが片をつけた。

 指示を聞いたセレステが関節の隙間に水を流し込んで氷晶を形成。動きを鈍らせたところにクライドが突貫。俺に対抗するかのように肉弾戦を展開して、六本の脚と尻尾の全てをへし折った。

 ……俺が尻尾にしがみついて振り回されるている間にだ。


「……気持ち悪い」


 心配して様子を見に来てくれたセレステと勝ち誇った表情のクライド。

 ……べつに取りゃしないので、いちいち張り合わないで欲しい。


 何となく流れで俺が指示を出してしまっていたが、戦闘経験自体はこいつらのほうが遥かに上。元軍属のセレステは元より、クライドにしても実績豊富な冒険者なのだ。


「すまん、また助けられた」


 多少息が整ったところで身を起こし、二人に頭を下げる。その後頭部に降ってくるセレステのため息。


「そんなのは構わないんだけど……あの動きは、何?」


 何、と問われても格闘術としか答えようがない。そう言えば、初対面の折には見栄を張って自分の技能についてはあまり話していなかった。


 これからしばらく三人で行動することになる。休憩も兼ねて、互いに出来ることを教えあうことになった。


     ◇


 まずはセレステから。鉄扇を使った護身術が出来る程度で、専門はもちろん魔術。水術と風術による広域の戦闘支援を得手とするらしい。

 公国には「氷術」とかいう系統の魔術でもあるのかと思っていたが、そういうことではないらしい。

 野営に関する知識はそれなりにあるが、遺跡探索の経験はほとんどないとのこと。


 その次はクライドの番になったのだが、セレステのためなら何だって出来るとしか言いやがらない。

 まぁ先ほどの戦いぶりを見ていた限り、膂力を活かした前衛なのだろう。走るのは遅いようだが、反応は鋭い。攻めに守りに頼りになりそうだ。


 最後に俺の番となったのだが、説明に詰まってしまう。

 武器は大体何でも扱えるが、腕前は素人に毛が生えた程度。投擲と素手格闘も多少は出来る。

 風術と地術は自身の戦闘補助に使えるが、水術と火術は暮らしを便利にする程度の腕前だ。あと、拙いが治療術もいける。

 胸を張れるのは、野外料理の技術くらいのもの。……自分のことながら、酷い有様だ。


「『呪術師』どころか、術師ですらなかったというの……」


 セレステが頭を抱えるが、自分から『呪術師』と名乗ったことは一度もないぞ。陰で色々言われているのは知っているが。


「そういえば、二人は二つ名とか付いてたりするのか?」


 俺の何気ない問いかけにセレステの表情が固まる。これは……面白い二つ名持っていやがるな。


「僕は『氷壁』と呼ばれていたよ。セレステさんも公国軍の有望株だったなら、何か二つ名をお持ちなんじゃないですか?」


 どうやら公国軍にはそういう風習があるらしい。無意識にセレステの退路を断ちやがった。

 クライドの無邪気な笑顔と俺の嫌らしい笑顔で圧力をかけ続けると、観念したセレステが重い口を開いた。


「……『雪の妖精』」


 クライドは自分と似た二つ名に喜んでいるようだが、俺は内心で大爆笑する。妖精を名乗るには清楚さの欠片もないし、そもそも年齢が……


「しょうがないじゃない!若いときに付けられたんだから」


 俺の思考を完全に読み取ったセレステに怒鳴られる。

 それを切っ掛けに休憩を切り上げる流れになり、まずはあの謎の物体を調べてみることになった。


     ◇


「気持ち悪いな…」


 ばらばらに解体された不気味な物体。神代の人形なのは間違いないが、孤島の遺跡で見た竜の像とは似ても似つかない。あちらはある意味芸術品とも言えるような美しさがあった。

 不気味なのは造形だけではない。緑と赤のまだら模様、これは苔と茸のようなものだった。根や菌糸は人形の内部まで入り込んでおり、それらが人形の性能を落としていたようだ。


「ひぇっ、動いた!」


 妖精(笑)の悲鳴を聞いてクライドと二人で駆け付ける。指差す先を見れば、赤い粘液がぐにぐにと蠢いている。

 ……本当に気持ちが悪い。


「まぁ、触らないほうがいいだろうな」

 

 これが何なのかは不明だが、遺跡で見つかる赤い液体にはろくな思い出がない。

 残骸を綺麗に洗えば十分金になるんだろうが、今は後回し。こいつの調査は切り上げることにして、いよいよ扉の奥に向かう。


     ◇

 

 半開きになった扉の奥を覗き込む。向こう側も遺跡の機能が死んでいるようで、明かりは灯っていない。ただ、生温い風がこちらに吹き込んできているようだ。僅かに青臭い匂いもする。


 意を決して踏み込もうとしたところで、はたと気付く。


「……そういや何となく流れで俺が仕切ってしまっていたが、二人のどっちかがリーダーをしたほうがいいな」


 クライドが名乗りを上げようとするをセレステが制止する。


「あなたがやりなさいよ。しっかりリードしてね」


 ……なるほど、今のクライドは冷静さを欠いている。セレステも自分でやる気はなさそうだ。となると、一番下っ端の俺がやるしかないか。


「わかった。じゃあクライドは、これでしっかりセレステを守ってやってくれ」


 適当な理由をつけて、ひしゃげた棺桶を託す。彼なら盾としても打撃武器としても上手く扱うだろう。

 俺は両の拳さえあれば何とかできるのだ。


 ついでに探索時の陣形も決めておく。俺が先行して進路選択と前方警戒、少し下がってセレステが側方と後方の索敵。クライドはその護衛ということにした。

 見せ場が少ないクライドに文句を言われるかと思ったが、セレステの傍なら構わないらしい。


「よし、じゃあそんな感じで!」


 ぽんと手を打って立ち上がる。適当に決めた役割だが、格上のこいつらなら何とかしてくれるに違いない。


 各々が準備を整えたのを確認したのち、ランタンに明かりを灯す。生臭い風を顔に浴びながら扉の隙間に潜り込んだ。

 

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