第12話 願いと呪い

 ペトゥラさんとの会話を遮られたせいか、先ほどの仕打ちを思い出したせいか。

 マラカイさんの眦がぐいっと釣り上がる。


「そうじゃ、娘っ子。男どもは腸を引きずり出してから吊るすつもりじゃったが、女子供は無事に返してやろうと思っておった。それを、お前は……」


 降りかかる唾にのげぞっていると、ペトゥラさんが助け舟を出してくれた。


「落ち着いてくださいな。わたしたちは呪術について詳しくないのです。良ければ、教えてくださいませんか?」


 皺だらけの手が優しく握られると、烈火の如き怒りはすぐさま鎮火する。


「……そうでしたな。この辺りでも呪術を扱う人間はそう多くないし、儂も専門ではないが、それでも良ければ説明してしんぜよう」


 そして、何ともちょろい爺さんによる呪術の講釈が始まった。


     ◇


「まずは魔術と呪術の違いじゃな。どちらも魔力を使って望んだ結果をもたらす技術じゃが、その過程が違う。魔術は何らかの現象を引き起こすことで対象に干渉し、呪術は対象の魔力に直接干渉して望む結果を引き出すんじゃ」


 風を起こしたり火球を飛ばしたりするのが魔術で、命令を聞かせたり身動きを封じたりするのが呪術ということか。

 あのときのシリルの技は暗示の延長などではなく、発声を介して魔力に干渉するものだったらしい。


「ちなみに、お前らが言うところの『適応因子』による身体能力の強化。あれに名前はついておらんが、自分に対する呪術であると言えなくもない」


 ……あれにも呪術が関係あったの?


「『適応因子』と魔力は別物であるが、それらが連動しているのは何となく感じるじゃろう。自分の魔力を動かすだけじゃから、他者に呪術をかけるよりも容易という訳じゃな」


 長年の悩みが解消されたかのように、おっさん連中が何度も頷く。

 これまでの経験と照らし合わせて、納得がいったのだろう。

 他者に呪術をかけるほうが難しいのは、相手を上回る意思をぶつけて制御を乗っ取る必要があるからか。


「ちょっと待ってくれよ。魔力を持つ相手以外だと、どうなるんだ?……昔、ぶん殴っただけで岩でも鎧でも朽ちさせる呪術師の冒険者がいるって話を聞いたことがあるんだが」


 とんでもない使い手もいたものだ。

 それが本当に呪術であるのなら、意思も魔力もない対象に効果があるのは不思議だ。


「……下界にもそんなやつがおるのか。たしかに、凄腕であれば非生物でも御構い無しらしいぞ。儂にも理屈はさっぱり分からんが」


 少し話が逸れてきたので、咳払いをして軌道を修正する。


「それで、わたしが呪術を使ったというのは……」


 あのときやったのは、『救いの御手』で爆発を起こしたことと、重量軽減の機構を無理矢理に反転させたことくらいだ。


 わたしの怪訝そうな顔に腹が立ったのか、マラカイさんの怒りが再燃する。


「せっかく儂が受け止めて安全に投げ飛ばしてやろうとしたのに、呪術をかけて押し潰したじゃろうが!……その様子では、どうやら無意識だったようじゃが」


 ……何か叫んだのは覚えているけれど、どうやらそれが呪術になっていたらしい。


     ◇


 ペトゥラさんが適当に転がすことで、マラカイの怒りは再び収まった。


「……そういう訳じゃから、その眠り続けているという男に、呪術で呼びかけてやれば万事解決じゃ」


 万事解決、と言われても……困る。


「それって……どうやるの?」


 ただ呼びかけるのは散々試したし、マラカイさんを押し潰したという呪術も無意識のもの。使い方なんて分からない。

 迂闊に呪術もどきを試してしまえば、破裂したり訳の分からない生き物に変化したりしてしまうかもしれない。


「知らん。娘っ子が修行をするか、凄腕の使い手を探してくるしかないじゃろうな」


 過酷な旅と死闘の果てに、ようやく見つけた一筋の光明。

 そのあまりの現実味のなさに、わたしは途方に暮れるしかなかった。


     ◇


 土産を用意すると言って、マラカイさんはまた去って行った。


「……難しいかもしれないけど、手掛かりが見つかって良かったじゃない。わたしも呪術を覚えてみるから、一緒に頑張りましょう」


 ぼんやりとするわたしに、ペトゥラさんが優しく声をかける。


「俺たちのほうでも凄腕の呪術師を探してみるぜ。当てもなく辺境を彷徨うよりは、よっぽど可能性があるだろう」


 わたしが顔を向けると、おっさん連中も力強く頷く。


 ……そうだ。たとえ何年かかったとしても諦めるわけにはいかない。


「……はい!」


 わたしが元気に返事をすると、ちょうどそこに沢山の荷物を抱えたマラカイさんが帰って来た。


「呪術に関係のありそうな薬草を適当に見繕って来たぞ。あと、娘っ子にはこれじゃ」


 そう言って、ぽんと放り投げられたのは、異様に大きく生気に溢れたリンゴだった。


「魔力も『適応因子』を多量に含んでおるから、呪術の練習に使えるじゃろう。そいつを腐らせるなり芽を出させるなりしてみろ」


 艶々のリンゴに映るわたしの顔は、燃えるようなやる気に漲っていた。


     ◇


 貴重な情報とお土産のお礼を渡そうとするも、わたしたちの『命』代わりの酒瓶はほとんど割れてしまっていた。

 ……あの激戦の最中も背嚢を背負ったままだったんだから、仕方がない。


 おっさん連中が『大樹海』の外の荷車まで取りに戻ると言い出したので、わたしとペトゥラさんは屋敷でそれを待つことになった。

 強力な虫除けの香を分けてもらえたので、戦力が減っても問題ないだそうだ。


 マラカイさんとペトゥラさんの会話は専ら呪術について。立場的にはまずいと思うけど、すっかり興味を持ってしまったらしい。

 マラカイさんによる詳細な説明が続く中、ふと思い出したことを尋ねてみる。


「……そういえば、『冒険者の街』の人たちがまとめて前線に向かったそうですけど、どういう理由かご存知ですか?」


 マラカイさんは話の腰を折られたことにむっとするも、ペトゥラさんも興味深げだったので、気を良くして語り出す。


「……そういう動きがあったことは儂も把握しておるが、理由は知らん。『燃える河』を越えた冒険者たちは、あの環境に適応したということなんじゃろうが……さすがにそこまで身体を作り変えてしまえば元には戻れん。もはや人間を辞めておるじゃろうな」


 高熱に耐える皮膚と呼吸器。食生活だって環境に適したものに変化しているだろう。

 化け物そのものと成り果てた人間を想像して、背筋に冷たいものが走る。


 ……何が彼らをそこまで駆り立てるのか、同じ冒険者のわたしにも理解できない。


「結局のところ、手段と目的を取り違えてはいかんということじゃな。娘っ子も、そこを誤るでないぞ」


 その話題は、妙に含蓄のある言葉で締め括られた。


     ◇


 わたしたちが用意した返礼品は予想以上に喜ばれ、一夜の宿とお風呂まで貸してもらえることになった。

 命より価値のある酒、酒よりも価値のあるらしい風呂。最前線の価値観は本当に謎である。


 名残惜しそうにわたしたちを見送るマラカイさんの胸中にも理解が及ばない。

 問答無用で殺し合いを始めておきながら、人恋しかったとでも言うのだろうか。


 ……ともかく、あいつが目覚めたら会わせてやりたいと思う。


 その後の帰路については、特筆すべきことはない。

 『大樹海』を抜け、『冒険者の街』で馬車を回収し、元来た道を引き返す。

 相変わらずの過酷な道行きだったけれど、希望を手にしたうえに腕前も上がったわたしたちにとっては、もはや苦になるものではなかった。


 ついでとばかりに貴重な素材の回収も行ったにも関わらず、わたしたちは往路よりも遥かに短い期間で辺境を抜ける。

 そして、数々のお土産とともに王都へと帰還した。

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