エピローグ
窓から差す光が赤く染まっていることに気づき、わたしは魔力の放出を中断してリンゴから手を離す。
「……むぅ」
ひと月以上が経過した今でも、リンゴはぴかぴかのまま。
わたしは溜息をつきながら、宙に留まるリンゴを指でつつく。
……呪術の修行は、順調とは言えない。
重量の操作は自由に出来るようになったものの、まだ他のことは一切できないのだ。
ペトゥラさんと姫様、おまけにセレステさんも呪術に挑戦しているらしいけど、一度も発動できていないと聞いている。
過去に呪術を食らった経験か、思い入れの強さか。どちらかが影響しているのか、わたしのほうがまだ先んじている状態だ。
おっさん連中とクライドは、知り合いの冒険者に片っ端から問い合わせて、凄腕の呪術師がいないか探してくれている。
チャーリーはお土産の薬草を分析して、あいつの症状を安定させることまで成功した。
みんな、それぞれに頑張ってくれている。
切羽詰まった状況は脱しているけれど、少しでも早く成果を出したい。
修行を再開しようとリンゴを掴み取ったところで、自室の扉が叩かれた。
この叩き方は、おそらくエルバートさん。
「……失礼します。ご家族の方がお見えになりましたよ」
……そう言えば、今日はその日だった。
ご家族というのは、もちろんわたしのじゃなくて、あいつの家族のこと。
わたしたちが帰還して、あいつの状態がどういうものか明らかになった時点で、姫様が使いを出して呼び寄せたのだ。
こんな形で顔を合わせることになるとは思っていなかったけど、相棒であるわたしが出向かないわけにはいかない。
わたしはエルバートさんと一緒に応接室に向かった。
◇
「……お母様しかいらっしゃらないとは思っていませんでしたね」
家族の再会が終わるのを応接室で静かに待つのは、わたしと姫様。そして、使いに行ってくれたらしいレンデルさん。
「そんなもんですよ。子供が冒険者になると言った時点で、親は覚悟してますって」
……レンデルさんはそう言うけれど、たしかあいつは直接は家族に告げていないはず。
とんだ親不孝者だ。
それに、親と言うのもそんなものなのだろうか。
もし、わたしが同じ境遇だったとしたら、うちの両親はきっと一も二もなく駆けつけてくれたと思う。
わたしが密かに腹を立てていると、エルバートさんに連れられてお母様が戻っていらした。
「この度はうちの子がご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません。また、皆様はあの子のために大変なご苦労をしてくださったとのこと、心より御礼申し上げます」
その穏やかな微笑みからは、内心を察することは出来ない。
親を早くに亡くす辛さは知っているけど、子供があんな風になってしまうのも耐え難い辛さだろう。
「ひとまず呪術の干渉が届くようにして、目覚める直前にまでは戻してあります。ちょうどいい薬草が枕元にありましたので、勝手ながら使わせていただきました」
……考え事をしていたせいだろうか。何か変なことをおっしゃったような。
「ただ、目覚めた直後は、眠りにつく寸前の感情が暴走することになると思います。あの子が眠った時の状況を聞きますと……その、私が目覚めさせるのはまずいと思いまして。一度、ご相談に伺った次第です」
いち早く混乱から立ち直った姫様が勢いよく立ち上がり、テーブルの上のカップがかちゃんと音を立てる。
「ちょっとお待ちください!……本当に、目覚めさせることが出来るのですか?」
一同を代表したその指摘に、お母様は恥ずかし気に笑い、近くの花瓶から一本の花を抜き取った。
「……教会関係者の方の前で申し上げるのは心苦しいのですが、少々呪術を嗜んでおりまして」
みるみる萎れて崩れゆく花。どう見ても、少々どころの腕前ではない。
「まさか……あんたが、伝説の『邪拳』なのか?!」
自分が連れて来た人物の実力に、レンデルさんが驚愕する。
しかし、その言葉を聞いた途端、お母様の笑顔に恐ろしい威圧感が宿り……レンデルさんの服のボタンが全部弾け飛んだ。
「その二つ名はとうの昔に捨てました。二度と口にしないでください」
突如として凍りついた空気の中、お母様がわたしに向き直る。
「あなたがダナちゃんね。アランから聞いているわ。出来れば、あなたにあの子を目覚めさせてほしいんだけど……どうかしら?」
アランと言うのは、あいつのお兄さんの名前。あいつに似つかず寡黙で真面目そうな人だった。
ともかく、あいつを目覚めさせるというのなら、それはわたしの役目だ。
「はい、もちろんです!……それと、初めまして」
まだきちんと挨拶をしていなかったのを思い出し、慌てて頭を下げる。
「……本当にいいのですか?」
姫様が向ける意地の悪そうな表情の意味が分からず少し首を傾げるも、一同の笑いを堪えるような雰囲気を見て、ようやく先ほどの言葉の意味を理解する。
眠る直前の状況、感情の暴走、温泉、覗き。
……あいつ、何て状況で眠りにつきやがったんだ!?
「……それで、どうするのですか?何なら、今からでもセレステを呼びますが」
状況からすると彼女でも構わないのかもしれないけど……さすがにそれを譲る気にはなれない。
「……いえ、わたしがやります」
さっきの返事とは一転、わたしは蚊の鳴くような声で決意を示す。
……命を懸ける覚悟はしていたけど、まさかこんな事になるとは。
相手の母親に勧められて事に臨むなんて、一体どんな拷問だろうか。
「おぅ、じゃあ頑張ってこい!」
レンデルさんの下品な口笛を背に、わたしは羞恥に悶えながら、あいつが眠る客室に向かう。
……目覚めさせたあとには、きっちり絞め殺してやる!
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