第8話 炎上する野営地
「セレステ、お前も来い!」
そう言い置くなり、返事も聞かずに走り出す。
豹変した俺にぎょっとしたセレステだが、何か考えがあると悟ったのか、黙って追ってきた。
「一体どうするのよ!」
息も絶え絶えのセレステが俺の背に問いかける。
「どうするも何も、もちろん真っ先に突っ込むだけだ!」
◇
第一陣は丘の頂上で申し訳程度の陣形を組んで身を伏せている。それを尻目に俺たちはずんずんと前進していく。
「おい!」
慌てるハリーの制止を無視して、敵陣の様子を観察する。
野営地の中央付近にはいくつかのテント。木製の柵で幾重にも取り囲まれており、篝火がやたらと沢山焚かれている。羊対策は十分なようだが、見張りも立てないとは不用心なことだ。
ここから見て奥のほうには煙突が生えた大きな小屋が建っている。おそらく姫様はあそこだろう。
不敵な笑みを浮かべながら剣を抜く。突如としてやる気満々になった俺に、困惑したハリーの手が宙を泳ぐ。
「行くぞっ!」
腰の髑髏から不気味な閃光を放ち、丘の斜面を一気に駆け下りた。
◇
丘を下り、僅かな平地を駆け抜けると、そこは野営地の外周。簡素な木の柵を思い切り蹴飛ばして破壊する。ついでに傍の篝火も蹴倒して草原に火を放ってやる。
「おら、曲者だぞ!」
丁度いい台詞も思いつかなかったので、大声で何とも間抜けな自己申告。
最低目標の奇襲潰しはこれで成功だろう。ハリーたち第一陣は未だ丘の上で右往左往している。背後から射かけられないか心配していたが、助かった。
「無茶苦茶じゃない!」
ようやく追いついてきたセレステが両膝に手をつきながら絶叫する。こいつも混乱の只中だ。
「いいから派手に燃やしてくれ!」
迂闊に俺なんぞを最前線に押し出すからこうなるのだ。
それなりの付き合いになったセレステは、頬を膨れさせながらも大規模な風術を展開する。
煙越しに背後の丘を見上げる。
第一陣のやつらはとりあえず事の成り行きを見守ることにしたようだ。これで多少の時間は稼げただろう。あとは襲撃に見せかけているうちに姫様を逃すのみだ。
炎の壁を背に、適当な台詞を叫びながら野営地の奥に踏み入っていく。
◇
野晒しの物資にも火を放ちながら、テントの合間を縫うようにして進む。
これだけ騒いでいるのに誰一人起きてきやがらない。仮にも辺境で活動しているのに、呑気が過ぎるだろう。
程なくして、俺たち二人は野営地の最奥の小屋の前に辿り着く。遠目に煙突に見えたものはどうやら尖塔のようで、小屋の外壁には礼拝堂らしい装飾が施されている。
全員ここで寝泊まりしているのだろうか。
立派な扉に向かって歩みを進めようとしたとき、突然背後に生じた気配に咄嗟に身をよじる。
テントを裂いて飛び出した切っ先が俺の眼球すれすれを通過した。
「ちっ!」
舌打ちとともに姿を現すのは、黄金色の甲冑に身を包んだ細身の騎士。
「……わざわざこんな罠まで仕掛けたのに、かかった虫は二匹だけとはね」
そんな言葉とともに面当てが外されると、久方ぶりのアリサの顔が炎に照らされる。
見知った顔に脱力し、俺は剣を納めた。
安堵の笑みを浮かべつつ口を開こうとしたところに、再度突きつけられる切っ先。
「まさか貴方が姫様に剣を向けるなんて。覚悟しなさい……イネス!」
……おい、待て。
「いや、俺たちは裏切ったんだって!」
俺の言葉足らずの説明に、アリサは首を傾げるのみ。続く言葉を待たずに剣が引き戻される。
「うおっ!」
首を狩らんとする一閃。間一髪身を沈めて躱す。こいつ、本気で殺しにきやがった。
すかさず距離を詰め、腰に下げた短剣の柄を押さえて追撃の抜き打ちを食い止める。
「……死ね」
物騒な呟きとともに、短剣の護拳で高まる魔力。お得意の雷術か、と身構えるが……ぴりぴりと微弱な痺れが伝わるのみ。
はて、不発か?……と思うが、違う!
「何だ、それ!」
身を灼く痛みの代わりに、腕から這い上がる耐え難い痒み。俺は堪らず手を離してのたうち回るが、得体の知れない効果は持続したままだ。
しょうもない攻撃のようだが、こんなもの戦闘中に使われたら致命的だ。
……おのれ、チャーリー。
「貴方の始末は姫様にしてもらうわ」
アリサが這いつくばる俺の背中を踏みつける。いつぞやと同じく、俺の負けだ。
「知り合いっぽかったから手を出さなかったけど……良かったのかしら?」
両手を上げたままおずおずと話しかけるセレステ。
……まぁ好判断だ。
◇
俺の必死の弁明で、アリサは疑心を抱きながらも剣を納めてくれた。セレステと二人、小屋に向かって引っ立てられていく。
俺たちが辿り着く前に開く扉。夜着ではなく、旅装のような服に身に纏った姫様が姿を見せた。
アリサが駆け寄り、何やら耳打ちする。
「……まさか貴方に剣を向けられるとは」
腕を組んで頭を振る姫様。そのくだりはさっきもうやった。
……いや、そんなことより。
「襲撃です!敵勢力は冒険者崩れが約百名と、正規兵らしき輩が約三十名。あの丘の向こうから順次襲ってきます」
俺の切迫した訴えにも、姫様は変わらず穏やかな笑みを浮かべている。アリサの言動から察していたが、俺が知らせるまでもなく、姫様はこの襲撃を予見していたのか。
「なるほど。想定より数は多いですが、何とかなるでしょう……伝令!」
姫様の勇ましい掛け声に応じて、小屋からひょっこり顔を出す帽子の少年。
「ランダルさんご兄弟は兵を率いて両翼に展開、遅滞戦闘に徹するよう伝えてください」
「チャーリーさんには状況の説明。以上の連絡が済んだら、モリス君は使用人とともに小屋の中で待機してください」
「そちらの術師の女性には、後方で全体の援護をお願いできますか?」
矢継ぎ早に出される指示。寡兵というのは完全に欺瞞だったのか。しかし凄いな、知り合いが殆ど勢揃いだ。
この配置だと、俺はアリサと一緒に姫様の護衛か。
姫様を挟んでアリサの反対側に立った俺の尻を高貴なお御足が蹴り上げる。
「誰が裏切りを許すと言いましたか。こちらに寝返ると言うのなら、せめて敵将の首でも持ってきなさい!」
セレステはあっさりと許されているのに、何とも理不尽なご命令だ。
……しかし、俺もいい加減鬱憤が溜まっていたところだ。敵将を討つところまではいかなくても、引っ掻き回してやれば撤退支援にはなるだろう。
この混沌とした状況であれば、どさくさに紛れて俺一人逃げるくらいなら何とかなるはず。
「お任せください、姫様」
半笑いの姫様に騎士っぽい礼をとり、戦場に向かって走り出す。
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