第5話 豪華過ぎる演目

 濃密な獣の気配が生々しく吹き寄せる廊下の先。

 何があろうが即応できるように心構えしていたにも関わらず、またも俺たちは目の前の状況に困惑することになった。


「……訳が分からんにも程があるな」


 最高潮に高まっていたテレンスの熱が、盛大な溜息とともに吐き出される。

 そして、他の面々も警戒を緩めて辺りを見回し始めた。


「大きいのがいっぱい用意されてたわけだけど……これは予想外ね」


 セレステが光術の明かりを渡り廊下の左右に投下し、その異様な光景が浮かび上がる。


 分厚い防衛線に守られていた場所は……言うなれば、巨大な厩舎。

 途轍もない量の枯れ草が敷き詰められ、上層で見たようなどでかい羊たちが柵の内側で眠っている。

 格子状に張り巡らされた渡り廊下に立つ俺たちは、さながら天井の梁から様子を窺う鼠だ。


「あれが怪しくはあるが……調べに降りるなると、中々骨が折れそうだな」


 ロディさんの色眼鏡が向けられた先は、羊たちの口許を拘束する覆面から伸びた数本の管。

 反対側は壁に繋がっており、僅かに脈動して何かを羊の口内に送り込んでいるようだ。


 水と餌と睡眠薬あたりとは見当がつくが……果たして、それだけだろうか。


「起こして暴れやがったら面倒だし、とりあえずは通路から降りずに探索してみるか?」


 俺たちはランダルさんの提案に従い、格子状の梁を這い回ることにした。


     ◇


 やっぱり現れたどでかい鼠どもを蹴散らしながら探索した結果、発見したのは眼下の枯れ草に埋もれかけた大扉がいくつか。

 そして、梁から上層に向かう梯子だった。


 後者については鍵はおろか蓋すらされておらず、俺たちはまずそちらを確認してみることにする。

 そして……


「…………」


 もはや意表を突かれることに慣れてしまった一同の口からは、呆れたような溜息しか出てこない。

 ……長い梯子を登り切った先は、地底湖にぽっかりと浮かぶ島の端っこだった。


「遊びに来たのなら良かったんだけどね……」


 水辺のさざ波を眺めていたダナが、少し残念そうに苦笑する。


 地底湖と言っても、地中の空洞に自然に水が溜まったような自然のものではない。

 天井は例の『放牧場』のように人工の青空になっており、降り注ぐ柔らかい光が湖面で反射して煌めいている。

 島のほうも整えられた芝生で覆われていて、まるで何処かの保養地に迷い込んだかのような光景なのだ。


「ここ、貯水湖も兼ねているみたいだわ。多少の『適応因子』が含まれているけれど……まだ濃縮前みたいね」


 セレステからの報告に、些か緩みかけていた一同の表情が引き締まる。

 ここ以外にもいくつか島が見えるが……いよいよ濃縮設備が近いのだろうか。


「ご丁寧に舟まで用意してくれたようだが、調べるとすれば……まずは、あっちだな」


 ロディさんが指すのは、桟橋に繋がれている水鳥を象った小舟……ではなく、少し離れた場所にある苔生した石造りの建造物。

 形状としては円形闘技場に似ているが、大きさとしては中小規模の野外劇場に近い。


 濃縮設備が置かれるにはそぐわない外観ではあるものの、あからさまに怪しい建物を無視して他の場所には向かうことはできない。


「あそこで順番に一対一の決闘でもするつもりなら楽なんだが……そこまで馬鹿ではないよな」


 テレンスが考えているのは、自身が一人で『羊男』を沈める場面ではなく、観客席から乱入して全員で袋叩きにする場面だろう。

 これまでの俺たちのやり方を見ているのならば、さすがにそんな愚策は打ってこないとは思うのだが……もはや『羊男』の存念など誰にも分からなくなっている。


「訳が分からない状況ではあるが、何かに近づいているのは間違いない。全員、気を引き締めて行くぞ」


 ロディさんを先頭にして全方向に即応できる陣を組み、俺たちは苔生した謎の建造物に向かった。


     ◇


 入口の巨大なアーチを潜ろうとしたところで、最後尾のランダルさんが唐突に一同を呼び止める。


「……ちょっと待ってくれ。地上で何かあったようだ」


 今までの出し物は壮大な陽動だったのかと冷や汗をかくも、当のランダルさんは鷹揚に手を振った。


「いや、そんなに切迫した雰囲気でもないし、戦闘に入っている様子もねえ。混乱……っていうほどでもないが、想定外の状況に戸惑っているみたいだな」


 それ以上詳しいことは分からないようで、聞かされた俺たちとしても戸惑うしかない。

 当然、相談したところで結論は出せそうになく、リーダーのロディさんが一存で判断を下すことになった。


「とりあえず、この建物だけは引き続き探索してみよう。それで、また下らない出し物しかないようなら、俺が一旦地上に戻ってみる」


 あちらの状況を確認すると同時に、この遺跡についてチャーリーの見解を聞いてみたいとのこと。

 あまりにも意味不明の構造で、本当にさっきの人形どもが最終防衛線だったのか怪しくなってきたためだそうだ。


「……一人で大丈夫ですか?」


 戦力の分断に不安を覚えるダナの頭を、ロディさんは丁寧に撫でつける。

 ……そういえば、彼は亡くした親父さんに少し似ていると言っていたな。


「ああ、問題ない。そのほうが速く動けるし、それで『羊男』が釣れるなら儲け物だ。イネス、俺がいない間はリーダーを頼む」


 そんなものランダルさんあたりに頼むべきでは?という疑問を抱くも、それは口にするより早く視線に込められた意志で封じられた。


「……なるほど」


 単独行動をとる真の意味は……自らを囮として敢えて隙を作り、『羊男』の意図と危険度を推し量ること。

 やつの手口を事前に確認し、予期せぬタイミングで全員が致命的な罠に陥るのを防ぐためだ。

 

 そして、俺がリーダーとして任されたのは……未帰還の場合には即時撤退を決断すること。

 ロディさんの索敵能力と機動力を以ってしても逃げ切れないのであれば、他の誰もが対処できない。

 ランダルさんに任せないのは、彼なら間違いなく救出に向かおうとするからだ。


「……おう。よろしく頼むぜ、リーダー」


 しかし、長年組んでいたランダルさんには、そんな考えなど完全にお見通しらしい。


 ……いい加減、俺にばかり重荷を担がせるのは勘弁してもらえないだろうか。


     ◇


 とはいえ、そんな思い切った策に出るのは、この建造物の探索を終えてからのこと。

 気を取り直した俺たちは、入場通路を通り抜け……今度は感嘆の溜息を漏らすことになった。


「へぇ……『羊男』にしては、中々趣味のいい出し物ね」


 無骨な外壁には見られなかった精緻な彫刻の数々。優美さと機能性を両立するよう計算し尽くされた階段状の観客席。

 その最上段には貴賓席も設けられており、まさに格式高い野外劇場といった内装だが……俺たちの視線を惹きつけるのは舞台上で演じられている出し物のほう。


 ……光術によって宙空に描き出された、緩やかに回転する斑ら模様の巨大な宝珠。


「……あれって、たぶん『球体地図』ってやつだよね?」


 俺も現物など見たことはないが、ダナの推測は正しいだろう。

 現代を生きる誰もが存在を知っている教会の秘宝。あちらは巨大な金属球だと伝わっているが、出回っているその写し絵とそっくりだ。


「さすがに俺でも、これを目にしたらちょっと感動するぜ。逸話の爺さんが憤慨したのも納得だな」


 ランダルさんの言う逸話とは、謎の遺物が地図であると突き止めた教会関係者のかつての偉業と、その彼を襲った悲劇のこと。


 ……この世界は球体であるという画期的な説を提唱するも、そんな事は日々の暮らしには関係ない一般の人々から「ふーん」という反応で済まされてしまい、最終的に憤死してしまうという残念な話だ。


「おいおい、お前ら。下らない話をしていないで、もっと良く見ろ!あれは教会のものとは比べものにならないお宝だぞ?!」


 大興奮のテレンスに背中を叩かれ、一同は改めて世界の幻像に目を凝らしてみる。


 海岸線を正確に示すのみならず、山地の高さまで色で示しているのは、教会に伝わるものとおそらく同様。

 大きさと美しさについては、おそらくこちらのほうが上。

 他に相違点と言えば……


「……あの光点、まさか」


 何かに気づいたらしいロディさんは、いつになく動揺した様子でぶつぶつと呟き始める。

 ランダルさんも何かを理解したようで、満面に喜色を浮かべながら冷や汗を流すという、訳の分からない状況。


 一向に答えが分からない俺とダナ、セレステが顔を見合わせていると……


「冒険者としてまだ経験の浅いお前たちでは、すぐにピンとは来ないか。あの点は、世界に存在する全ての遺跡の場所を示しているんだよ……未発見のものも含めてな」

 

 痺れを切らしたテレンスが口早に告げた解答。

 それは、目の前の最大級のお宝自体が無数のお宝の地図である……という途轍もないものだった。

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