第14話 投じられた切り札

 くぐもった爆発音に続いて、空間全体の激しい鳴動。


 思いのほか強烈な追い風に不安を覚え、俺たち二人は今度こそ脇道に駆け込んだ。

 石壁の陰から効果のほどを確かめようとするも、暴風に混じる乳白色の粒子に気づいて慌てて頭を引っ込める。


 ……どうやら、この妙な空間内で使用したせいで、遺跡の外で使った時のように上手く威力を収束できていないらしい。


「心配するな、きちんと効いているみたいだぜ?」


 脇道の奥にへたり込んだランダルさんが、耳の横でくるくると指を回す。


 たしかに耳を澄ませば、激しい風音に重なって断末魔めいた羊の鳴き声が聞こえる。

 爆心地にあって絶命していないとは大層な頑丈さだが、連鎖する崩壊現象から脱出できるほどの余力はないようだ。


「……ぷっ」


 ようやく肩の荷が降りた俺は、ランダルさんの向かいに腰を下ろして大爆笑し始めた。


     ◇


 強壮薬と造血剤とで乾杯をし、馬鹿馬鹿しい結末となった今の死闘を振り返る。


「一時はどうなることかと思ったが……まさか、あんな間抜けな策が決め手になるとはな。史上初の快挙を成し遂げたっていうのに、いまいち喜べねえぞ」


 あの『投げ返すように仕向ける』という策は、俺たちが退避する時間を確保しつつ羊男を確実に爆発に巻き込む絶好の策ではあったが……まぁ、胸を張って誇れるような作戦ではない。


 人型の魔獣の初討伐という栄誉は、えげつない爆弾を作ったチャーリーに譲ってやることにしよう。


「しかし、手強い相手でしたね。あいつが真面目に稽古を重ねていれば、一体どうなっていたことか……」


 もし、やつが真剣に呪術の腕を磨いていたら、気合いの乗った一撃でも『不可侵』を破ることは出来なかっただろうし、他の攻撃的な呪術を習得していた可能性もある。

 それに、長い年月のあいだ武器の扱いを研鑽していたならば、ランダルさんの腕前を以ってしても為すすべなくやられていたに違いない。


 今はこうして余裕をかましていられるが、やつの精神的な未熟さに助けられた薄氷の勝利だった。


「たぶん他の人型はこんなに温くないだろうから、今後も出会うことがあったら気をつけろよ?」


 あまり考えたくはないが……この先も冒険者を続けていくのであれば、また人型の魔獣に出くわす機会があるかもしれない。


 ……結局、人型の魔獣とは何だったのか。


 やつは訳の分からない物を口にしたせいで人外に成り果てたと言ってたが、他の場所で目撃された人型の魔獣も同様に人間を基にしたものなのかは定かではない。

 かつて遭遇した虎男は、身振りで意思の疎通は出来ても言葉を話すことは出来なかったし、そのうえ殆ど感情を窺わせない超然とした雰囲気だった。


 チャーリーなら僅かな手掛かりでもまた何か思いつくのかもしれないが……と考えたところで、ふと気づく。


「……そういえば、あいつを仕留めた証拠って残ってますかね?」


 仲間内以外に誇る予定もないので別に必要ではないものの、ダナには土産を持って帰ってくるよう頼まれている。


 いつしか空間の鳴動も吹き荒ぶ風も収まり、羊の悲鳴もすっかり消えているが……骨の欠片くらいは残っているだろうか。


「さぁな。どっちにしろ脱出の手掛かりを探さなきゃならねえし、そろそろ見に行ってみるか?それに、まさかとは思うが……」


 記憶の中核をなす敵を撃破したにも関わらず、俺たちの身体は未だ透けてはいない。

 羊男は例外的な存在であったという可能性もあるものの……万が一にもしぶとく生き残っているのなら、きっちり止めを刺してやらなければならない。


 俺たち二人は風が完全に止んだのを見計らい、一気に風化が進んでしまった大通りへと引き返した。


     ◇

 

「おいおい、何だそりゃ……」


 何もかもが消失して丸くくり抜かれた街の中心には、たしかに骨が残っていた。

 しかし、それは羊男のものではなく、羊そのものの骨格。それも、爆弾の被害範囲を埋め尽くす小山のような巨大さだった。


「なるほど、そう来やがったか……」


 胴体と四肢は肉が朽ちて骨が剥き出しとなっている一方、金毛に覆われた頭部だけはほぼ健在。

 咄嗟に巨大化することで重要部位だけを影響圏から逃れさせ、あとは持ち前の再生能力だけで強引に耐え凌ごうとしやがったらしい。


 俺の下らない一手への対抗策は、馬鹿馬鹿しいまでの力技。

 命の危機ともなれば最期まで足掻いて当然だが、まさかやつにそんな根性があったとは……


「……ってことは、だ!」


 ランダルさん全力で投じた瓦礫は、唸りを上げて大通りを通過し……巨大羊の眉間の幾分か手前で不自然に勢いを失う。


 未だ存命である事は言うに及ばず。そのうえ、体表に展開された『不可侵』の領域はさらに分厚くなっていやがる。


 そして、固く閉じられていた瞼がぴくりと動き……ゆっくりと持ち上がる。


「……やってくれたな」


 歯の隙間から漏れ出る吐息に籠るのは、痛苦を上回る怨嗟の感情。

 意識を取り戻したせいか、ぶちゅぶちゅと不気味な音を立てて肉の再生が開始される。


「……もう油断しねえぞ」


 大通りの所々で苔の密生地が発生し、ぐずぐずと盛り上がり、無数の苔人形を形成し始める。

 細かい意匠は異なるが、いずれも女性型。あれは……アリサと姫様か。


「お前らが邪魔しやがったせいで、服の下までは再現できていねえが……」


 ここに来てようやく明かされる、あのときの襲撃の理由。

 以前の探索のおり、欲情した騎士どもをけしかけて来やがったのは、女性陣を裸に剥くためだったらしい。


 想像の斜め上を行く理由に、思わず肩の力が抜けるが……この状況は全く笑えない。


「……どうする?」


 巨大羊と睨み合うランダルさんに問いかけられるも、俺は答えに窮する。


 やつは身動きが取れるようになるまで再生に専念する模様。

 苔人形どもの守りは抜けないこともないだろうが、やつの前に辿り着いたところで畳み掛ける手札がない。

 気合いの乗った攻撃を加えたところで分厚くなった『不可侵』を抜けるとは思えないし、抜いたところであの巨躯が相手では到底命に届かないだろう。


「……どうしようもないですね」


 各々の得物を構築し始めた苔人形どもに背を向けて、俺たち二人は撤退を選択した。


     ◇


 降り注ぐ雷と炎をジグザグに走ってやり過ごし、何とか街の外縁まで逃げ延びる。

 先ほどの宣言どおり、羊男には最早油断はないようで、苔人形どもに深追いはさせずに自身の守りとして配備した。


「万策尽きたな……」


 背の低い石壁に腰掛けて息つくランダルさんが、眼下で繰り広げられている光景に溜息をつく。


 擂鉢状の中心で今なお厚みを増し続ける苔人形の円陣には、羊の頭部を備えた悪魔の坐像。

 ……どうやら、巨大な人型として身体を再構築しやがるつもりのようだ。


 再生が完了したのち、苔人形をけしかけて来るのか、やつ本人が出張ってくるのか。

 いずれにせよ、もう俺たちの手元には有効な札は残っていない。


「逃げ場もないみたいですしね……」


 街の外側のほうに振り返ってみるも、そちらには虚空が広がっているのみ。

 遥か上方まで不可視の障壁が張り巡らされているので、一か八か踏み出してみることすら試せない。


 ちなみに、地下への入口も逃走途中に確認してみたが、そちらも全てが同様の障壁で塞がれていた。


「さて、こうなると他の奴等の助けを期待したいわけだが……」


 当然、ランダルさんの『伝心』の呪術は未だ不通で、レンデルさんに率いられた救援部隊の状況は分からない。


 ロディさんと無事に合流できたのか。

 俺たちの状況は伝わっているのか。

 記憶の世界に引きずり込まれた他の面々はどうなったのか。

 そもそも、外の世界ではどれだけの時間が経過したのか。


 ……何もかもが依然として不明のままだ。


「諦めるつもりなんざさらさらないが、出来ることと言えば逃げ惑うだけ。それも、いつまで続ければいいか分からないとくれば、さすがの俺でも精神的にきついな……」


 頭を抱えてがっくりと項垂れるランダルさんを尻目に……俺は背後の虚空でふいに生じた気配へと向かって声をかける。


「まぁ、大方こんな状況だ」


     ◇


「……うん、大体分かったよ」


 華麗な登場の機会を潰された相棒は、悔しげな顔をしたまま俺の膝の上に座る。


 思惑どおりにランダルさんは驚愕させられたが、残念ながら俺にとっては予想の範疇。

 ……こいつなら現れても不思議ではないという、確信に近い信頼だ。


「で、そっちはどんな状況だったんだ?」


「……『孤島の遺跡』の記憶のあと、『帝国砦』でお父さんに稽古をつけてもらってた」


「っ!?」


 ……その状況は、ちょっと予想の範囲外だった。

 親父さんはこいつを冒険者にしたくなかったはずだが、幼い頃にはそんなお遊びをした記憶もあったらしい。


 目の前のもじゃもじゃ頭が些か萎んだように見えたので、手櫛で適当に整えてやることにする。


「……せっかく団欒してたのに、わざわざ来てもらって悪いな。それで、どうやって此処に?」


「何ていうか……いきなり空間の一部が歪んだみたいになって、イネスの声が聞こえた気がしたんだ。で、そこを手刀でズバッと切ってみると、道みたいなのが出来たから……」


「……何だそりゃ?」


 さっぱり要領を得ない説明だが、それは言葉が拙いのではなく、やっている事が滅茶苦茶だからだ。


 推測するに、おそらく例の爆弾がダナの記憶の世界にも何らかの影響を及ぼしたのだろう。

 そのときを再現するかのように振り回している手刀は、ロディさんの『呪術破り』の模倣だろうか。


 そんな出鱈目な手段で遺跡の理を乗り越えやがったことに何となく腹が立ち、俺は整えてやった髪を再びぐちゃぐちゃに掻き回す。


「お前、イカれてるんじゃないのか?」


「それはお互い様でしょ。それより、これからどうするの?」


「ああ、もちろん策なら用意してあるぞ」


 訳の分からない手段で作り出した、それも何処へ繋がるかも分からない道に、身一つで飛び込んでくるとは……こいつは間違いなくどうかしている。

 しかし、こいつが来ることを期待して、事前に策を練っていた俺も……まぁ似たようなものだ。


 当面の話がまとまったところで、俺たちのやり取りを黙って見ていたランダルさんに声をかける。


「そんな訳で、一つ露払いをお願いします」


「……わかった、後は全部お前らに任せてやる」


 長らく放ったらかしにされていたランダルさんは、すっかり呆れ果てていた。

 

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