第15話 引き寄せた鬼札

 反転攻勢を開始した俺たち三人は、それぞれに得物を振るって、分厚く繁茂した苔人形どもの防衛陣を切り進む。


 先頭に位置するランダルさんの歩みは、突撃と呼ぶには相応しくないゆったりとした速度。

 しかしその一方で、どれだけ敵に群がれようが、彼の歩みは決して止まることはない。


「……!……!」


 か細い呼気とともに間断なく繰り出されるは、空を切り裂く二本の槍による残像。

 愛用の業物のみならず、折り畳み式の予備の槍まで持ち出し、呪術に拠らない『不可侵』の領域を創り出している。


「全く、出鱈目だな……」


 両の手で柄の下端を握りながら、全く軌跡がぶれずに急所を穿つ刺突など……俺の語彙力では、最早そう表現するしかない。


 かつて模擬戦の相手をしてもらったときよりも、膂力も技量も明らかに向上している。

 ……このおっさんもまた、闘争の記憶を辿る課程で成長してしまったらしい。


「どうやってんだろ、あれ……」


 ダナが呆れているのは、ときおり飛来する魔術への対処だろう。


 姫様やアリサを象った苔人形どもは火球や電撃をも放ってくるのだが、それは穂先の圏内に入るなり悉く霧散してしまうのだ。

 ……全くもって出鱈目なことに、セレステの『魔術破り』が不完全ながらも再現されているのだ。


 いや、そもそも……火球はともかく、電撃に穂先を合わせられること自体が出鱈目ではあるのだが。


「どうって……そんなもん、気合いに決まっているだろうが!」


 そんな人外じみた戦いを繰り広げていながら、ランダルさんは会話に参加するほどの余裕を残している。


 言っていることも出鱈目そのものだが……それでも俺たち二人は、これまでの経験からその出鱈目が腑に落ちてしまう。


「……なるほどな」


 ……この『闘争の記憶を再現する』という遺跡の影響下では、その手の精神論が外界以上に威力を発揮している。


 そこまでは感覚としてある程度理解しつつあったが……自身の思い込み次第で、常識的な上限すら容易く突破できてしまうらしい。


「……大丈夫、イネスなら何だって出来るよ」


 同じ結論に至ったらしい相棒は、呪術に拠らない『言祝ぎ』で俺を鼓舞する。


 普段ならば、無茶を言うなと頭を掻き混ぜてやるところだが……今の俺は、不敵に笑ってそれを全肯定した。


「ああ、任せろ! あんなおっさんに負けてたまるかよ」


 これから羊男に食らわせる一手は謂わば正攻法で、やつの『不可侵』を真っ向勝負で打ち破るのが骨子となる。


 ゆえに……当然ながら、全身全霊の『気合い』は前提にして必須の条件なのだ。


     ◇


 単調ながらも着実な侵攻を続けて、羊男が待ち受ける円形広場が目前となった頃。


 ランダルさんは唐突に足を止め、思いっきり息を吸い込んで分厚い胸板を膨張させた。


「うおぁあっ!」


 トチ狂ったとしか思えない意味不明瞭な絶叫に、俺とダナは痛む耳を押さえて蹲る。


 一体どういうつもりなのか、と問おうとするも……その行動の意味は、実感によって即座に理解させられた。


「ぐぅっ……!」


 鼓膜から脳に伝播した強烈な雑音は、冷静な思考のみならず平衡感覚まで滅茶苦茶に掻き乱す。


 これは……『伝心』の呪術の不具合を利用して、攻撃用の技に転化したのか?!


「うわぁ……」


 ダナの涙目が向かう先では、苔人形どもが悉くボロボロと崩壊している。

 先の技はある程度の指向性を持っていたようで、円形広場までの道があっさりと開通していた。


 ……ランダルさんは魔術的な素養には乏しかったはずなのに、とんでもない威力だ。


「どうだ、おっさんを舐めるなよ!」


 そう嘯いて振り向いた彼の額には、玉のような汗がふつふつと浮かんでいる。

 案の定、今の驚異的な一撃は、少なからざる無理をして放った技だったらしい。


 本番はまだこれからなのに、一体何をやっているのかと抗議の声を上げかけるも……それは分厚い背中で遮られてしまった。


「……悪いな、勝手ながら作戦変更だ。俺はこのまま苔人形どもの陣に留まって、徹底的に蹂躙してやるぜ!」


 その決断の意味するところを理解した俺とダナは、思わず身を固くする。


 ……事前に立てた計画では、俺たち二人が羊男に仕掛けている間、苔人形どもに背を突かれないよう彼に守ってもらう手筈だった。


 雑魚の相手を一手に引き受けてもらうという点においては何ら変わりはなく、離れた場所で交戦するぶん、むしろ俺たちは動き易くはあるのだが……


「……そこまで賭けていいんですか?」


 三人のうち最大戦力である彼に後ろで控えてもらうのは、俺が立てた策が不発に終わった際に立て直してもらうという思惑も兼ねていた。

 当然ながら、離れてしまえばそれは叶わないし、その他不測の事態が起きた場合にも互いへの支援は不可能となる。


 つまり……


「おう、一発で決めてくれや。お前なら何だって出来るんだろ?」


 気軽な口調ではありながらも、そこに込められた思いは果てしなく重い。


 ……自らの冒険者稼業の集大成となるはずだった獲物を若輩者二人へと完全に譲り、己の命運すらをも全て賭すというのだから。


「…………」


 俺は瞑目し、その重圧を全身でもって余すことなく受け止める。


 このおっさんと俺とは、何だかんだと縁深くはなっているが……共に過ごした時間はさほど長いものではなく、本来そんな全幅の信頼を培えるほどの関係ではない。


 それでも尚、俺なんぞに全てを託してくれるというのは……言うまでもなく、俺の可能性をそれだけ買ってくれているからだろう。


「……イネス?」


 ダナは俺が臆してしまったのか心配して袖を引いているが、決してそんな事はない。

 ……むしろ、その逆。両肩にズシリとのし掛かった重圧を、熱量に転化するのに時間がかかっていただけだ。


 俺は目を開き、頼もしき先達の顔を正面から睨み据えた。


「……一発で決まらなければ、決まるまで手札を捻り出すまでですよ」


 そんな若干後ろ向きとも言える宣言でも、彼は満足してくれたらしい。

 俺とダナの背に強烈な張り手を叩き込み、彼の咆哮が切り拓いた血路へと送り出してくれた。


     ◇


 中心の噴水も周囲の建物もが悉く消滅した円形広場は、さながら広大な闘技場のような様相だった。

 苔人形どもが取り囲む剥き出しの地面の中央に座すのは……言うまでもなく、俺の冒険者稼業最大の獲物。


「誰かが侵入してきやがったのは感知していたが、そのチンチクリンのほうかよ。どうせなら、あの色々でかい姉ちゃんのほうが良かったんだがな……」


 腰を上げることもしないまま、相変わらずの軽口。

 しかし、依然として油断はないようで、手の届く位置には塔のごときピッチフォークが用意されている。


「そいつは残念だったな。それより、身体はもう大丈夫なのか?随分と小さく萎んじまったみたいだが」


 こちらも応じて軽口を叩いてみるが、内心では少なからず冷や汗を掻いている。


 羊そのものの姿だった頃に比べれば半分以下の体躯だが、それでも見上げんばかりの巨大さなのだ。

 むしろ、密度を増した威圧感がびりびりと肌に伝わってくる。


「……やっぱり、お前のほうがうぜぇな。ランダルともども人形で磨り潰してやってもいいんだが、俺様が直々に引導を渡してやる」


 広場を包囲していた苔人形どもは、逃亡防止のために一重だけを残し、残りは背後の戦場へと移動していく。

 滅茶苦茶な乱戦になるよりは有利な流れではあるが……やつの判断が油断と言えるかどうかは、これからの俺たちの働き次第だ。


 俺は先ほど重圧から転化させた灼熱を、さらに口汚い言葉へと転化してぶち撒けた。


「やれるもんならやってみやがれ、この無能の畜生以下が!」


     ◇


 そんな直裁的な罵倒にも口元をひくつかせるのみで、羊男はその巨体をのっそりと立ち上がらせる。

 同時に、ダナは俺の背と羽根箒にそっと手を当てた。


「じゃあ、頑張って!」


 そう言い置いて、天高く飛翔。上空でくるりと身を翻し、得意の空中戦を展開するべく旋回を開始する。

 羊男はたなびくマントを目で追いつつ、今度は顔を歪めて嘲笑の声を上げた。


「でかい口を叩いておいて、結局は女頼みかよ!」


 ……何とでも言うがいい。あいつの力も含めて俺の実力だ。


 とはいえ、地上に残った俺も傍観するつもりはなく、羽根箒を抜いて身を低く構える。


「いくよ!」


 羊男の後方上空を位置取ったところで、ダナが急降下を開始。

 身を捩ってマントを束ね始めたところで、俺も真正面から突撃を敢行する。


 前後二方向からの攻撃に、羊男は……


「下らねぇ!」


 後背斜め上方に得物を繰り出すと同時に、正面下段に足払いを放つ。

 足払いと言っても、この体格差。当然、俺の身体を丸ごと吹き飛ばすほど太さが襲い来るが……


「ああ、下らねぇ!」


 自身の身長の数倍の高さまで一息で跳躍した俺は、脛が纏った『不可侵』の領域まで何なく回避する。

 言うまでもなく、翔び立ち際にダナがかけてくれた呪術のおかげだ。


 さらに……


「何っ!?」


 羊男が驚愕するのは俺の回避行動ではなく、ダナの一撃の結果。

 振り下ろされた超重のマントが、分厚く『不可侵』を纏っていたはずのピッチフォークと打ち合う形になっている。


 ……事前にマントに染み込ませておいた血には、俺の『脆化』の反転。すなわち『硬化』の呪術がかけてあったのだ。


「……どうやら、俺の血だけは届くみたいだからな」


 正確には『濃密な呪術を込めた物体』だと思うが、ともかくこれまでの戦いで確認済みの事象。

 いくら瓦礫などをぶつけても弾き返されていたが、撒き散らした血はやつの『不可侵』を抜けて皮膚に付着していた。


「なるほどな……でもまぁ、だからどうしたって話だが」


 先ほど放たれた羊男の蹴り足には、べったりと血飛沫の十字が描かれている。

 ……ダナのように自由には飛べなくとも、宙空でその程度の仕事はこなせる。


 ただ、やつの言うとおり、俺は身を穿つほどの勢いで血を飛ばすことなど出来ないし、ダナの血塗れの一撃も『不可侵』の最後の一層までは突破できなかった。


 だが……そんなものは、どちらも織り込み済み。

 やつの不可侵を正面から打破するといっても、当然ながら小細工でのお膳立ても必要なのだ。


「さぁ、一体どうするんだろうな?」


 そんな挑発とも強がりとも思える俺の台詞に、羊男はまたも口元をひくつかせた。

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漂流するエクスプローラー 鈴代しらす @kamaage

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