第1章 放牧場 ~羊男と血染めの農民~

第1話 冒険者になったのは

 柔らかい朝日に照らされる草原、脛ほどの高さに生い茂った草が春風にそよいでさらさらと音を奏でている。それに重なるのは、荷馬車を牽く馬のぽくぽくという足音。荷台の上から後ろを見れば、真っ直ぐな二本の轍が地平線まで続いている。何度となく同じところをなぞられたであろう草原は、そこだけくっきりと黒い土をむき出しにしていた。


「お前ら、どうして冒険者になろうと思ったんだ?」


 ぼんやりと景色を眺めていると、同乗者のおっさんがそんな事を言い出した。

 強引で暑苦しいおっさんだが、駆け出し冒険者である俺たちのために、無償で手ほどきを請け負ってくれた面倒見のいい先輩だ。


「俺は金と名声だな」


 短髪の若い男が答える。

 年齢はおそらく俺と同じくらいだが、中肉中背の俺に比べ、随分と良い体格だ。少し着崩した服装からは若干ガラの悪そうな印象を受ける。


「まぁ、冒険者やろうって奴は大抵そうだよな!」


 おっさんが大きな声で笑う。


 短髪の男が足元に置いている長剣に目をやる。

 俺は武器の目利きができるわけではないが、随分と立派な拵えに見える。反りはなく、おそらく両刃。本来、駆け出し冒険者が持つようなものではないだろう。


「こいつは親父の形見なんだ。…ただの漁師が何でこんな大層な剣を持ってたのか、漁師をやる前に何をやってたのか、聞き出す前に病気でくたばっちまった。ま、せっかく剣もあることだし、魚捕るよりも棒切れ振り回すほうが得意だしって事で、辺境まで出てきたんだ」


 この剣振り回してりゃ、親父のこと知ってるやつに会えるかもしれないしな、と小声で付け足す。腕っぷし自慢のチンピラが冒険者に鞍替えしただけか思いきや、意外にも熱い思いを抱いて冒険者になったようだ。


「私は自由と力かしらね」


 肩口で髪を切り揃えた女が答える。

 目つきはきついが、なかなかの美人さんだ。身に着けているものは庶民的だが、髪の艶やふとしたときの所作が何となく育ちの良さを感じさせる。


「自由、か。嬢ちゃん、家出でもしてきたのか?」


 おっさんが顎をさすり、興味深そうにお嬢さんを見る。


「そんなところね。私の父は隣国の騎士なんだけど、仕えている貴族が代替わりで下衆野郎になっちゃってね。私がそいつに目をつけられて、妾にされそうになったものだから逃げてきたの。家出といっても父公認みたいなものよ。餞別も貰ったしね」


 一人で生きていける力が欲しいのよ、と、抱きかかえていた細身の剣をかちゃりと揺らす。

 軽い反りはあるが、刺突向きだろう。こちらもなかなかお高そうだ。


 こっちは隣国の騎士の娘か。冒険者なんてロクデナシがろくでもない理由でなるものだと思っていたが、口にしないだけでそれぞれ当人なりの事情があるのかもな。

 実家の宿屋でよく騒いでいたガラの悪いやつらに思いを馳せながら、青空を泳ぐ鳥を目でたどっていると、当然…


「で、お前は?」


 三人の目がこちらを向いている。


 どうする、この流れでは非常に言い出しにくいぞ。なし崩しで何となく冒険者になってしまったとは…


     ◇


 王都中央にそびえる王城、に隣接する飾り気のない石造りの建物。同じく飾り気のない石造りの小部屋には小さな窓が一つあるだけで、広さはそれなりにあるのに多少の圧迫感を感じさせる。小さなテーブルを挟んで鍛え抜かれた肉体の騎士と差し向かいともなれば、なおさらだ。


「イネス君、だったね?」


 向かいに座る壮年の騎士が尋ねる。


「はい。それで登用試験の結果はどうだったのでしょうか?それに、なぜ騎士様が?」


 成人する年齢になった俺は、生まれ故郷の街を離れて王都におもむき、文官の登用試験に挑んだ。

 べつに国に仕えることに憧れていたわけではない。だが、家を継がない者が就ける仕事は限られている。兄が継ぐ宿屋で手伝いをしていくのも、どこか他の店で下働きから始めるのも気が進まず、どうせなら国からの禄で安定した将来を…という思いから、実家を飛び出したのだ。

 …飛び出したと言っても、しっかり旅費も支度金もいただいて、家族から激励されての旅立ちだったのだが。


 王都に来てみると、文官と併せて王国軍の兵士と術師を募集していることを知った。一部の試験は文官のものと共通しているとのことだったので、これ幸いとそれらにも併せて応募する。実家の宿屋には幾人か冒険者の常連客がおり、暇なときには遊びがてら稽古をしてくれていたので、武器と魔術の扱いには多少の心得があったのだ。その程度で即採用されることはないだろうが、試験を受けてみるだけでも後日話の種にはなるだろう。


 法律の筆記試験に魔術の適正評価、訓練場での模擬戦闘。項目が増えて数日にわたる長丁場となった試験を終え、受験者が集う大広間で発表を待っていたところに、この別室呼び出しである。


「まずね、文官としては不合格。試験の出来が不十分だったね」


 …大丈夫、それは自覚していた。


「それから、魔術の適正については『様々な系統の魔術に適正を示すが、魔力量が規定以下のため不適格』とのことだったよ」


 多少は評価できる点もあったみたいだが、要はこちらも不合格。

 …とはいえ、いずれも納得できる理由だ。


「兵士としてははどうなのでしょうか?一応、現役の騎士様にも善戦したと思うのですが…」


 そうなのだ。俺は模擬戦闘で現役の騎士を相手取って「引き分け」に持ち込んだ。

 見込みのなさそうなやつらはさっさと叩きのめされ、逆に武芸を学んでいたと思われるやつらは数合の打ち合いだけで終了を告げられる中、俺だけはへろへろになるまで戦った。一応、最後まで倒れなかったのでそれなりの評価を受けるのでは?と期待しているのだが…


「うん、なかなかの腕前だったね。ただ、戦い方がね。君、蹴り技くらいならともかく、盾投げたり、砂で目つぶししたりしたでしょ。騎士のなかにはああいうの嫌いなやつも多くてね」


 冒険者仕込みの小技を駆使して必死にあがいたのは完全に裏目に出たようだ。


「申し訳ないけど、王国軍兵士としても君の登用は見送らせてもらう」


「そうですか…」


 どうする、このまま実家に出戻るのか?

 意気揚々と旅立ってまだ半月も経っていない。…これでは、ただの王都見物だ。気まずすぎる。


 しょんぼりする俺に騎士様が救いの手を差し伸べた。


「そんなわけで、君にお勧めしたいのは冒険者だね。君の多彩な才能は、冒険者になってこそ輝くと思う。丁度、辺境の街で若手冒険者を求めているんだ。良ければ推薦するよ?」


 君ならきっと一流冒険者になれるよ、と続けられる誘い文句を聞き流し、しばし考え込む。

 実家で騒いでいたチンピラ共。遊び相手としては良いやつらだったが自分がその一員になろうとは考えていなかった。感性というかノリというか、そういった彼ら独特の雰囲気が自分には合わないように思う。顔を見かけたときにちょっと相手をしてもらう位が程よいのだ。

 とはいえ、王都見物だけで実家に帰るのはやはり精神的にきつい。どうしたものだろうか…


「あ、諜報部門の人間は君のこと随分気に入っていたよ。腕前はもちろんのこと、目立たない容姿が敵国に単独潜入させるには最適な人材なんだとか」


 もしかしたら後で強引に勧誘してくるかもしれないから気をつけなよ、と意地悪な笑みを浮かべる騎士様。

 文官志望の人間にそんな無茶な要求をしないでほしい。本当に勧誘などあるのか不明だが、もし強引に諜報員などにされてしまえば安定した将来どころか早々に異国でひとり死んでしまう。


「冒険者になります」


 …選択肢を失った俺の喉から、やむなくそんな言葉がひねり出された。


     ◇


 そんなこんなで冒険者稼業を始めたわけので、この流れで胸を張って語れるような話はない。俺も似たようなもんさ、と誤魔化しているうちに、御者をしてくれていたもうひとりの先輩冒険者から声がかかった。


「そろそろ着くぞ。あの小川の向こうから、いわゆる『放牧場』だ」

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