第7話 逃走

 未踏破遺跡で、全く想定していなかった他者との遭遇。


 デザインは古いが、作業着だろうか。枯れ草色に染められたツナギを纏う身体は小柄な男のもの。ただし、その上に載る顔は…羊そのもの。

 あいつも魔獣なのか?


「何だお前は!?」


 思考が停止した俺たちとは異なり、モリス君が瓶を放り投げて槍の穂先を件の羊男に向けた。


「やめろ、引け!」


 ロディさんの焦り声も意に止めず走り出す。


「『螺旋突き!』」


 そのままランダルさん直伝らしき技を放とうとするが…

 異形の人影がにわかにぶれたかと思うと、まるで冗談のようにモリス君の背後に立つ場所を変えている。そして、手ぶらだったはずの羊男が提げている薄汚れた桶から赤黒い液体をぶちまけられた。

 全身が粘度の高い液体にまみれたモリス君の動きが止まる。


「うごぁあ!」


 数瞬の静寂ののち、モリス君は膝から崩れ落ちたかと思えば、白目を向いて海老反りになって悶え始めた。


「モリス!」


 ランダルさんが駆け寄ろうとしたところで、噴水の向こうからさらに影。


「ここで『牧羊狼』かよ…」


 低いうめきが漏れる。

 いつぞやの小型犬の見た目をそのままに、馬ほどまで大きくした姿。その数、十以上。


「全員、引くぞ!」


 俺たちは未だ混乱のさなかにいたが、何とかロディさんの声に反応して走り出した。


     ◇


 もはや陣形も何もなく、一団となって走る。噴水からかなり距離はとれたが、先輩方は足を止めない。


「救出は?」


 テオが隣を走るランダルさんに問う。


「断念する。お前らにはまだ関係ないと思って教えてなかったがな、人型の魔獣はやべぇんだよ」


「どうやばいんすか?」


「詳しく話している暇はねぇ!それに、牧羊狼があれだけいたってことは…」


 ランダルさんの言葉を遮り、轟音。

 後方で瓦礫が吹き飛び、羊の大群。


     ◇


 元々単純なつくりの街だったのに加えて、地図を描いていたことが幸いした。

 真後ろから追ってきた羊の群れ以外にも、窪地を囲む森からも追手の集団が現れたせいで何度か進路を変える必要はあったが、モリス君以外に欠員を出すこともなく地下通路に駆け込むことができた。

 ランダルさんが扉を閉め、愛用の槍をがきりと突き立てて封鎖する。


 これでもまだ逃走は十分ではないらしく、先輩方は階段を駆け降りていく。俺たちも転びそうになりながらも後に続き、そのまま地下の厩舎まで撤退した。

 土にまみれるのを気にする余裕もなく、地べたにへたりこむ俺たち。しかし、階段横のまだ開けていない扉に手を当てていたロディさんが容赦なく告げる。


「あまり休んでいる暇はないぞ。こっちからも来てる」


     ◇


 明かりは各々が腰に下げたランタンだけ。聞こえるのは自身の息遣いと心臓の拍動。それと、遥か後方でけたたましく石畳を叩く蹄の音。数は、考えたくない。

 

 日の出から半日ほど歩いてきた地下通路は一直線で分岐もない。やつらを撒くのは無論不可能だし、諦めてくれるというのも希望的観測だろう。一人二人が殿として残ったとしても、いずれ数に押しつぶされる。


 ともに走る面々の様子を見る。先輩ふたりはまだ何の問題もない。テオも大丈夫だろう。アリサは雷術で無理矢理足を動かしているようだ。そう長くはもつまい。

 悠長に相談している暇はないので、独断で一手打つことにする。


「何する気だ?」


 テオに背嚢を押し付け、逆走。壁に向かって加速する。壁を蹴りつけ、風術で背中を押して上方に跳び、目いっぱい腕を伸ばす。

 天井の石材の隙間に王都土産の剣が突き立つ。と、同時に今できる限界の魔力を瞬間的に込めて、地術を行使した。


 地響きとともに、貴重な神代の遺跡が崩落する。


     ◇


「無茶するわね」


 柔らかい手が、俺を土砂の中から引きずり出す。骨が折れたりはしていないが、胸当ては留め具が壊れてどこかに行ってしまったようだ。剣も盾も、掘り出すのは無理だろう。


「助かったぜ。…調査隊に怒られるだろうがな」


 ランダルさんがいつもより弱々しく笑った。


     ◇


 いくら羊の数が多くても、完全に瓦礫で塞がれたあの通路をすぐに突破してくることはないだろうという判断から、俺たちは少し長めの休憩を取ることになった。俺の魔力は飲み水を配ることもできないほどすっからかんだ。


「結局、あの人型の魔物って、何なんすか?」


 テオが先ほど聞きそびれたことを尋ねる。

 先輩方によると、人型の魔獣は辺境奥地の遺跡の深部で極まれに姿を見せる強敵なのだそうだ。それ自体が凶悪な身体能力と知恵をもつのに加えて、人型の魔獣がいる遺跡は「生きている」事が多いらしく、遺跡探索自体の危険度も跳ね上がるとのこと。

 ランダルさんの弟が行方不明になったときも、人型の魔獣があらわれたらしい。


 未踏破の遺跡に挑戦するということで十分に警戒していたつもりだったが、ここまでの事態になるとは全く覚悟ができていなかった。先輩方にとっても想定外だったようなので、仕方ないとは言えるが…


 背嚢に括り付けていたピッチフォークに目をやる。こんなものとはいえ、一応遺物を手に入れることは出来たし、調査団に提供できるような情報も手に入れたが…失ったものとは釣り合わない。

 年下の先輩、モリス君。気に食わない少年だったが、べつにいなくなってほしかったわけではない。 

 酒場の少女と顔を合わせるのが、気が重い。


 依然、追手が来る様子はないが、いつまでもここでへたり込んでいるわけにはいかない。重い腰を上げて、俺たちは移動を再開した。


     ◇


 ようやく地上に這い出てきたときには、すっかり日が落ちていた。

 気持ちのうえでは今すぐにでも街に戻りたいところだが、夜間の移動は控えて前日と同じ野営地で夜を明かしてから街へと帰還することになった。


 言葉少なに食事を終え、それぞれのテントに解散する流れとなったが、どうにもすぐ眠る気には慣れない。心身ともに疲弊しきっているのだが、波乱にあふれた今日の出来事が頭のなかでぐるぐると回り続けている。

 草原に身を横たえて満天の星空を眺めていると、テオがやってきて同じように寝転がった。アリサはテントに戻ったようだ。疲労がまさったのか、あるいは自分に気持ちを向けていたモリス君のことに思いを馳せているのか…

 テオは何も語らない。俺も何を話していいのかわからない。

 彼が迂闊だったのは確かだが、この先冒険者を続けていればいずれ自分も同じような目に合うのかもしれない。流れにまかせて冒険者にはなったが、本当にこのままでいいのだろうか。俺にはテオやアリサのように確固たる動機があるわけでもない。


 どうにも考えがまとまらない頭に見切りをつけて立ち上がった。がりがりと髪を掻きむしる。


「…寝るか」


     ◇


 ぼんやりと空が明るみ出してすぐ、俺たちは街に向かって移動を始めた。羊は昨日にも増して多いような気もするが、流れ作業のように処理していく。

 やがて『放牧場』の入口に辿りついてみると、飲んだくれの一人が律義にも馬車で待機していてくれた。一人少ない人数に疑問の声を上げようとしたようだが、事情を察したのか飲み込んでくれた。ありがたい。


 地平線の薄明が完全に闇に消えるころ、重い空気が漂う馬車は『羊の街』に帰還した。


 こうして、俺たちの初めての遺跡探索は苦い思い出とともに終わった。




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