第三章 グランベル帝都
あのあと―ライナスが遺跡の最下層でアストリアを気絶昏倒させたあと―なにがあったのかアストリアには知るよしもなかった。
気がつけば地上に倒れていて、どれくらい時がたったのか――それが数時間か一晩か、それ以上かもわからなかった。
よく野生動物に食われなかったものだと自分で思うほどである。
硬くなりはじめたからだを起こして荷物にまだ残っていた非常食をむさぼり、水筒を逆さにして飲む。
それでも水が足りなくて川を探し、そのあとは川に沿って移動した。
街や村があるかもと推測したからである。
歩きながら考えた……おそらくライナスは気絶したオレを地上へ転送した。
その位置は打ちあわせで教えられた場所ではない。
そして確実にいえることは、ライナスはオレを裏切った。
なにかの目的のために……。
にわかに湧き起こる復讐欲が彼を生きて村までたどり着かせたのかもしれない。
持ち物、金は抜き取られていなかった。
死体回収の報酬で、彼は金だけならもう傭兵をやらなくてもいいくらいだった。
大量の金貨を持ち歩いていたわけではない。
危険だし物理的に不可能だからだ。
品質のいい宝石に換金したり
一匹狼の彼も、傭兵ギルドに登録はしている。
なぜなら登録者以外がもぐりで仕事をすると〝狩られる〟からだ。
いつ死んでもいい彼だったが、人生すべてをハンターたちとの戦闘に使う気にはならなかった。
たどり着いた村で最初にであった人間にここはどこでいまはいつか尋ねると、村人は目を丸くした。
まるでお伽話から抜け出たようなことを訊く彼に村人も驚いたが、アストリアも驚いたのはあの遺跡に出発する前、最後に打ち合わせした街からそう離れていなかったことと、出発した日付から4日も経ってなかったことである。
宿で体調を取り戻したあと、彼はすぐギルドのある街へと出発した。
あの遺跡に戻ろうとはしなかった。
なぜか場所を正確には思い出せなかったし、なによりひとりでは最下層までたどり着けないだろう。
マッピングをライナスに任せていたのが失敗だった。
ギルドに預けていた金もライナスとの契約もそのままだった。
その後ライナスが何者だったのか調べようとしたがあまり情報は得られなかった。
また死んだように街をさまよう日々がはじまった。
1年後、アストリアはファンタイル大陸西方に位置するグランベル帝国の首都にいた。
大陸唯一の魔術師養成学校エル・ファレル魔導学院と魔術師ギルドがあるからである。
ライナスの情報が得られるかもしれないと思ったが無駄だった。
魔導学院は閉鎖的で魔力のないものは立ち入りすらできず、魔術師ギルドは秘密主義で質問すら受け付けないのだった。
ただ、ライナスという名前を聞くとどの魔術師も一瞬凍り付いたような表情をみせる。
なにかあるとは感じるのだが情報屋でもない彼には打つ手がなかった。
今日も収穫なしか……と大通りを歩いていると人がたくさん集まっていた。
貴族の女性が街頭演説をしていた。
帝国では数年前の
途中からだったが演説の内容が聞こえてきた。
「国家を守る崇高な使命に身を捧げたものに待っているのは英雄としての凱旋か名誉の戦死……! 戦争は英雄たちの物語です。皆さん、剣をとり戦地に赴きましょう! そして英雄になりましょう!」
アストリアは黙って聞いていたが苦虫を噛み潰したような気持ちだった。
戦争に行ったものを待ってるのは腕や脚が欠けた人生だ……戦争が終わったあと誰が彼らの人生を保障するのか。
彼女は生きる気力ををうしなって物乞いをしている傷痍軍人を見たことがないのだろうか。
聞いていたくない。
その場を去ろうとしたとき近くのカフェにいる若い男女に異変が起こった。
男は長身で赤毛、女は褐色の肌で銀髪だった。
「ごめん。もう食べられない」
女のほうが口元を抑えた。
「そんなに悪いならこの店を出よう」
「演説を聞いていたら……うっ」
女はちょうどアストリアが近くを通りかかったとき倒れかかった。
「おいあんた平気か」
アストリアは女のからだを支えようとしたが女は地面に倒れこんでしまった。
その様子をみた男はアストリアに話しかけた。
「この
「ゆるさない」
女は眉間にしわをよせつぶやいた。
「ダメだ、うなされてる」男は慌てたので、アストリアは「違うよ、体重だよ。体重の事を怒ってるんだよ」と訂正すると女はガバっとからだを起こして「なんなんだ、おまえら!」と大きな声で怒鳴った。
そのせいでまた倒れこんでしまう。
「ああ、めまいが……」
「大丈夫か、シェリー。よしゆっくり運ぼう。おれたちの住処はそんなに遠くない」
「なぜオレが……」
アストリアはなし崩し的にシェリーと呼ばれた銀髪の女を運ぶのを手伝った。
「ここがおれたちの家だ」
赤毛の男がいった。
「じゃあオレはこれで……。吐き気のする演説だった。お大事に」
「待って、あんた戦争に行ったの?」
アストリアが去ろうとするとシェリーがよろめきながら訊ねてきた。
「自分から行ったんじゃない」
アストリアの表情に翳りが浮かぶ。
「あんたはこの家に入っていい」シェリーはアストリアの腕をつかんだ。「アルフレッド、いいよね?」赤毛の男に問いかける。
「いいと思うぜ。礼もしたいし。飯食ってけよ。泊る所はあるのか?」
アルフレッドと呼ばれた男は強引気味にアストリアを招き入れた。
「あんたこの街ははじめてなんでしょう。なんとなくわかるよ」
ふたりの態度には拒絶しがたいなにか――温かさがあった。
アルフレッドと体調を回復したシェリーは食事を用意しアストリアは食卓を共にした。
アストリアは食事の時も手袋を外さなかったがふたりはなにもいわなかった。
なぜこの街に来たか真意を話さずに適当に話してると、シェリーが鼻をスンスンと嗅いだ。
「童貞の匂いがする。あんた、女を抱いたことないでしょ」
シェリーのからかいに、アルフレッドは爆笑した。
シェリーもけらけらと笑った。
「最愛の
アストリアがつぶやくと気まずい空気が流れた。
「あたしたち、最低だね」
シェリーが下を向いた。
「たち? おれはなにもいってないぜ」
アルフレッドが反論する。
「バカ! 笑ったでしょ。アストリア、悪かったよ。でも立ち直らないとその子も天国で心配してるよ」
「天国とか地獄とか本気でいってるやつはバカだよ……、あんたはバカじゃないけど」
アストリアの瞳はたとえようもない程の哀しみを映した。
自分も地獄を知っているつもりだけど、自分より若く見えるこの青年はどんな地獄を見てきたのだろう。シェリーは思った。
いや……、地獄を比べてはいけないのだ。
気を取り直して話しかける。
「あたしが前にいた娼館を紹介してあげようか? 女を抱けば優しい気持ちになれるよ」
「死んだ女に操を立てたってしょうがないぞ」
アルフレッドも彼なりに励まそうとした。
アストリアは困惑した表情になった。
「あんまり誘惑しないでくれ! いまはそういう気にはなれない」
シェリーがなんの抵抗もなく娼館で働いていた経験があることをカミングアウトしたが、すんなりと受け入れられた。
彼女にとって後ろめたい過去ではないのだろう。
アストリアが信頼を得られたから話してくれたことでもある。
好感に揺るぎはなかった。
この人たちとは以前から友人だった気さえする。
「ところでこの街で仕事を探してるっていったな。おれの知りあいの魔術師が戦士を探してるんだがあってみないか?」
「!」魔術師ならライナスのことをなにか知っているかもしれない。「会ってみたい。傭兵の仕事か?」
「おれもあんまり詳しくは知らねーんだが護衛の仕事らしいぜ」
「そうか、よろしく頼む」
人間とまともに会話したのはどれくらいぶりだろう……。
ライナスを除けば気の遠くなるほど久しぶりだった。
シェリーが台所に食事の片づけをしにいくとアストリアはアルフレッドに質問した。
「どうしてあの人はオレにやさしいんだ? はじめて会ったばかりなのに」
「あいつの家族、みんな戦争へ行っておかしくなった。
父親は徴兵されて戦死。弟は父さんのかたきを取るって自分から軍にはいって、戦争から帰ってきたときは手足が欠けてた。
性格も荒れて、介護するシェリーにあたりちらして、最期は狂い死にさ。
おまえが自分から戦争に行ったんじゃないっていったから、おまえの気持ちが解るんだよ。親父か弟を思い出したのかもな」
「………」
「今日はもう遅い、風呂入って寝ろ。部屋は空き部屋がある」
「ありがとう」
その日は久しぶりに温かい気持ちになれたのだった。
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