第八章 彼女の名は杏アリス

「前世界を消滅させる事件を起こした女の子の名前はアンアリス。

 日本人です。

 いにしえのこの国には子どもに教育を受けさせる義務があったといいます。

 現在のものより高度な学習を行っていたようです。

 〝学校〟という教育機関で彼女はいじめの対象でした。

 アンアリスの遠い先祖は外国人で髪の色なども一般的な日本人と違っていました。

 髪を引っ張られたり蹴られたり、些細なことでなじられたり……。

 小学校ではいじめ地獄。

 生徒だけでなく教師にも死ねといわれていたそうです。

 中学校という学習機関にあがると一時的にいじめはなくなりましたが心の傷をかかえたまま高校という学習機関にあがりました。

 そこではこの世の地獄がまっていたと彼女は記しています。

  1ページに数か所『死にたい』『消えたい』『助けて』といった記述が見られます。

 極めつけは教師たちが彼女に髪を染めるように申し付けたそうです。

 学校に居場所がなくなった彼女が家に閉じこもると親から学校へ行けと怒鳴られる、そんな日常でした」


 アストリアたちは目を細めた。噂に聞く東方のイメージが壊されるようだった。


「彼女の友だちがひとりだけいました。ひとりというよりは1匹です。

 イヌのランスロット。

 名前の由来は『アーサー王伝説』に登場する騎士の名前だそうです。

 それがどんな物語か、いまとなっては知ることはできません。

 ランスロットだけは彼女を裏切らなかった。どんなときだって。彼女が悲しみに暮れるときランスロットだけが彼女に寄り添おうとしました。

 だが悲劇は起こりました。彼女がいじめグループになじられるのを目撃したランスロットはそいつらに襲いかかったのです。

 人を襲ったイヌの末路は……わかりますね。

 ランスロットは彼女から引き離され、小さな部屋に閉じ込められ毒ガスで処分されることになりました。

 ここから燃え残った日記のページを読み上げます。




2026年11月11日

 教師に大学は99パーセント無理だといわれた。もうだめだ。わたしがやってきた3年間はまったくの無意味だった。



2026年11月21日

 文化祭を休んだ。心が折れた。

 みんな大学を公立にするか私立にするか話しているのにわたしは自主退学のことを考えている。

 みんなにあたり前にある未来がわたしだけにない。いまこの瞬間に心臓が止まったらいいのに。

 わたしがいなくなっても人口がひとり減るだけだ。誰も悲しまない。

 ランスロット! ランスロットだけは悲しんでくれる、実の親よりも……



2026年12月12日

 ランスロットと遊んでいたらゴミに怒鳴られた。

「勉強しやがれ!」って。わたしはおまえのドレイじゃないぞ。くそやろう。

 この世界で一番キライ。父親が。



2026年12月25日

「学費をだしてやってることを感謝しろよな! 学校辞めるなら学費返してもらうぞ」といわれた。

 死ぬ方法について調べたらランスロットが急に泣き出した。

 わたしももらい泣きしちゃった。クリスマスなのに。

 わたしが死んだらランスロットはどうなるの? そのことを考えるのが一番苦しい。



2027年1月1日

 父親の実家に帰省することになった。受験生なのに。

 わたしは拒否した。そうしたらものすごい剣幕で怒りだした。

「こんなときだけ勉強したいなんていったらただじゃおかねえぞ!」って。

 いつか殺してやる‼



2027年1月15日

 文化祭にでなかったことを同じ部活の人から責められた。

 あなたたちはいいよね。未来があるんだから。

 わたしの気持ちなんてわかるわけないよ。高校中退することになったらそのときは死のう。

 ああ! ランスロットのことをどうすればいいの?

 神様助けて。



2027日2月10日

 受験だめだった。もうだめだ。

 この国は地獄だ。未来は暗黒の虹に閉ざされた。この世界に生まれたことが間違いだったんだ。



2027年2月11日

 卒業アルバム用の集合写真を撮影するときわたしは背の高い人のかげに隠れた。

 こんな忌まわしい高校に在籍していたことは人生の汚点だ。



2027年3月12日

 もう何も考えたくない。

 なにもしたくない。

 1日中ランスロットと遊んでいたい。でもあいつは許さないだろう。

 親の命令で浪人することになった。

 大学に受かるまで二浪でも三浪でも百浪でもさせられそうだ。

 だっからなんで正月にてめえの親に会いに行ったんだ。てめえが一番邪魔してるんだよ。カス。



2027年5月8日

「勉強しろっていってもらえることを感謝しろよな! 歳を取ってからなんで勉強しろっていってくれなかったっていう馬鹿もいるんだからな!」といわれた。

 あいつに怒鳴られると脳がしびれて全身からちからが抜けていく。わたしはもう長くないだろう。

 部屋から出る気力がない。ランスロットのお世話しないといけないのに。

 ごめんね、ごめんね



2027年5月14日

 今日は誕生日だ。19歳になった。

 父親にもう死ぬかもしれないというと「へんな気起こすんならおじいちゃん長くないから、その後にしてくれよな!」といわれた。

 ランスロットと添い寝した。涙がとめどなくあふれた。全身から水分がなくなるまで泣いた。こんなに悲しい誕生日はない。

 あいつにイヌに生まれ変わったらどうだといわれた。

 それもいいかもね。



2027年5月17日

 わたしが部屋で音楽を聴いていたらあいつが乗り込んできた。

「調子に乗るなよ! なんでもひとのせいにして、情けねえやつだ! 自分はなんにも努力しないくせに」と怒鳴られた。

 もう殺す。

 わたしは台所に行ってコップを粉々になるくらい強く床に叩きつけた。

「おまえを殺してわたしも死ぬ! いいか、おまえは逃げられない! この家の人間は皆殺しだ!」わたしは叫んだ。

 あいつはビビりまくって家からいなくなった。いい気味だ。



 家に保健所の人が来た。ゴミが呼んだらしい。

 わたしは訴えた。あのゴミがしたことを。

 なにかかわるだろうか。



2027年6月30日

 保健所の人は二度とこなかった。なんで? あいつが暴力を振るわないから?

 わたしが保護できる年齢じゃないから?

 名刺を渡してくれなかったから連絡先もわからない。わたしはスマホを持ってないから保健所に電話もかけられない。

 わたし、見捨てられたんだ。





 ランスロットだけがわたしのすべてだ。彼だけがわたしの友だち。彼はぜったいにわたしを裏切らない。この世界のすべてがわたしを裏切っても。



 ゴミはわたしになにもいわなくなった。わたしは19歳で世捨て人になった。

 そうなるように運命に仕組まれていたんだ。

 わたしはもう二度と神社に行かない。神様に祈らない。

 だって、あんなにお願いしたのに助けてくれなかったもん。

 わたしはあとどれくらい生きるのだろう。

 この国は冷たい国だ。優しい仮面をつけた冷たい国。

 学校の人間も近所の人も苦しんでいるわたしを黙って見てる」




 紗良さらはゆっくりとページを閉じた。


「ごめん。無理。胃液が上がってきた」フェイは口元をおさえていた。


 フランクも眉間にしわを寄せている。


 アストリアはまるで親友の死体を見たような顔をしている。

 彼の視線は動かず、遠い昔に彼を裏切った魔術師ライナスの言葉を思い出していた。



『モンスターは召喚されたんだ、魔界から。

 正確にはある少女が自分のいのちと引き換えに魔界とのゲートを開いた。その時この世界と魔界は一時的に地続きになった』


『ある少女というのは誰だ。なぜそんなことをした』


『セカイから棄てられた少女と云われている。魔族の血を引いていて、迫害されていた彼女を守ろうとした騎士が目の前で殺されたとも……』


『悲しい話だな』


『彼女には巫女としての能力があった。本人は知らなかっただろうが……』




 疑問点はあるが話の骨子はあっている。ライナスといえども全知全能ではないのだから、細部が食い違っていたとしてもおかしくはない。


 アストリアがクレリアを見ると彼女はいままでに見たことがない表情をしていた。

 まるで時が止まった表情である。あまりに異変のある顔なので逆に問いただせなかった。



「彼女はあまり日記を書かなくなりました。

 この日記帳はあと1ページで終わります。

 そのとき世界も終わったのです。

 フェイ、席を立つならいまのうちです」


 フェイはかぶりを振った。

「結末を聞かなければ今夜眠れないわ。聞いても眠れないかもしれないけど」



 ※この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事件とは関係ありません。ご了承ください。  

 つづく(次回の更新は木曜日になります)


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