第十四章 彼を救うために
魔方陣が光り、からだが浮き上がるような、宙に向かって落下しているような感覚があった。
光環が上昇して、瞬きの瞬間には景色がすり替わっていた。魔方陣の光が穏やかに消えていく。
転送呪文は成功した。
三人ともシンチェンの村、銀のしっぽ亭で泊まっていたアルフレッドの部屋の中心部に立っていた。早朝の朝日が窓から差し込んでいる。
目の前にアルフレッドとシオンがいる。ふたりとも転送魔法を
「お嬢さん、血だらけじゃないか」
アルフレッドが驚きの声をあげる。
クレリアの服はアストリアの血で半分以上真っ赤に染まっていた。
「これは、わたしの血ではありません。傭兵さんの血です」
「アストリア! ああ、なんてことだ」
重症のアストリアを見てシオンは落胆した。
アルフレッドとシオンはアストリアをベッドに移した。
「どうしてアストリアがケガをしてるんだ?」とシオン。
「それは……、わたしが
クレリアは視線を逸らし、しどろもどろに答えた。
「は? え? あることってなんだ?」
「死んでもいえない。
とにかくわたしが川に落ちそうになったところを彼がひきあげようとして古傷が開いたの!」
「古傷……! わたしが傷を負わせたところか!」
「あなたは悪くない、すべてはわたしが……」
「その辺でやめろよ。ふたりとも。
そんな話している間にも一秒ごとにこいつは死に近づいてるんだぜ」
アルフレッドの仲裁にふたりとも沈黙するしかなかった。
心中は穏やかではない。
ふたりとも自責の念に眉にしわができている。
「とにかく血だらけの服を脱がそう。お嬢さんも入浴して着替えてきなさい」
アルフレッドがアストリアの上着を脱がした。
クレリアはあらためてアストリアのからだを見た。
いつか遠目に見たときはわからなかったが彼は全身傷痕だらけで、ボロボロと表現しても誰も異論はいえなかっただろう。
クレリアは唇を噛んだ。
こんなからだでいつもわたしを守ってくれてたんだ。
新しい傷ができてもわたしに『気にするな』って。笑ってた。
あっ、わたしがつけた噛みあとまだ残ってる。
「じゃあ、わたしはお風呂に入ります。あとお願いします」
クレリアが退室すると宿の住人や客の悲鳴が聞こえる。
血だらけの服で現れればあたり前である。
シオンもアストリアのからだをまじまじと見つめた。
「どんな戦いをしてきたんだ……?」
シオンのからだにも傷痕はあるが、彼女は紛れもない天才であり、修行以外でついた傷などほとんどない。
それにひきかえてもアストリアのからだの傷は異常である。
彼はシオンとの決闘で本気をださなかったが、力量は僅差である。
アストリアほどの男がこれほどまでに傷を受ける戦いは想像できなかった。
生きているのが不思議というレベルである。
「アルフレッド、輸血の準備は出来ているか?」
フランクが問いかける。
「輸血器具は医者の所にあった。
だが医者がいうにはこの村には自分の血液型を知っている人間はほとんどいないそうだ。
病院関係者にO型はいない」
「シオン。君は自分の血液型を知っているか?
彼にO型の輸血が必要なのだが」
フランクが眼鏡越しにシオンに尋ねる。
「血液型って血の型のことだろ? ……わたしはA型だ。
医者にそういわれたことがある」
シオンは会話から状況を察した。
「アストリアはO型だ」
シオンも血液型の基本的な概念は知っていたのでどうすることもできなかった。
「絶望的だな。いまから村の人間を捕まえて採血とマッチングテストをしている暇はないぞ」フランクが眼鏡に触れた。
入浴して着替えたクレリアを交えて話し合いがもたれた。彼女は服の予備を持っていない。見かねた宿の主人が結婚した娘の古着を有料で譲ってくれた。
そうこうしているうちに日も高くなりはじめている。
「転送魔法でO型の知り合いがいるところまでとべばいいんじゃないか?」
アルフレッドの提案をフランクは一蹴した。
「私には長距離の転送魔法は使えない。東方に転送魔法でいくことができないのと同じ理由だ」
クレリアはなにかを忘れていることに気づいた。
O型、オオガタ……!
「フェイさん!
フェイさんが自分のことオオガタっていってました!
多分血液型のことだと思います」
クレリアが叫んだ。
「フェイ?」
「劇団銀月の脚本家です!
わたしの聞き間違いでなければ彼女はO型です!
でも次の街に出発するっていってました!」
「クレリア、フェイを探そう」
シオンがクレリアに手を差し伸べた。
クレリアはその手を握り返した。まるで和解の握手のようだった。
ふたりは扉を蹴飛ばす勢いで部屋から駆け出した。
フェイを探すために。
彼を救うために。
「おれは医者をこの部屋に連れてくる」
アルフレッドは出ていった。
フランクは度重なる魔力の消費に眼鏡をとり、顔をしかめた。
限界を超えた魔法の使用だった。
特にクレリアを見つけるために遠見や探査系の呪文で眼を酷使したのが原因だった。
フランクはその場にしゃがみこんだ。
甘いな、私も。
アストリアに情が移ったのか。まさかな。
まだ利用価値がある、それだけだ。
どうでもいい。いまは休みたい。
フランクはそのままの姿勢で寝落ちした。
クレリアはシオンを連れて芝居小屋があったところまで行ったがそこにはテントも劇団員の姿もなかった。
「もう出発しちゃったんだ……」
クレリアはぺたんとその場に座り込んだ。
「クレリア、聞き込みだ。立ち上がるんだ」
ふたりが周囲の店に聞き込みをすると昨日の早朝には出発して行き先がロック・ローという北にある街だということがわかった。
「早馬を借りよう。わたしが行く」
シオンは殺気だっている。
「フェイさんの顔を知っているわたしが行ったほうが……」
クレリアが彼女を見上げた。
「おまえは馬を走らせることができるのか?」
「できません」
「わたしはできる。
わたしが行くのが正しいんだ。
おまえはアストリアの傍にいてやれ」
「でも……」
「ひとには役割がある。アストリアの傍にいるのがおまえの役割だ」
シオンとクレリアは別れた。
宿に戻る途中クレリアは死に瀕している彼の運命を想った。
血を他人に分け与えることはできるけど、自分は同じ血液型の人しか受け付けない。
傭兵さんは少し悲しい運命を持って生まれてきたんだね。
でも、一番あなたに相応しい血液型な気がする。
――待っててね、傭兵さん。
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