第十五章 悲愴

 クレリアが銀のしっぽ亭の部屋に戻るともう街医者が来ていた。

 剃り残しがあるあごひげが印象深い中年男性医師だった。


 アルフレッドと話し込んでいる。

 瀕死のアストリアの診察が終わりかけていた。


「腕からの出血はもう止まってる。この男は不死身かね?

 私の見立てでは致死量を超えるか超えないかというぎりぎりの一線にいる。

 こういう状態の患者にいえることはひとつだ。本人の生命力次第。

 つまり、生きる意志があれば助かるかもしれないね」


 医者は部屋に入ってきたクレリアを見た。「この子は?」


 クレリアはペコリとお辞儀をした。

「わたしはクレリアと申します。患者の連れです。

 あの、O型のフェイさんは連れてこれませんでした」


 医者は無関心だった。「そう、じゃあ私はこれで」


「ちょっと待ってください!

 治療とか、先生がご存じのO型の人に輸血の協力を頼むとかしてくれないんですか」

 クレリアの質問に対して、医者はぶっきらぼうに返答した。


「私はひとりの患者にずっとついているわけにはいかないんだよ。

 見ず知らずの外国人のために血を分けてくれなんて私の患者には聞けないね」


 クレリアは失望した。

(冷たい……。セラノさんがここにいたら、きっとこんなこといわない)


 盗賊の砦で医師をしていたセラノを思い出す。

 盗賊の親分を辞めたベルナディスと旅立った彼女はいまなにをしているだろうか。【第一巻エピソード参照】



「もし輸血協力者が見つかったら連絡してください。

 そのときは治療しますよ。

 私の見立てでは今晩もつかどうか……。

 あと、助かっても神経が傷ついていたら右腕に障害が残るだろうから、そのつもりで」

 医者は退室した。


 クレリアは〝障害〟という言葉を聞いて目の前が真っ暗になった。

 ぺたんと床に座り込んで、両手で顔を覆い隠した。


 ――神様、もうわたしたちに試練を与えないで!

 乗り越えられない試練なんていらないよ!

 この人は苦しんできた。これ以上なにを奪うの?

 あんまりだ。

 わたしが野ションした罰がこれ⁉


 フランクは仮眠からもう起きていた。

「彼が死んでも助かっても新しい戦士を探さないといけないな」

「おい、やめろよ。まだ生きてるだろ」アルフレッドが咎めた。


「ふたりともこの部屋から出ていけ!」

 クレリアは叫んだ。


 クレリアがこんなに大きな声を出したのははじめてだった。

 心の叫びだった。


「出ていくのは良いが、おまえはどうするんだ?」

 まるで挑発するようにフランクが問う。


「この人のために祈ります」

「祈るとなにが起こるんだ?

 なにも起こらないと思うが?


 意味のないことをするよりその男のしもの世話でもしてやるんだな」

 フランクはまるでクレリアを苦しめるのを楽しんでいるようだ。


 フランクがさっさと退室し、アルフレッドも気まずそうに部屋から出ていった。


 視界がふやけていく。クレリアは悔し涙をぽろぽろと流した。

 クレリアはあることに気づいた。


「あっ、歯を磨いてないよ。

 今日は人生最悪の日だ。

 ゴメンネ、傭兵さん。わたし、虫歯になりたくないの。

 傭兵さんの歯も後で磨いてあげる」


 クレリアは部屋の洗面所で歯をブラッシングした。

 別の清潔な歯ブラシを用意してからアストリアの口元をこじ開け歯を軽く磨いた。

 これがかなり大変だった。


 はーっ


 ため息をついてから彼の股間の臭いを嗅ぐ。

「多分まだだいじょうぶだ」


 クレリアはアストリアの腰元のベルトをカチャカチャと外した。

「こんなとこ人に見られたら……。よいしょ、よいしょ」


 ズボンを思いっきり引っ張る。

 あとは下着だけになった。


 下着は簡単に脱がせられた。

 クレリアはアストリアの股間にあるものを凝視した。


(なんでこんなもの見たかったんだろう。

 こんなにグロテスクなものは見たことない。

 それに多分この人のコレはでかい。

 女としての直感がそう告げている)


 クレリアは初めて見る異性の性器に見とれてしまうのだった。

「あっ、肝心のオムツ用意してなかった」


 クレリアは大切なことに気づいて部屋をキョロキョロした。

「あっ! 考えてみれば、わたしがオムツつけるよりはじめからアルフレッドさんにやってもらえばよかったんだ!」

 頭を抱え込んだ。


「どうしようかな、コレ・・

 クレリアはもう一度ため息をついてまじまじと性器を見た。

「タオルでいっかぁ」


 クレリアは余ったタオルをアストリアの股間に巻こうとした。

 するとムクムクと性器が大きくなるではないか。


「やだーっ。えっ? 長……」

 アストリアのエロ本ではこれを女の人が口に……。


(無理……!

 口はご飯を食べる神聖なところだよ?

 それにこの大きさ、女としてというより、メスとして恐怖を感じる)


 クレリアは必死の思いでタオルを巻ききった。

「なんか地獄絵図みたいになってる……。ま、いいか」


 クレリアは強引に下着とズボンを戻した。

「これでよし、と」


 アストリアの顔を見ると息苦しそうにしている。

「苦しいの?」


 アストリアが無意識に喉を掻きむしろうとした。

 クレリアはアストリアの両手を必死に抑えた。


「誰か来てー!」返事はなかった。「お願い、誰か!」


 しばらくするとアルフレッドが現れた。

「どうした、お嬢さん」


「喉を掻きむしろうとしてる!」

「ベッドに縛り付けるしかないな」


「そんなのかわいそうだよ。

 罪人を拷問するのとなにが違うの?

 傭兵さんはなんにも悪いことしてないんだよ」

「仕方ないじゃないか」


 クレリアはアストリアの耳元で囁くように語りかけた。

「お願い、傭兵さん。

 喉を掻きむしらないで。怪我しちゃう」


 クレリアはそのまま自分の唇をアストリアの口につけ力強く息を吹き込んだ。

 アルフレッドは目を丸くした。


 人工呼吸するクレリアは神々しい美しさを放っている。

 とても14歳とは思えない。


 アストリアの自律呼吸が落ち着いてくるとクレリアは唇を離した。

「よかったぁ……。

 お願いアルフさん、いまのことはマスターにはいわないで」


「なんのことわからないな」

「ありがとうございます」


 クレリアはアストリアの呼吸が苦しくなるなら何度でも人工呼吸するつもりだった。

 祈りは無駄といわれても祈らずにはいられない。

 シオンがフェイを連れて戻ってくることを。

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