第十五章 紫眼の魔女 後編
アストリアのとクレリアのふたりは街に出た。アゼルも一緒である。
若い女と街を歩くのは高揚感がある。ただ、ちょっとガキ過ぎるが……。
そんなアストリアの思いも知らずクレリアは、明るい声をだした。
「わたしたち、街の人たちにどう思われてますかね。夫婦って誤解されませんかねぇ?」
「いいとこ兄妹だろ」
「アゼルがわたしたちの子どもです」
「はは……。アゼルはメスなのか?」
「オスですよ」
アゼルは賢い。
街でもはぐれることなくクレリアのあとをついてくる。
使い魔というのは伊達ではなかった。
クレリアもアゼルのことを気にかけて歩いている。
足の速いアストリアはクレリアに歩調を合わせた。
ふたりは買い物を済ませ、荷物は全部アストリアが持った。
「男手があるといいですねぇ。実は計算づくで買い物に誘ったんです」
「クーちゃんにはかなわないよ」
「やっとわかりましたか。男性より女性のほうが偉いんです」
「そうだな。もうクレリアをガキっていうのやめる(心の中以外で)」
クレリアはアストリアの本心を見抜けず上機嫌だった。
「のど乾いてきました。水飲みた~い。
朝ごはんあまり食べなかったからお腹空いてきました」
「あのカフェにはいるか」
「わーい」クレリアはアゼル同伴でいいかを店員に尋ね、了承が得られると店に入った。
「アゼル、ついてきてー、おとなしくしてるんだよ」
「ミャ~」
テーブルに案内されて一息つくとクレリアはグラスの水を一気飲みした。
「ぷはぁ、この一杯のために生きてる!」
「水飲んだくらいで……」
メニューを開いたアストリアは蒼白になった。
「クレリア、大変だ」
「まさかお金を持ってないとか?」
「いや、メニューが読めない」
この街では
共通語と神聖語の話し言葉はとても近い。
だから話すだけならなんとかなる。
ただし、書き言葉は文法や一部の文字のスペルが違い、正確な知識がないと読むのは難しくなる。
書き文字が両方理解できる人間はかなり教養があるといえた。
「貸してください。ふむふむ、だいじょーぶです。わたし読めますよ。
わたしはトーストとコーヒーをブラックで、あとはなに注文します?」
「そうだな、コーヒー牛乳を」
「コーヒー牛乳ですか」
「オレコーヒー駄目なんだ。とくにブラックは、体質的に」
「コーヒー飲んだらどうなるんですか」
「ブラック飲んで死にかけたことがある」
「イヒヒヒ、傭兵さんをやっつけるにはコーヒーをブラックで飲ませればいいんですね」
「下品な笑い方だな。チクショー、その通りだよ」
「ちなみにどれくらい飲んだんですか」
「大瓶で一杯」
「一度に? 飲みすぎですよ。傭兵さん、おバカなの?」
「ほっといてくれよ」
アストリアは足元にいるアゼルに視線を下ろした。
「ところで最近、ネコのことかわいいって思うようになってさ。アゼルの影響かな」
「わたしのほうがかわいいもん!」
クレリアはつんとした。
「ええ⁉」
ネコのことを誉めれば機嫌が取れると思ったら逆効果だった。
アストリアは咳払いしてつづけた。
「それにしてもクレリア、凄いな。オレ、コモンは読めるけどほかの言葉はダメなんだ」
「教えてあげましょうか。
わたしはコモン、ホーリィ、そして
「本当か⁉ クーちゃんはすっげぇなぁ」
「年下に教わるのは恥ずかしくないですか」
「別に」
「とても良いことです! 向上心のある生徒を歓迎します」
料理が運ばれてきた。
クレリアは笑顔で店員に礼をして皿を受け取った。
アストリアもそれに倣った。
「あ、トーストにチーズのっかってる。わたし、チーズとか牛乳とかって嫌いなんですよね」
「へー、ふーん。………」
少しの沈黙があった。
アストリアは一瞬だけクレリアの胸元を見てしまった。その視線に気づかないクレリアではない。
「どこ見てるんですかいやらしい!」クレリアの声は大きかった。
「なにいってるんだよ、胸なんて見てないよ。子どものくせに!」
クレリアはカァーッと赤くなっていった。
「アゼル! この人噛んでいいよ!」
「動物虐待だぞ」
クレリアはむしゃむしゃとチーズごとトーストを食べるとぐいっとコーヒーを飲んで立ち上がった。
「チーズ嫌いなんじゃ……」
「行きますよ!」
「え? まだオレコーヒー牛乳飲んでない」
「はやく飲んで!」
「は、はい」
「支払いはあなたでお願いします」
「そのつもりだけど……」
アストリアはコーヒー牛乳を一息で飲むと立ち上がった。
ふたりは支払いを済ませて店を出た。
そのとき店員に「かわいい妹さんですね」と声をかけられ、クレリアの機嫌はさらに悪くなった。
店を出ると夕暮れが近づいてる。
歩きながらもクレリアはぷりぷり怒っていた。
「どうしてさっきの店員さんに妹じゃないっていわなかったんですか」
「話が面倒くさくなるだろ。恋人でもないし」
クレリアは怒りのオーラが目に視えそうなくらいだった。
「どーせわたしは子どもですからね」
「まださっきのこと怒ってんのか?」
「謝ってもないものを許すわけないでしょ。
謝罪がないなら世界の終わりまで許しません」
「無神経が過ぎたよ、許してくれ」
「……じゃあ許してあげます」
「でも14歳だろ?
「そういうことじゃないんです。年上だから気持ち悪い?
わたしがそういう人間だと思われてるならそのほうが悲しい。
抵抗できない子どもや女性にひどいことをする男性には死んでほしいですけど」
「そんなことしないよ!」
「……それなら、死んでほしくないです」
クレリアはちょっと意地悪そうに左手の人差し指を口元にあてて微笑んだ。
「ありがとうよ」
アストリアは気分がよくなったが、並んで歩くふたりを冷ややかな目でみる人々がいた。
昨日アストリアとキースの決闘を見ていたものである。ひそひそとなにかつぶやいている。
「あれが例の……」
「あぁ、キースを殺した……」
「怖いわ」
「キースは悪党だけど金払いはよかった。金づるを殺しやがって」
「なにもあそこまでひどい殺し方しなくても……ねぇ」
その声はふたりにも聞こえていた。
「気にすることないですよ」気遣うクレリアに、アストリアは翳りをみせた。
「オレはみんなの嫌われ者だから」
クレリアはぴたと止まった。
「クレリア?」
クレリアはゆっくり振り返る、夕陽をバックに黒髪が翻り眼は紫の輝きをはなった。その表情はただならぬ様子である。
「自分の悪口をいって、楽しいですか?」
「!」
ショッキングな言葉だった。
さっきまで優しかったクレリアがまるで紫眼の魔女である。
アストリアの顔を凝視して、返答次第ではこの場で絶縁する意思をかんじる。
とても14歳とは思えない。アストリアは視線を逸らすしかなかった。
……軽蔑する行動をとったらいつでも見捨てるってことか。クレリアにとってそれは自分自身を卑下することだったんだ。
クレリアはじっとアストリアを見ている。その視線には14歳に似つかわしくない威厳がある。沈黙に耐えられなかったのはアストリアのほうだった。
「ごめんよ、もういわない」
「なにを」
「……自分の悪口」
「誓いますか」
「誓う」
「なにに?」
「クレリアとの友情と絆に」
クレリアはアストリアの手を取って走り出した。
「お、おい」
「それならいいんです。今のことは忘れてください」
「オレ、荷物持ってんだぞ。アゼル、ちゃんとついてこい」
アゼルも走り出した。
クレリアの表情はほがらかでさっき見せた魔女の一面は消えていた。
白昼夢の出来事のようにもかんじる。
いつも優しいクレリアの中にも冷たい一面がある。クレリアの優しさと冷たさは天秤の皿に乗っているようなもので、クレリアは自分が軽蔑する人間には冷たいのだ。14歳にして魔性の女かもしれないと思う出来事だった。
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