エピローグ

 宿に戻るころには夕暮れ時だった。

「クレリア、体調は大丈夫か」

「よくはないけど悪くもない、いまは」

「夕食たべられそうか?」

「たべる」

 ふぅ……アストリアは安堵のため息を吐いた。とりあえず今日は大丈夫だ。いつものクレリアに戻った。明日の朝はわからないが……。


「アゼル~、ごめんね~。いますぐおいしいごはんつくるよ」

「ミャアアア」

 アゼルが明らかに喜んでいるのをみてアストリアは少し驚いた。

「アゼルはクレリアの言葉がわかるのか?」

「わたしとアゼルは種族を超越した仲なんです」


「そうかもな」クレリアとアゼルは魂レベルでつながっている関係かもしれない。「今日いろいろあったけど、怒ってないか?」

「なんのことだか忘れました。それよりホーリィのテキストは出来るだけ早く作りますからね。中央大陸ファーレーンではおもにホーリィが使われています。

 役に立つと思いますよ」

「ありがとう」


 その日の夕食でアストリアは手袋を自ら外した。火傷のあとが明らかになる。


「オレ、この手を隠すために食事のときも手袋をしてたんだ」みんなの前で告白した。

「おれはなんとなく気づいてたぜ。おまえが隠したいならそのままでも……」(アルフレッド)

「私にとっては些末なことだ。君の自由にするといい」(フランク)

「いや、外すよ。クレリアには前に看病されたとき見られてるしな。おまえたちさえ見苦しいと思わないなら」(アストリア)

「わたしたちはそんな人間じゃありません」(クレリア)

「そうだぜ、アストリア」(アルフレッド)

「ありがとうよ。オレ、いままで意地を張ってたんだ。出会ったこともない誰かに。こんなにバカなことはない」(アストリア)


「ひとつだけ聞きたいことがあります」クレリアが澄んだ眼で尋ねた。

「なんだ、クレリア」

「痛みはあるんですか」

「いや、本当に子どもの頃だったからいまは痛くない。ありがとう」

「よかった……」

「手袋を取ったならもう一度手を洗ってくるといい」

「そうだな」フランクに促されアストリアは席を立った。



「どうして手袋を外す気になったんでしょう?」クレリアはアルフレッドを振り返った。

「お嬢さんのおかげかもな」

「わたしなにもしてませんよ」

「その理由がわからないお嬢さんて、いい性格してるよ」

「?」


 洗面所から戻ってテーブルについたアストリアは小さく、だがクレリアには聞こえるように「いただきます」といった。

(あっ、いま『いただきます』って)クレリアはなんだか嬉しかった。

「アゼル~、ゴハンだよ」クレリアが用意した食事の皿をアゼルは左の前足を伸ばして受け取ろうとした。

「アゼルは左利きなのか?」アストリアが疑問を口にすると、

「よくわかりましたね!」クレリアは嬉しそうに答えた。



 食事が終わったあと、歯磨きも入浴も済ませてアストリアがそろそろ寝ようかと思っているとノックの音がした。


「クレリアです。いま、いいですか」

「いいよ」アストリアがドアを開け、「なんの用だ」

「傭兵さんを、泣かそうと思って」

「また怒られるのか。なんに怒ったのか知らないがもう勘弁してくれ」

「そうじゃない、大切なこと」


 アストリアはため息とともにベッドに腰かけた。クレリアは正面の椅子に座って一呼吸してから語りだした。


「あなたは自分には憎しみ以外なにも残ってないといったけれど、あなたが自分で捨ててしまったと思っていたものはあなたの胸の中にちゃんと残っていたんですよ」


 クレリアは左手の人差し指でトンとアストリアの心臓の上あたりをついた。

 そして手のひらをひろげてアストリアの胸に触った。彼女の体温がからだに伝わっていく。

 彼女の手は信じられないくらい熱量を感じた。その熱がからだに息吹を与えるがごとくである。


 ……オレの中に残っていたもの、それはなんだろう。自分にはわからないものだった。だが熱いものがこみあげてくる。


「見ないでくれ」アストリアはとめどない涙を見られたくなくてクレリアから顔をそむけた。

 クレリアはアストリアの顔を両手でつつみこんでこっちを向けさせた。

「見て。あなたを泣かせた女を見て」


 アストリアが瞼を開くとクレリアの顔が涙で滲んで見えた。

「わたしの胸で泣いていいよ」

 その言葉にアストリアはクレリアの薄い胸で涙が静まるのを待った。クレリアの胸はセレナとは比べるまでもなく小さい。だがたしかに女性だと主張するふくらみがあった。


「あなたは運がいい。わたしに逢えたから」

 アストリアはクレリアのその言葉に、返す言葉がない。

 不死鬼隊時代、同じ部隊にいたひとりの男がべろべろに酔った時にいっていたことを思い出した。


〝おれには母親がいない

 たった一度でもいい、女の胸で泣いてみたい

 それができたらその日のうちに死んでもいい

 女の胸で泣きたい

 幼子のようにワンワンと

 イイ女は簡単に胸を貸してくれそうもない

 こうなりゃガキでもババアでもいい

 女の胸で泣いてみたい

 ――死ぬ前に女の胸で泣いてみたい〟と。


 その男は次の戦闘で死んだ。

 死に際の絶叫は敵味方問わず忘れられないほどおぞましいものだった。

 オレは幸運なのかもしれない。セレナとクレリア、ふたりの女性が胸を貸してくれたのだから。

 クレリアは母親が子どもの頭をなでるようにアストリアを撫でた。


 ……弱くなる。コイツといると弱くなる。

 クレリア・リンリクス(Crelia・Linrics)。口が悪くて生意気だがまっすぐな性根と人の話を聞く才能をもっているふしぎな女の子。


 オレの哀しみを吸収して癒しに換えてくれる魔法の使えない神官見習いプリエステス・アプレンティス(Priestess Apprentice)。


 永遠の夜に夜明けが訪れ、闇の世界に光が差し込むような感覚があった。

 もしかしたらオレは死ぬときにヒトに戻れるのかもしれない。

 

  

  セカイが壊れるオトがする -Medium of Darkness- 第一巻救世主の少女編 完

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