第二十六章 英雄への誘惑

 闘技場にはシオンとラウニィーがいる。

 アストリアは選手控室からの闘技場の入り口付近でふたりを見守った。


 アストリアの見立てではラウニィーもシオンも同じ時代に生まれたことが奇跡のような天才である。


 どちらが勝つのか、全く予想がつかない。

 そしてシオンがラウニィーに負けた場合は、自分がラウニィーを倒さなければならないのだ。


 ある意味本人たち以上に手に汗握る戦いである。

 アナウンスが入る。

「ラウニィー選手は先ほどの試合で公式記録261戦261勝を達成していることがわかりました! 我が国の至宝、千年にひとりの天才といわれています!

 対するルクシオン選手は東方の地からやってきたソードマスタ―! ルクシオン選手はすべての敵に圧勝しています! どちらが勝つのでしょうか⁉」

 それを聞いたラウニィーは冷笑した。


「圧勝? それならわたくしはあなたに完勝するわ」

 シオンは平然とした顔で答えた。


「わたし負けてやろうか?」

「なに? いまなんて」


「聖騎士団副隊長とやらがなすすべもなく負けるという醜態をさらしたら全軍の指揮に関わると思って。それは悪いだろ?」

 不敵な挑発だった。

 ラウニィーの瞳が危険な輝きをはなつ。全身から冷気がほとばしる。


「ご心配なく。あなたが今日、能力の限界を超える戦いをしてもわたくしには勝てないので。わたくしは次の試合のことも考えなければならないのですが、ひとつ予言しますわ。あなたは大口の報いに、人生最大の恥をかくことでしょう」


 舌戦が最高潮になった瞬間に試合開始が告げられた。


 ふたりともすぐに相手に斬りかかるわけでもなく、ラウニィーはゆっくりと魔力を帯びた剣氷の棘アイス・ピアースを抜いた。

 対するシオンは全身の力を緩め、いつでも抜刀できる体勢をとった。


 手に汗を握りながら試合を見るアストリアの隣に、ひとりの男が立っていた。

 アストリアに気配を感じさせないほどの男はエルファリア国王ビルギッドその人だった。


「ビルギッド王……! いつの間に」

 アストリアは冷静ではない。

 気配を感じなかったということは、ビルギッドが彼を殺すつもりならやられていたということだからだ。


「アスファー。騎士にならんか」

 唐突にビルギッドは語りだした。

「なんと」


「この国は若い騎士が不足している。

 ザハランのような器の小さい男が四天王についていたのも人材不足が原因なのだ。友と思っていたシャフト卿も軍を抜けた。彼と知り合いだったのか? なにか話していたな、因縁がありそうだったが」


「いえ……」

「……まあいい。実はな、この大会で行われる試合は予選も含めてすべて監視させている。オレの直属の部下にな。試合結果に関わらず人材を発掘するためだ。ここからが本題だ。

 アスファー、われわれはおまえのことを高く評価している。予選での余力を感じさせる試合運び、本戦でのスーヴィーを圧勝した手腕、見事だ。スーヴィーは気性が荒いところがあるがいずれ近衛に入れてやろうと思っていたほどの腕前なのだ。その未来をおまえは永久に閉ざしてしまった。

 責任を取ってこの国の騎士にならんか。ルクシオンにも声をかけるつもりだ。ルクシオンとおまえが加われば新四天王として抜擢される可能性もある。

 おれには夢がある」

 

 夢を語るビルギッドは彼ひとりのために演説しているかのようだ。


中央大陸ファーレーン統一!

 西方との軍事バランスの中和!

 戦争のない世界の実現!

 この世界は混沌としている。

 現代でもっとも繁栄した国家といわれるこの国でさえ貧富の差が存在している。おれはそういうものをなくしたい。なにより幸福の格差をこの世界から消し去りたい! 夢の実現のためには人材が必要だ。人種は問わない。ちからを貸してくれ」


 騎士学校中退者である自分が王じきじきの勧誘スカウトを受けるとは。

 ここで首を縦に振れば騎士になれるのだ。


 アストリアも一度は騎士を目指した人間である。

 このスカウトは魅力的だった。


 ビルギッドは大志を抱いている。

 その崇高な夢に協力し、騎士としての栄達も保証される素晴らしい人生が待っているのだ!


 暗黒の過去と訣別して、英雄として後世にまで語り継がれる栄光の人生。

 十分に食指が動く誘惑だった。


 そのとき、脳裏にクレリアの笑顔が浮かんだ。

 泣いているクレリア。怒っているクレリア。

 小さな胸で泣いている彼を抱きしめてくれた彼女。


 英雄としての人生と、年端もいかない小娘にイヌ扱いされる毎日。

 どちらか価値があるのか?


 悩む必要はなかった。

 

「ビルギッド王よ。恐れながら申しあげます。このお話は辞退します」

「なぜだ」ビルギッドは意外そうな表情をつくる。


「自らが倒した人間の生命の責任など取れないのです。誰にも。敗北する者の運命を思いやっていたら永久に勝者にはなれません。それが武道です。恐れながら、王はそのことをご存じのはずです」


「なんのためにこの大会に参加した? 退屈潰しではあるまい」


 アストリアは濁りのない顔で答えた。

「いえ、私はこの大会が終われば結果の如何に関わらずこの国を出るつもりです。私はかつてある軍隊に所属していました。

 そこで学んだことは、軍人には本当の意味で人を守ることは出来ないということです。なぜなら、同じくらい壊しているからです。

 殺戮行為の手当てとしてもらった軍札だけなら私は大金持ちでした。貴族が住むような屋敷を建てられるはずでした。

 戦争が終わったら、ただの紙切れになりましたよ。あなたはいつか国家を守るために戦争をすることがあるかもしれません」


 アストリアは一国の王であるビルギッドの顔を正面から見た。


「正義のために戦うことはとても崇高なことです。

 でも、あなたのために戦い、腕や脚を、顔を永久に失った人間になんと声をかけるのですか?

 あなたが指揮した軍隊がたった一度でも行き過ぎた殺戮をしたら?

 戦争が終わっても遺恨は消えない。新たな憎しみヘイトの感情はその後数百年残るでしょう。また新しい戦争が起こるかもしれません。そのとき王は崩御されていて、責任をとれないのです。

 そんな恐ろしいものに、金輪際関わるつもりはありません。

 わずかでも軍に所属していたことは人生の汚点です。もう戻る気持ちはありません。あの頃は百万人のいのちを守るために戦えといわれていました。

 いまは年端もいかない子どもをひとり守ればいいだけだと思うと、こんなに楽な仕事はなくて楽しいですよ。ご容赦ください」


 一国の王に対してあまりに不敬・不遜。

 投獄されてもおかしくない発言であった。


 戦争奴隷として青春を喪失した彼自身の怒りが溢れでたのだ。

「不敬罪でおまえを拘束してただならぬ過去を調べさせることもできるが、考えなかったようだな」


 ビルギッドの視線は鋭かった。

 アストリアは臆さずつづけた。


「私が知った王の僅かな人となり・・・・でそれはなされないと思いました。

 この国は良い国です。この国の空気から感じとったことは、この国は貧乏なものも希望を失わない目をしていること。国境の取り調べはきついが一度受け入れたものに対しては寛容さを持っていること。私が生まれた国に比べれば地上の楽園です。

 これはあなたに対する最大限の敬意と尊敬を込めた言葉です」


 ビルギッドは破顔一笑した。

「おまえはおれの若い頃にそっくりだ。相手が誰であろうといいたいことをいわずにはいられないのだな。きっと苦労するぞ」


 ――優しいご主人様なら、イヌになるのも悪くない。


 それが彼の出した答えだった。


 「試合に動きがありそうだ」

 穏やかな口調に戻ったビルギッドは視線を闘技場に移した。


  つづく

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