第二十八章 空の表彰台

 シオンが控室に下りると誰もいなかった。

「アスファーはどこへ行った?」


 尋ねても彼の行方を知るものはいなかった。


 唯一わかったことはシオンの勝利が確定すると同時に用を足すといってビルギッドのまえからいなくなったことである。


 シオンが医療室で傷の消毒と治療を受け、包帯を巻かれながら彼女は自分が不戦勝で優勝したことを知った。


 シオンは怒りに打ち震えた。

 表彰式に彼女は出なかった。

 アスファーもいなかった。


 ラウニィーも、シャフト卿も誰もいないからの表彰式に王も、側近も殺気立っている。


 国王の面子は丸潰れである。

 聖騎士団の中核をなす人物だったラウニィーは反則負けの失態。

 黒騎士シャフト卿の謎の失踪。

 ザハランも蒼の騎士ユークスも予選落ち。


 四天王フォーキングスナイツは事実上の解散。

 決勝進出者の行方不明。

 行われない決勝戦。無人の表彰台。


 これなら開催しないほうがマシという内容の大会だったと各国貴賓も陰口を叩いていた。



 そして日が暮れた。

 ビルギッドは王宮のテラスに出てグラスに酒を注いだ。

 今夜は飲みたい気分である。


 夜空には金色の月アルステアートが浮かんでいる。

「こんな寒い日にお酒なんてからだに障りますわ」


 そういうのは彼の亡妻レクサリアの妹ラクウェルである。

 ラクウェルは姉とは違い戦いとは無縁の女性だった。


 まだ若々しい容姿だが既婚者である。レクサリア亡きあと、ビルギッドの良い相談相手になっていた。


「こんな日ぐらいいいじゃないか。

 王とはままならぬものだ。

 なにひとつ思い通りにはならないよ。

 レクサリアがいなくなってから、寂しいんだ」


 レクサリアはフィン王子の母親である。

 フィンは難産で、レクサリアはフィンを出産したあと、つぎの子どもは望めない体になってしまった。


 フィンは両親に溺愛されながら育った。

 そして、フィンが6歳のときにレクサリアは病気で亡くなってしまった。


「君も飲まないか、ラクウェル」

「姉さんが止めていたら、それでも飲みました?」

 ラクウェルは腕組みした。

 ビルギッドは答えなかった。ただ酒を仰いだ。


「国王が操を立てる必要なんてありませんわ。

 新しい妃をめとったらいかが?

 隣国の王は百人のめかけを後宮に囲っているそうじゃありませんか。見習えとはいいませんけど。

 王子がひとりしかいないのは不安だって大臣も貴族どももみんなつぶやいてます」


「………。」

 表情にビルギッドの苦悩がうかがわれた。


「やはり姉さんが亡くなるときにいった言葉が……」

「やめてくれ! そのことを話すのは!

 ままならぬ。ままならぬよ、一国の王は。

 妻には先立たれ、息子は生まれたときからの許嫁を裏切って部下のひとりと交際を公言している」


 彼は酔いが回ってきたようだ。


「フィン王子は面食いなんですわ。

 誰に似たのですか?

 ラウニィーのことは、好ましい女性だといっていたではありませんか」

 ラクウェルは片手をあごにあてる。


「そのラウニィーも異国の剣士に完敗だ。最悪の形で。

 優勝すればいよいよフィンの近衛にしてすけべな息子の夢をいずれは叶えてやろうとしていたのに、残念だ」


「そんなことを考えていたのですか。まさかそのためにこの大会を?」

「いや、それがすべてではないが……」


「少しはあったのですね。

 まぁ呆れた。王様の考えることは下々にはわかりかねます」


「そしてラクウェル、君にはずけずけと辛辣な物言いをいつもされている。

 今日くらい優しくしてくれてもいいじゃないか」


「優しいつもりですわ。十分。

 お酒を取り上げないであげてるじゃないですか」


「ラウニィーは辞めてしまうかもしれん。

 恐れていたことが起こった。

 彼女は敗北を知らない。

 それを最悪の形で知ってしまったんだ」


 ビルギッドはラウニィーの二面性人格ダブルフェイスパーソナリティの危険性の見抜いている数少ない彼女の理解者だったのだ。


 彼女を聖騎士団隊長にという声は内外からあった。


 だが、ビルギッドが頑なに首を縦に振らなかったのは彼女が自分自身に向き合い、人格が統合されるべきと判断したからであった。


 彼女の身の上を知っているからこそ気遣っていたのだが、準決勝で反則負けしたことによって彼女の人格は破綻してしまうかもしれなかった。


「………」

 ラクウェルは口をへの字にした。


「シャフト卿はなぜあんなことをしたのか?

 アスファーはなぜ決勝に出なかったのか?

 調査させているが時間がかかりそうだ。

 アスファーはおそらく偽名だろう。

 国境をぬけるときからその名を使っていたようだ。

 抜け目がない。

 その言動から従軍経験があって独自の哲学を持ち、おそらくはグランベルのテンペスト騎士団出身か、ドミニオン戦争で悪名高い暗黒騎士団関係者か……」


「暗黒騎士団関係者を大会に参加させていたと知れたら大ごとになるわ」


「おれもそう思って調査の中止命令を出さざるを得なかった。

 ECO(諜報騎士団)のエージェントにシャフト卿とやつのあとを追わせている」


 諜報騎士団とはEspionage Chivalric Orderの略。(通称ECO)


 ビルギッドが即位したときに組織された国王直属の諜報組織である。


 いわゆるスパイ活動はどの国も行っていたが、公に政府組織として勢力をあげていることは先見の明があった。


 一呼吸をおいてビルギッドはつづける。

「ルクシオンもこの国には仕官しないそうだ。

 それだけじゃないぞ。

 宝物庫に盗賊が入ったらしい。

 警備が王宮に迷い込んだという女に酒を飲まされたあと意識を失って眠ってしまったらしい。

 女も一緒に酒を飲んだというからなにか仕掛けがあるのだろう。

 いまなにを盗まれたか調査させているが、時間がかかる。

 今日は最悪の夜だ。

 ほしかった人間がどんどん離れていく。

 ままならぬよ。

 オレは独りぼっちの王様さ」


 国王としての彼は勢力的に野心と夢を語る頼もしい存在である。


 だが、レクサリア亡きあと、ときおり彼女の妹であるラクウェルに弱みを見せるようになった。

 一国の王のもうひとつの顔だった。


 ラクウェルはビルギッドから酒瓶を取り上げた。

「中に入りましょう。今晩は冷えます。本当に冷えますわ」

 ラクウェルは半ば強引にビルギッドを屋内に引き入れた。


 側近がラクウェルに感謝の言葉を述べる。

 王は着替えもせず寝室に行きベッドに倒れこんだ。


 ラクウェルは生前の姉とビルギッドを思い出した。

 そのころのビルギッドはけっして酒を飲まなかった。


 弱みも見せなかった。

「ままならぬわね」

 ラクウェルは誰にともなく独り言ちた。

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