第二章 アゼルの死
「港町っていうわりに寂れてるな」
アルフレッドがいうようにセメアグネは街並みが寂しい街だった。潮風に晒され続けた建物は不吉な感じすらする。
人々の顔はある者は生きることに疲れ、ある者はすさんだ目つきで刺すような視線を飛ばしてくる。男も女も老いも若きもそんな感じである。
「ただの通過点だ。気にすることはない。船着き場に行って船の手配をしよう」
フランクの提案で一行は船着き場へ向かった。
一隻の船の手入れをしている男がいたのでフランクが話しかける。
「エルファリアまで行きたいのだが船を出してもらえるか」
すると眼光の鋭い男が答えた。「あんたらは冒険者か? なんのためにエルファリアへ?」
「剣闘大会に参加するんだ」フランクはアストリアを手のひらでさして、「この男がね。どうだろう? 船を出してもらえるかな」
「うちはだめだ。この前の航海で船が傷ついちまった。ほかをあたってくれ」
「わかった。誰か紹介してもらえないかな。謝礼はだします」
すると男は体の向きをかえてフランクに近づいてきた。交渉がはじまった。
話しは長くなりそうだった。
「あれ、お嬢さんは?」
「ん? そこにいなかったか」
「いないぞ」
クレリアの姿が消えていた。アゼルは丸くなって毛づくろいをしている。
「おいアゼル、おまえのご主人様はどこだ」
アゼルはクレリア以外の言葉には反応がなかった。
「おい、この街はやばいぞ、人買いがいるって聞いたことがある」
アストリアは全身の肌がピリピリとし、血液が泡立つような不快感を覚えた。
「手分けして探そう」いうが早いがアストリアはセメアグネの中をクレリアを探して走り回った。
いない……。クレリアはどこに行ったのか?
まさか人買いに誘拐されたのでは? 不吉な考えが頭の中をぐるぐるとまわる。
神様……!
クソ、セレナが死んだとき二度と神に祈らないと決めたのに!
クレリアの行きそうなところは
ネコ! あいつならネコを追いかけてついていくことがあるんじゃないか?
アストリアはそのネコを尾行しはじめた。二軒角を曲がった。すると路地裏でクレリアはネコたちに囲まれていた。
「いてくれた……」
勝手な行動をしたことに対する怒りより、無事でいてくれたことに安堵して叱る気も失せてしまった。
「キミは片目だね。喧嘩して傷ついたのかな。キミは前足が一本ないけどたくましく生きるんだよ」
クレリアは傷ついたネコたちにも慈しみをもって接していた。
クレリアに撫でられたネコたちは穏やかな表情でクレリアの周りに座るのだった。
まるでネコの女神である。
クレリアは一匹の白い子猫を持ち上げると、「キミはかわいいねえ」キスをした。
(作者注:予防注射を受けていない野良ネコにキスをする行為は感染の恐れがあり、大変危険なので真似しないでください)
アストリアはそんなクレリアをものほしそうに見ていた。
クレリアが彼の視線に気づいた。
「あなたはネコじゃない」クレリアは眉根をひそませた。
「なにもいってない!」
「ものほしそうに見てたでしょ! わたしにキスしてほしいの?
あ、傭兵さんが大きな声出すからみんな逃げちゃった」
「勝手に離れちゃダメだよ。みんな心配してるぞ」
「そうなんですか? いやあ一匹のネコを追いかけていたらはぐれてしまって」
「ネコを追いかけていなくなるって子どもじゃあるまいし」
「こんなときだけ一人前扱いして」
「クレリアはほんとにネコが好きなんだな」
「やさしい思い出でいっぱいのネコは眼が澄んでます。
つらい思いをしてきたネコはそういう眼をしてます。街に住むネコは全部人間次第なんですよ。
きっと人間も同じです。傭兵さんは荒んだ眼をしてるし」
「おい……」
「でもはじめて会ったときより優しい眼をしてる。すべてわたしのおかげですね!」
平然とこういうことをいってのける。クレリアという少女は不思議な女の子だ。
「黒ネコも白ネコもサビネコもぶちも、三毛も、みんなみんなかわいいです。
けがや病気になったネコははやく元気になってほしいです」
「クー坊は優しいな。もういいだろ。みんなと合流しよう」
「は~い。わたしをクー坊と呼んでいいのはセラノさんだけですよ」クレリアは立ちあがった。
港に戻るとフランクもアルフレッドもいなかった。
そのかわりに子どもたちが四人ほど輪をつくっている。
「やべー、人が来た。逃げるぞ」
子どもたちはアストリアたちを見るとクモの子を散らすように逃げて行った。
なんだ、あの子どもたちは……。アストリアが不審がるとクレリアが悲鳴をあげた。
「アゼル!」
「どうしたクレリア」
「アゼルが、アゼルがケガしてる‼」
アストリアが子どもたちがいた中心を見るとアゼルが横たわっている。羽をむしられたようだ。
「いや、こんなのひどい。神様アゼルを助けて。傭兵さんなんとかして」
「落ち着けクレリア。まず医者に見せないと」
「アゼルは魔法生物なんです! ふつうの獣医じゃだめなんです。アゼル! しっかりしてアゼル!」
その叫びが聞こえたのかアゼルは一瞬だけ目を開いた。だが声を発することさえできず、そのまま息を引き取った。
「いや、いや、いや! こんなことって、こんなことって」
アストリアはかける言葉がなかった。
残酷すぎる……子どもが動物を殺すなんて。
事前に打ち合わせしておいた宿にクレリアを連れ帰ると、彼女はアゼルの亡骸を抱えたまま部屋にこもってしまった。
「すまないねぇ。大人たちがいけないんだよ。
大人が荒んでるからそれを見た子どもたちの心も荒んでるんだ。許しておくれ」
事情を知った宿の婦人はアストリアに謝った。
――オレに謝ったところでなんになるんだ。
アゼルの失われたいのちはクレリアにとってかけがいのないものだった。
その言葉をアストリアは飲み込んだ。
宿に合流したフランクとアルフレッドも事件を知った。
一昼夜が過ぎた。クレリアは夕食、朝食も摂らず部屋から出てこない。
「まずいぞ、このままでは剣闘大会までにエルファリアに着かない。
最低でもあと3日以内に船に乗らないと、どんな行程をたどっても受付手続きまで間に合わない」
フランクはイライラしはじめた。
「いまそんなこといってる場合じゃないだろう。クレリアは友だちを失ったんだ」
アストリアが反論する。
「われわれの旅の目的はなんだ? 使い魔が死ぬなど些末なことだ。
この程度の試練を乗り越えられないとしたら本人の責任だ」
アストリアは逆上した。「おまえにとって、クレリアはなんだ⁉」
「
アストリアは失望した。
――おまえがそんなやつならオレはもう……。
「クレリアだけではない。
君も、アルフレッドも、そしておのれ自信を含めたこの世界すべての人間が駒なのだよ。私にとってはね」
ふたりの口論をずっと聞いていたアルフレッドがはじめて口を開いた。
「フランク、おまえにはがっかりだ。
仲間が悲しんでいるときに吐く言葉がそれか?
おれにはおまえのほかに組んだことのある魔術師が何人かいるけどおまえみたいに冷たくなかったぞ。
ナイジェルは他人のために薬草を持ち歩いていた。治癒魔法がなくても人の怪我を治すことを考えていた。オヴェリアは魔導学院を退学したけど独学で魔術を勉強して、学校の先生になりたいっていってたぞ。
おまえが尊大だからってほかの人間まで同じと思うな。
おれはもう疲れた。もう
フランクは冷笑した。「そのふたりなら知っている。
ナイジェル・ポートマンとオヴェリア・クルツ。懐かしいな。ふたりともエル・ファレル出身だ。
ナイジェルは年上の後輩だった。入学試験で三浪した。長老と呼ばれていた。
オヴェリアは試験で学院史上歴代最低記録を打ち立てて退学処分になった。
あったことはないが伝説の人物だ。その記録はまだ破られてないかもしれないな。200点満点の試験で17点を取ったんだ。
ふたりとも魔術師の落ちこぼれだ」
アルフレッドはフランクが友人たちの名前を知っていたことに多少驚いたがなにもいわなかった。
「おれはアストリアがクレリアお嬢さんになにかいってやるべきだと思う。
もしお嬢さんが旅を続けるというのなら旅を続けてもいい」
「オレが? なにをいえばいい」
「お嬢さんはおまえにいちばん心を開いてる。
いまの彼女になにかいってやるとしたらおまえしかいないと思う」
「わかった」
アストリアは宿家の夫人に簡素な食事をつくってもらい礼をいうとそれをバスケットにいれてクレリアのいる2階へ上がった。
〝コン、コン、コン〟
ノックはしたが返事はなかった。鍵はかかっていない。
扉を薄く開けて声がけした。「オレだ、入るぞ」
部屋の中はカーテンを閉めきってランプも灯ってない。
クレリアはベッドに座っていた。彼女の荒い呼吸音だけが聴こえてくる。
アストリアはクレリアと並んでベッドに座った。
「真っ暗な部屋にずっといると眼が悪くなるぞ。
せっかく綺麗な眼をしてるんだ。眼を大切にしてくれ。
少し点けるぞ」
アストリアはランプの火を灯し最小にして床に置いた。
クレリアからの返事はなかった。
「昨日から寝てないんだろ? つらいよな。精神が研ぎ澄まされていくのは。
宿の人に食事をつくってもらった。オレのこと少しでも友だちだと思ってくれてるならあとで食べてくれ」
クレリアの呼吸音だけが返ってきた。
「これからオレが勝手に話すことを聞いても聞かなくてもいいから、しゃべらせてくれ。
オレの過去の話だ。
そして、セレナの話は本当にこれで最後にする」
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