第二十一章 フェイの胸

 フランク達は太陽が昇る前に早めの朝食を摂った。

 静かな朝食であった。少し固めのパンを冷えたミルクで流し込む。

 それぞれが複雑な想いを抱えている。


 寝起きのフランクは不機嫌そうだった。

「油断していた。

 このタイミングでヴァルケインが来るとはな。

 これからは、単独行動は避けなければならない。

 あなたはフェイという名前だったな。

 フェイ、あなたには2つの選択肢がある。

 ひとつは暗殺集団ヴァルケインの暗殺リストに載っていることを気にせず日常生活を送るか。

 もうひとつはわれわれと行動を共にするか。

 われわれと一緒に来るなら生命の保障をしよう」


「あんたね、そんな選択肢、脅迫となにが違うの?」

 フェイは憮然として答えた。


「巻き込んでしまったことはまったくもって申し訳ない。

 だが、一番悪いのは人を暗殺しようとするやつらだ。

 そこだけは理解していただきたい」


「ぐぬぬ、口が達者ね」


「しかし、フェイ。あんたその歳で小説家なんだって? すごいね」

 アルフレッドだけはいつもの調子だ。


「アルフレッドさん。フェイさんは美少女だけど三十路超えてます」

 クレリアは小声で話した。


「クレリアちゃん! 聞こえてるわよ。

 誰が美少女アラサーよ!」


「誰かと性格が似てるな」

 アルフレッドは苦笑した。


「はて、誰でしょう」

 クレリアはあごに人差し指をあてる。

「おまえだ」間髪入れずフランクが指摘する。


 クレリアは昨日の夜から下腹部が痛くなっていた。生理だ。

「マスター、あのわたし……、体調が悪い日です」


「そうか。では宿に残るといい」

「でも……」


 フェイがクレリアの肩を抱いた。

「クレリアちゃん、宿にいても出来ることはあると思うよ。

 彼の傍にいてあげたら?

 わたしも残るからさ」


 クレリアはうなずいた。

「病院へはわたしが行く。任せておけ」


 シオンがクレリアの背中を撫でた。

 本当は彼女も残りたかった。


 だが以前アストリアにいわれた〝クレリアに寄り添って支えてやってほしい〟という言葉が彼女に年長者らしい態度をとらせた。


「いやだめだ」フランクが眼鏡に触れた。

「ヴァルケインのことを忘れたのか?

 暗殺者は年中無休だ。

 いままでは平常時に現れたが、食事中、睡眠中、入浴中、排泄行為の最中。

 そういうときこそ警戒しなければならない。

 戦闘力の高いシオンがクレリアから離れるのはまずい」


「暗殺者は年中無休って、あなた見た目のわりにユーモアセンスあるわね」

 フェイの発言をフランクは無視した。


 シオンはしぶしぶ了解した。

「では行こう」

「お願いします」


 クレリアはフランクとアルフレッドを玄関で見送った。

 ふたりが出発して部屋にのこりの三人だけになると、クレリアはシオンをちらと見た。

 彼女の紫の虹彩がなにかを訴えている。


「ちょっと、宿のまわりを見てくるよ。30分くらいで戻る」

 シオンは席を外した。クレリアの気持ちを察したのだ。


 シオンが部屋からいなくなるとクレリアはフェイの前で弱音を吐いた。


「彼ははじめて会ったとき、顔を見る前からわたしのために死んでもいいっていったの。

 彼はどんなときも、わたしが受けるはずの傷を肩代わりしてくれた。

 わたしが鞭で打たれそうなときもわたしをかばって二倍の鞭を受けた。

 顔の傷はわたしを鞭で打とうとした人につけられたの。

 わたしのことをばりばりに引き裂くといった人を、手を汚して殺してくれた。

 暗殺者に襲われそうになったときはからだを盾にして戦ってくれたの。

 彼は嘘つきじゃなかったの。

 大切な人が死にかけてるのに生理なんかになって……」


「クレリアちゃん、そのことで自分を責めるのは間違っているよ」


「この人を失ったらそんなひとに二度と出会えないよ……

――なのにわたしたちはいつもケンカばっかりしてて、エロ本に浮気するあの人が悪いのに買うのを止めてくれなくて!

 想いを伝えてもクレリアは子どもだからっていわれて……

 でもやっと通じ合ったと思ったら彼は死にかけて、こんなことばっかり起こるなら怖くて彼の傍にいられない!」


 涙目で瞬きしながらフェイに訴えかけるように視線を合わせるのだった。


 フェイはクレリアがなにをいってるのか詮索はしなかった。

 彼女はクレリアをハグした。


「もう怖いことは起こらないわ。

 神様はね、残酷すぎることはしない。

 わたしはそう信じてる」


 フェイの胸にはすべてを包み込む包容力がある。

 クレリアはフェイの胸に顔を埋めた。


「わからないよ。わたしは神様に嫌われてるかもしれない」

「そんな……、どうしてそう思うの?」


「わたしには秘密があるの」

「秘密?」


「神様に嫌われてもおかしくない秘密」

「話してみて」


「きっとびっくりしちゃう。

 信じてもらえないかも」


「わたしは小説を書いてるのよ。どんな奇妙な話でも信じる」

「本当に?」


「本当」

「本当のほんとうに?」


「そんなに嫌なら別にいいけど」

「いう」


 クレリアが話した秘密は、どんな小説より途方もないほど奇妙で、正気を疑われてもおかしくない内容だった。


 それでいて妙に信ぴょう性がある。

 真実なら世界の滅亡も再生もこの年端もいかない少女の身の内にあることになる。


 妄想を疑われても仕方がないだろう。

 だがフェイはそんなことをせず、また真偽を確かめようともしなかった。


「そうだったんだね。

 ねえ、クレリアちゃん。

 女は嘘をついてもいいの。

 ただし、嘘をついていいのは良い女だけ」


 フェイははにかんだ。つられてクレリアも微笑む。


「わたしも嘘をついている。

 でも教えない。わたしは良い女だからね」

 フェイはウインクした。


「クレリアちゃんも良い女になりなさい。それですべてが解決するわ。

 彼のいる部屋に戻ろう?」

 

 このわたしより幼い少女は、わたしが書いてきたどんな小説の主人公より大きな運命を持っているのかもしれない。

 クレリアの話に疑問に思うことはいくつもあったが詮索はしない。フェイはそういう人間である。

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