第四章 夜明け
クレリアはサンドイッチをむしゃむしゃと食べると急激な眠気に襲われ、着替えもせずそのままベッドに寝てしまった。
クレリアは寝言をいった。「アゼル、わたしからはなれちゃダメだよ……」
アストリアはたまらずクレリアの手を握ると彼女は掴み返してきた。
アストリアはクレリアの額にキスをした。慈しみのキスだった。
一緒にいてやりたいが、フランク達の手前そうするわけにもいかない。
どうしようかと思っているとクレリアの手がゆるんだ。そっとクレリアの手を放して階下にもどった。階段の下には宿の婦人が立っていた。
「もう大丈夫だと思います」
「あんた、優しいねぇ」
その言葉に彼は複雑な気持ちになった。
オレが優しい? 戦争で人を殺したオレが……。そんなことをこの人にいっても仕方がない。
フランクたちがいた部屋に戻るとアルフレッドはソファーで寝ていた。
フランクは椅子に座って眼を閉じている。眼鏡はかけたままだ。眠っているのか起きているのかわからない。
アストリアが息を吐きながら空いているソファーに座るとフランクが突然話しかけてきた。
「弱い心を慰めあうのもたいがいにしろ。
まるでナメクジの交尾だ。なにを話したのか知らないが試練には自分で立ち向かわねば意味がない。
君がしたことは彼女のためにならない」
「なんとでもいえよ」
そのころクレリアは尿意をもよおし半分寝ぼけながら一階に降りてきた。
トイレを済まして二階に戻ろうとすると部屋からフランクとアストリアの話し声が聞こえてくる。クレリアはドアの隙間からこっそりのぞき込んだ。
「きいておかねばならないことがある。君にとってクレリアはなんだ?」
フランクは詰問した。
「オレにとってクレリアは……」アストリアは一瞬言葉に詰まったが、
「――妹で、
――娘で、
――恋人にしたいような存在だ!
おまえもオレの頭がいかれてると思うか⁉」
アストリアの語気は荒く、強かった。自分でもはじめて気づく感情だった。
「いいや、確認したかっただけだ」フランクは眼鏡に触れた。その言葉に怒気はなく、悟ったような口調だった。
ふたりの会話を盗み聞きしていたクレリアの頬を涙が伝った。
――優しいお兄ちゃんがほしかった!
――話を聞いてくれるお父さんがほしかった!
――すてきな恋人がほしかった!
わたしのほしいもの、全部だよ!
クレリアは泣きながら二階に駆け上がった。
次の日、クレリアはとび起きると、自分がなにか忘れてることに気づいた。
「あーっ!」
そして階段を駆け下り、一階のソファーで寝ていたアストリアを叩き起こした。
「歯を磨いてない! なんで起こしてくれなかったんですかー⁉
虫歯になったら一生恨んでやるー‼」
「そんなこといわれても……」アストリアは夢うつつの状態だった。
「クレリア、不思議な夢を見たよ。セレナがたまごを抱いて眠ってる夢だ。そのたまごが孵るとき、セレナは生まれ変わる。そんな気がする」
クレリアは少し心配そうだった。
「セレナが亡くなったあと彼女の夢を見たのはこれがはじめてだ。
クレリアのおかげかもな。もちろんいのちを返したりしないよ」
クレリアの顔が笑顔に変わった。「よかったですね。わたしはいまから歯を磨きます。神様、虫歯になりませんように」
クレリアは洗面所に向かった。
いつもの調子に戻ったな、長い夜だった。
アストリアは朝の空気を深呼吸した。
誰かを救いたかった、自分自身でさえ救えないこのオレが。
――セレナ、見ててくれたのか。
オレを赦してくれるのか、セレナ……
歯を磨き、顔も洗ったクレリアは、アストリアのいる部屋に戻ってきた。
「今日の朝ごはんはなんですか」
「もう昼近くだぞ。オレも仮眠をとってたんだ」
「えー? そんなに寝てました?」
「うん」
「あの……アゼルを……」
「うん、宿の人が裏庭にうめていいってさ」
「お昼の前にお墓を作りたいです」
「わかった」
ふたりはクレリアの部屋からアゼルの遺体を運んだ。
クレリアは最後にアゼルの遺体を抱いた。
「ごめんね、ごめんね。痛かったよね」
「いまは泣きたいだけ泣くといい。お別れする心の準備ができたらいってくれ。オレは穴を掘る」
アストリアは宿の人から借りたスコップで穴を掘りはじめた。
クレリアはその光景を黙って見ていた。
「……わたしも手伝う」
「力仕事だぞ」
「アゼルのためになにかしてあげたいの」
「そうか。じゃあオレと一緒に」
ふたりの悲しい共同作業は無言でつづいた。クレリアはもう泣いていなかった。
「もういいだろう」
ふたりは野犬などに掘り起こされないくらい深く穴を掘った。まるでクレリアの悲しみの深さのように。
クレリアはアゼルのからだにキスをした。そしてアゼルの遺体を穴の中に置いた。
「あとはオレに任せろ」アストリアが土をかぶせていく。「土は固めにしないといけないんだ。ごめんな」
「最後のひと土はわたしが……」
「うん」
そして完全に作業は終わった。墓石は用意できなかったので、小さな石を置いた。
「クレリアの種族を超えた友よ。安らかに」
アストリアはアゼルの冥福を祈った。クレリアも倣った。
二度と神に祈らないと誓ったオレはなにに祈るのだろう。
神を信じないものでも冥福を祈ることぐらいは許される。そう願わずにはいられない。
「昨日はふたりでいっぱい泣きましたね」
「オレは泣いてない」
「はぁ? 泣いてたよ」
「ちょっと涙が出ただけだ。泣いてない」
「なんなのこの人!」
クレリアはアストリアにからだをすり寄せてきた。「ずっと謝りたいことがあって」
「なに?」
「あなたに死んじゃえっていったこと」
「そんなことあったっけ」
「あなたに守りがいのない女だっていわれたとき悔しくって」
「あったな、そんなこと。もう忘れたよ。オレもひどいこといったな。少しも気にしてない」
「死んじゃえっていった人が、し……死んだらわたしは人殺しだから。
ひっく、ずっと許してもらえるか怖かった」クレリアは目元を抑えた。
「気にすんなって。おまえにそんなこといわせたオレのほうが悪いよ。オレも謝るからもうこの話はなしにしようぜ」
「うん、……」クレリアはまだ涙を拭いている。
「……クレリアって、かわいいとこあるよな」
クレリアは赤面した。
「傭兵さんてお兄ちゃんみたいだね」クレリアはカラ元気で笑って見せた。
アストリアはそんなクレリアをいとおしく思えた。
「それとも娘? 恋人?」クレリアは意地悪そうに笑った。
「クレリア、おまえ昨日の会話聞いてたのか⁉」
クレリアは背中を向け「さて、どうでしょう」からだをくるっと回して「先にもどってまーす」
走るように宿に戻っていった。
「やれやれ、とんでもない女だ」
でも笑ってくれたことが嬉しい。それが彼女の立ち直るきっかけになるのだから。
やっとわかった。
クレリアがネコを好きな理由。
ネコは寂しがり屋だ。
どこかクレリアに似ている。
「あれ、あんた泥だらけだねぇ。着替えな。朝食はそれからだ」
「は~い」宿の女主人の大きな声とクレリアの会話が聞こえてきた。
アストリアは苦笑して玄関に走った。
その日一行はセメアグネを出港した。船に乗り木漏れ日に光る川面をみんなで見た。
「この世界は美しいですね。今日は空が高いですね。こんなに、こんなに悲しいのに」
「クレリア、泣いていいんだぞ」
「もう泣かないって決めたから」
そういうクレリアの瞳はいつもよりきらきらと光っていた。
アストリアはそんなクレリアを見て美しいと思った。
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