第十二章 クレリアの罪と罰 後編

「リンリクス。クレリア・リンリクス」


 リンリクス、それは銀の月という意味だった。この世界には3つの月がある。

 ひとつは銀色の月 リンリクス

 もうひとつは金色の月 アルステアート

 そしてもうひとつの月が蒼の月 ヴァルケイン 


 ヴァルケインは伝説のみに名を残す。

 なぜなら千年ほど前、この世に魔界が召喚されたとき内側から裂け、ゲートとなる暗黒星になり、肉眼では見えなくなったからである。


 ヴァルケインの名を知らぬものはいないが、消失の真実を知る者は少ない。だが消えた月から魔物が現れるという噂は大陸全土にあった。


 ヴァルケインこそが門、アストリアは思うのだ。ライナスがいっていた世界から棄てられた少女の話が本当なら、ゲートはヴァルケインではないかと。


「リンリクス……名前まできれいだな」

「誰が国も傾くレベルの美少女ですか! ほめ過ぎですよ」クレリアは自分の髪を撫でた。

「クレリアさん? オレはそんなこと一言もいってない」



 アルフレッドは少し離れたところをフランクと並んで歩いている。

「あいつ、明るくなったなぁ。あんなにしゃべるやつだと思わなかった。

クレリアお嬢さんのおかげだ。あんまり怒るなよフランク。

 日も暮れてきたしそろそろ野営の準備をしようぜ。

 おーい! アストリア、お嬢さん!

 今夜はここで野宿だ。少し早いけど近くの川で水を汲んできてくれ」


「わかった。クレリア、川の水を飲むなよ」

「うっさいなぁ。水くらい好きに飲ませてくれよ」

「酒呑みみたいなこといってる」


 ふたりは川の側まで来た。川があることは前もって確認済みである。一行は森の中を川から少し離れたところを下流に向かい歩いていた。その先に次の目的地がある。


「まだ日が浅いな。すこし水浴びするか」

「ではお先にどうぞ。わたしは離れたところでアゼルと遊んでます」

「野生動物には気をつけろよ」

「了解です」


 クレリアが茂みの中に消えていくのを確認してからアストリアは服を脱ぎはじめた。

 まず腕のガーダー(金属製の片面鎧)を外して手袋も外す。鎖帷子を脱ぐ。脛に当てているガーダーも同じように外して、衣服をすべて脱いでから川に入る。


 ぎりぎり水浴びできる水温だった。アストリアのからだは大小さまざまな傷がついていた。とりわけ大きな傷が背中の傷で、右肩から斜めに走っている。


 一方そのころ、クレリアはアストリアの一部始終を太い樹の影から見ていた。

 アストリアの裸身に熱い視線をおくる。


(わっ、背中の傷すごいな。細身で筋肉質、さすが戦士なだけある。見ごたえあるわぁ。もうちょっとで前が……)

「にゃああ」アゼルが足元で大きな声で鳴いた。

「アゼルっ、ばかっ」驚いて体勢をくずし、茂みと下半身がこすれ、騒々しい音がしてしまう。


 アストリアはすぐ振り向いた。「クレリアっ! おまえ……!」

「あわわわわわわ」

 アストリアは川岸に置いた服の上着を取り素早くからだを隠した。


「おーまーえー、なんてことを……そこを動くな」

「あ~どうしよ、全部アゼルのせいだからね!」

「おまえのせいだよ」


 クレリアは正座させられた。なぜか隣にアゼルも座っている。

「おまえのしたことはのぞきだ。これは犯罪だ」

「………」

「聞いてるのか」

クレリアはつんとそっぽを向いた。「べつに、見たかったから見た」


「はあ⁉ どこの世界にのぞきをする13歳の女がいるんだ! とんでもねぇエロガキだ!」

「男のくせにぐちぐちと……」クレリアはうんざりという顔をした。

「反省しろよ!」


「男の人の裸がどうなってるか知りたかったの!」

「そういうことはおまえの家族に頼め!」

「……いないもん」

「いないって、どういう……」

「いないもんはいない。聞くな、バカヤロー」


「急に口が悪くなったな」その言葉を聞いて同情の気持ちが沸いた。

 なにかしらクレリアは大きな運命を背負っているのかもしれない。そう思うとこれ以上責められなかった。

「………今回だけは許してやる。でもフランクには報告するからな」


「やば…! それはちょっと卑怯なんじゃないですか。マスターは関係ないでしょう。この場にいないし」

「いないから報告するんだよ。おまえの保護者だろ」

「それだけは勘弁してください、殺されます。あの人なら本当にやります。なんでもしますから許して下さい」クレリアは態度を一変してへこへこと謝罪した。


「おまえというやつは……。もういいよ、秘密にしてやる。もう立っていいぞ。膝痛かったろ」

「あーよかった」クレリアはぺろと舌を出した。

「なにっ⁉」


「いえ、もうしません。ごめんなさいでした。知的好奇心に勝てなかっただけです」

「ふん、それで感想は」アストリアは腕組みした。

「………」クレリアはもじもじと視線をあわせたり逸らしたりしながら赤面した。「……お、お、お、男の人にも乳首あるんだなぁと思って」

 アストリアの顔が赤くなった。「ヘンタイ!」


「あなたのヘンタイが移ったんだよ!」

「そんなわけあるか!」

 この騒ぎのせいでふたりの水汲みはだいぶ遅くなった。

 夜空にはアルステアートが浮かんでいる。


 子どもの知的好奇心が性欲のはじまりになることはよくあることかもしれない。怒りすぎたかな。いや、怒って当たりまえか。でも許してやろう。

「月がきれいですね、星もとってもきれいです。見てください」


 クレリアの言葉に天を仰ぐと樹々の影から満天の星が浮かんでいた。この世界の月はいわゆる光害をもたない。その理由を人類で知る者はいない。


「覚えてます? ふたりでくもりの日に星を見ようとしたこと」

「ああ。あの夜があったからいまふたりで本当の星空を眺めているのかもな」

「ふふっそうですよ。この世に無駄なことなんてないんです。これからいい思い出をいっぱいつくりましょうね」

「のぞき以外のな」


 クレリアは口笛を吹こうとしたが唇にかすれた息の音がしただけだった。

「やれやれ、これからも苦労しそうだ。そろそろ帰るか」

「もうちょっとだけ」クレリアは星を見上げ「きれい……」

 アストリアはクレリアの瞳がしっとりと濡れていることに気づかなかった。


「あっ流れ星だ! なにか願ったか?」アストリアは指さそうとしたが、流れ星は指が星空に届くまえに消えてしまった。クレリアの足元にいたアゼルがなにごとかと天をあおぐ。


「わたしの夢はこの世界を思いやりでいっぱいにすることです!」

「ふっ」

「あ、笑った」

「いや、いい夢だな」アストリアはクレリアの頭を撫でた。

「あっ女性の頭に勝手に触っちゃダメです。そういうとこ減点です。

 あなたの夢は?」


 アストリアの胸にひとりの女性が浮かぶ。その人がいまも生きていて、隣にいてくれたら……、同じ刻を共有して、結ばれていたら……。

「オレは……、オレにはもう夢はない」その表情は切なく儚げだった。

「夢がないなら、わたしの夢を叶える手伝いをしてください!」

「オレが? この世界を思いやりでいっぱいにする? はは、面白い冗談だ。そろそろ行こう」


「もう、わたしは本気なのに。……星空、名残惜しいです」

「何度でも見ようぜ。ふたりで」

「嬉しい! 行きましょうか」

 ふたりは野営地点まで戻った。もちろんアゼルも一緒である。

「遅かったなふたりとも。いま探しに行く相談をしてたんだ」アルフレッドが開口一番心配の声をかける。


「私も心配していたんだぞ。なにかあったのか?」フランクは本を閉じてふたりを見た。

「実はな……」アストリアはクレリアを意地悪そうに見た。


 クレリアは両手を組んで懇願の眼でアストリアを見つめ返した。

「水浴びしてたんだ、それだけだよ」

「……まぁ、いいだろう」フランクは本を読みはじめた。

(どうせ河原で漫才の練習でもしていたんだろう。問いただすまでもない)

 フランクの洞察力でもクレリアがのぞきをしたことはわからなかった。


(はー)クレリアは安堵のため息をついた。

(小声で)「貸しだからな」

「いいでしょう」



 一行は次の街が見えるところまで来た。まだ日は浅く、昼時間にさしかかる前である。


「あの街に次の神具があるのか?」アストリアの問いに、フランクは答えた。

「いや、あの街パルティアはただの通過点だ。物資調達とギルドで情報を買うために寄る。予定より遅い到着だが、ちょうど今日がクレリアの誕生日だったな。かってに祝うと良い」


 クレリアはフランクの冷たい言い方も気に留めずワクワクしていた。自分の白い息を両手にかけながら全員に話しかける。


「朝が冷えるようになってきましたね。これからもっと寒くなっていくのかなぁ」

「その通りだ。本来、冬に旅をするのは自殺行為と云われている。だがやらねばならない」とフランク。

「一度宿に向かおう。その後自由時間をとればいいだろう」そう提案したのはアルフレッドだった。


 パルティアは冒険者にも開かれた街ですんなりと入れた。自警団的なものが街の治安を守っているらしい。


 大きな街、たくさんの人……クレリアは興奮していた。

 この街でクレリアは誕生日と魂が凍りつくような事件を体験する。それにはアストリアが関わっているのだった。

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