第十二章 クレリアの罪と罰 前編

 アストリアが回復してから一行が旅立って数日が経った。

「おまえの誕生日いつ?」次の街へ向かう途中、唐突にアストリアはクレリアに尋ねた。

「ええ?……ん~」クレリアはいい淀んでいる。


「まさか、知らないとか?」

「いえ、う~ん」

「なんだよ」

「9月27日。聖歴だけど」

「なにっ、あと5日もないじゃないか!

 大変だ、次の街まで急ごう! おいアルフ、クレリアの誕生日は9月27日だってよ」

「あー、やめてよっ、恥ずかしいなぁ」

「まってろ。必ず祝ってやるからな」


 クレリアはまんざらでもない顔をした。「ちなみにあなたの誕生日は?」

「3月15日だ。帝歴だけどな」

 聖歴は大陸中央の神聖エルファリア王国で定められ、広く流布している。

 帝歴はディルムストローグ帝国が定め、大陸西部の人は帝歴を使っていた。


 年度以外の月と日にちはほぼ同じで、これは偶然ではない。新しい暦を欲しがった当時の帝王が勝手に帝歴というものを作っただけで、元旦が同じなのは当時の帝王の誕生日が聖暦の1月1日に当たるからである。


 大昔なのでそのことを知る人は少ない。また帝国でそのようなことを大きな声でいえば侮辱罪にあたった。

「こんどいくつになるんだ?」

「14歳です」

「ガキだな」

「ガルッ」クレリアはアストリアの二の腕に噛みついた!

「痛てーっ、人を噛んじゃダメだ!」

「ふん! こんど子ども扱いしたら許さないと警告したはずです。

 聞き分けのないイヌには罰が必要です。温厚で有名なクレリアさんも怒るときは怒るんです」


 クレリアは口元をハンカチで拭いた。

「どこが温厚なんだよ。レディが人に噛みつくか?」

 クレリアはなにもいわず唇をとがらせた。

 アストリアは見とれてしまった。


 くっ、こいつが唇をとがらせると最強にかわいい。


「どうしたんですか? じろじろ見て」

「……いや、なんでもない」


 フランクはふたりに鋭い眼光を向けている。殺気に近いものがあった。

 アルフレッドがフランクの隣に並んだ。

「いいじゃないか。兄妹がじゃれあってるだけだよ。

 おまえが心配するようなことは起こらないって。おまえだって誕生日を祝って欲しい人がこの世にひとりくらいいるだろ? あいつらの漫才、おれは楽しいぜ」


 フランクは否定しなかった。肯定もしなかった。彼の誕生日を祝ったこの世でただひとりの女性の存在が脳裏に浮かんだ。

 フランクはその女性の面影を思い出し、アストリアとクレリアを諫めなかった。


「甘いな、私も」

「え? なにが?」アルフレッドが訊き返すとフランクはその問いに答えず、前を歩いているクレリアたちに聞こえるように声掛けした。

「次の街までおよそ4日の距離だ」

「じゃあ間に合うぞ。良かったな、クレリア!」

「傭兵さん、わたしよりはしゃいで、恥ずかしい」


「アルフもフランクも1個ずつ誕生日プレゼントを用意しようぜ」

「おれは賛成だ」アルフレッドはあごに手をあてた。

 みんなの視線がフランクに集まった。

「いや、私はいい・・。次の街でやることがある。祝うこと自体は禁止しない」


 クレリアはやっぱりという顔でしゅんとした。

「冷てーやつだなぁ。心配すんな、お嬢さん。最高の誕生日にしてやるよ。なぁ、アストリア」

 アストリアは放心していた。


(クレリアが噛んでくれた……)


 それは変態的愛情だったかも知れない。だがクレリアの攻撃的スキンシップすらも嬉しかったのだ。

 セレナが死んだあと、9年間彼はスキンシップに飢えていた。


「アストリア?」アルフレッドがアストリアの顔を覗き込んだ。

「え?ああ。プレゼント期待してろよクレリア」

 クレリアに笑顔が戻った。「じゃあ急ぎましょうか。本当に傷は大丈夫ですか? 傭兵さん」

「ああ」

「よかった」クレリアの笑顔を見ながら不意にアストリアは過去を思い出した。



 人生最大の悲しい思い出と、人生最良の思い出は同じ日に訪れた。

 それは彼が9歳の誕生日だった。

 誕生日の夜、アストリアが入浴を済ませて風呂場からあがり、髪を拭きながらリビングに入ると信じられない光景があった。


 家族がカチャカチャと音を立てながら彼のケーキを食べていた。

「なに、してるの?」

「あなたの誕生日ケーキを食べているんです」

「どうして待ってくれなかったの?」


「お風呂が長いから。ちゃんとあなたの分は取っといてあるわよ。なに怒ってるの?どうせ好きでしょ、チョコ!」


 食べ終わった母親は口を拭いた。

「……いらない」

「どうして? あなたのケーキよ」

「いらない」

 父親がテーブルを力強くたたいた。「もういい‼ 片付けろ!」


 アストリアは自分の部屋へ駆け出した。

 一部始終を見ていたセレナはなにもいわずにアストリアのケーキを持って部屋を退出した。


 本当に悲しいとき涙は出ない。アストリアがひとりで眠れずに部屋にいると、

「コンコンコン」という声がした。


 その声の主はセレナだった。開けっ放しだった扉の所に立って、ノックするジェスチャーをしている。

「泣いてたんですか」

「泣いてないよ」

「本当に?」

「泣いてないっ」セレナのほうを振り返ったアストリアは眼に涙をためていた。それまでこらえていた想いがセレナの前で噴き出しそうだった。


(男の子が泣くのは恥ずかしいよね)


「じゃあ、泣いてないです」

 セレナはアストリアの気持ちを汲んだ。

 アストリアの気は静まり、向こうを向いて涙が流れる前に袖でふき取った。

「こっちむいて?」

「?」アストリアがセレナのほうを見ると、セレナは後ろ手に持っていた彼のケーキを見せた。


「じゃーん、持ってきちゃいましたぁ。一緒に食べましょう。わたしが食べたことは絶対内緒ですよ。それともひとりで全部食べます?」

 パアッとアストリアの表情は輝いた。


「半分こがいい!」

「フォークは一本しかありません」セレナはフォークでケーキを切り分けると、アストリアの口にはこんだ。


 それが少年時代のもっとも温かい思い出だった。2分の1のケーキは何倍分もの幸せの味がした。

 ふいに、アストリアは尋ねた。


「セレナの誕生日いつ?」

「……教えない」すこし間があってから、セレナは唇に人差し指をあてた。

「えーなんでぇ、いいじゃん」

「ふふっ秘密です」セレナは最高に優しい顔をつくり微笑んだ。

「ちぇ」


 オレはこの時のことを今でも後悔している。

……セレナは自分の誕生日を知らなかったんだ。

 彼女は幼いころオレの父親によって奴隷にされたとき、自分の誕生日がわからなくなってしまったんだ。


 なのになぜセレナは微笑んだのだろう。子どもでも殺されてもおかしくないことをオレはいってしまったのに……。それなのに彼女はすこし意地悪そうに、子どものオレをごまかした。


 もしかしてセレナは優しすぎて死んでしまったのかもしれない。

 せめていま隣にいる少女の誕生日は最高のものにしてやろう。



「クレリアのフルネームってあるか」アストリアはクレリアの顔を覗きこんだ。

「なんでそんなこと聞くの?」クレリアはアストリアを見上げた。

「その、いろいろとな。理由は訊くな」

「リンリクス。クレリア・リンリクス」

 

 リンリクス。それは銀の月という意味だった。


  後編へつづく

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