第十一章 夢か現《うつつ》か
口論はその日の夜のキャンプで起こった。
「じゃあおまえは砦の外で魔力が回復するのを待っていたんだな」アストリアは腕組をしてフランクに視線を送る。
「盗賊どもが帰って来て扉が開けられたとき作戦が失敗したことを知った。
私は死体が見つかったときの騒ぎに応じて砦を出た。見つかれば殺される。薄氷を踏む思いだった。自分の足音を消すために
フランクは眼鏡の位置を調節した。
「おれたちの会話を聞いていたんじゃないのか? 魔法でさ」アルフレッドも会話に加わった。
「そんなことが出来るわけがない。正確な座標が分かればあるいは不可能ではないが」
「なぜアゼルと一緒にいたんだ?」
「アゼルは私がつくった魔法生物だ。アゼルには私やクレリアの位置がわかる。だから私に寄って来たんだろう」
「ふーん」
「つぎの目的地まで時間がない。急ぐぞ」フランクは焚火の炎を凝視する。
「マジか? アストリア怪我人だけど」アルフレッドは火に枝をくべた。
「いや、いける」アストリアは意地を張った。
「そうでなくては困る。旅をしながら傷を治してくれ。君の代りはいないのだからな」
「鬼だな」とアルフレッド。
「なぜベルナディスを殺さなかった。私の作戦は君の戦闘力を前提にして組み立てたものだ。君ならばあの砦にいる盗賊を全員屠ることは容易かったはずだ。君の判断ミスで全滅するところだった」
「女だからだ。女を傷つけないことがセレナに対するオレの
「セレナというのは君の過去の話に出てきた女性か」
「そうだ」
「バカだよ、おまえ。いつか本当に死ぬぞ」アルフレッドが哀れみをかけた。
フランクが鋭い眼光でアストリアを睨んだ。アストリアは
「アルフレッド、クレリアと水を汲んできてくれ」
「いいよ、お嬢さん、行こう」
「………」いままで一言も口にしなかったクレリアは抗議の視線を送りながら席を立った。
ふたりがいなくなったあと、フランクは強い口調で語りだした。
「私は腹を立てている。君にだ、アストリア!」
アストリアはフランクの視線を無言で受け止めた。
「クレリアを危機に晒したな。この
「噂なんてそんなもんだ。オレが自分のことを無敵だとか、最強だとかのたまったことがあるか? おまえの作戦だってざるじゃないか」
一呼吸おいて、小さくなっていくクレリアを遠目に見てアストリアはつづけた。
「――あいつといると、弱くなる。戦士としての能力を失っていく。
それがたまらなく嬉しいんだ」
「そのうち死ぬぞ」
アストリアは答えなかった。ただ遠くを見つめていた。その顔に悲愴感はなく、瞳はつよい光を映す。
「まあいい」フランクは立ち上がった。
――利用価値があるうちはな。
「君がプロの仕事をしていないと判断したら解雇するぞ。これは警告だ」
アストリアは非難の弾丸を受け止めたが返す言葉もない。
フランクとふたりの気まずさから「クレリアはどこまでいったかな」と独り言のようにつぶやいてその場を離れた。
――強すぎる庇護欲、そして巨大な自殺願望。彼は危険だ。
フランクはアストリアの背中を見て独白した。
近くの河まで行こうとすると、水桶を持ったアルフレッドとすれ違った。
「クレリアはどうした」
「ひとりになりたいってさ」
「そうか」
「なぁ、おまえはクレリアを守れれば自分は死んでもいいって考えてるかもしれないけど、それは間違いだぞ」
アルフレッドはアストリアの想いを看破していた。
「うるせー、おまえとそんな話はしたくない」
つきあって日が浅いアルフレッドに見透かされたことはまったく面白くない。
「そうかよ、ガキだな」
「ふん」
オレはやっと守りたいものを見つけたんだ!
アルフレッドのなにかを、この物語の結末まで見通すような視線にイラつきを覚えながら川まで行くとクレリアが川辺にいた。
ちょこんと座ってアゼルに話しかけている。
「アゼル、わたしはどうすればいいの?」
「なにをどうしたいんだ」
「わっ、急に話しかけないでくださいよ。いつから⁉」
「なにも聞いてないよ。なにか悩んでるかなって」アストリアはクレリアの隣に座った。
「あなたが
「もうすでにオレの
『オレの躰には女を守ってできたキズがあるぞ!』ってな」
「でも……」クレリアはしゅんとした。
アストリアはクレリアの髪をくしゃくしゃにした。
「気にすんな気にすんな、オレが気にしてないことをおまえが気にするな。な、この話はやめにしようぜ」
「あっもう勝手に頭触って」クレリアはいつものクレリアに戻っていた。
「ははっ懐かしいなぁ、セレナともよくこうして話したんだ」
クレリアの表情は怒りのものに豹変した。
「わたし、もう帰る! アゼル行くよ!」
「え? どうしたんだクレリア、帰るってどこへ?」
「あなたのいないところ! ついてこないで!」
クレリアは後ろ姿だけでもわかるほどプンプン怒りながらアゼルと行ってしまった。
「女ってわかんねぇ」ひとり取り残されたアストリアは唖然とした。
空白の時間のあとアストリアが急いで彼女を追いかけると、クレリアは焚火のところに戻っていた。
アストリアは安堵のため息をついた。
クレリアは毛布をかぶって寝ている。
「なぁクレリア。さっきは……」
クレリアは無言でからだを反転しアストリアに背を向けた。起きていることは明白である。これ以上話しかけないほうがいい。明日もこれが続くのか……。アストリアは不安になりながら横になった。
次の日、アストリアは高熱を出してしまった。立って歩けるレベルではない。セラノが治療に使った麻酔と痛み止めがきれ、さらにアドレナリンの大量分泌で抑えられていた傷の痛みがぶり返したのだ。
「体の弱い戦士だ」フランクの皮肉もアストリアの耳に入らないほどだった。
「傭兵さん、ゴハン食べられる?」
「いまは無理だ……」アストリアは答えるのもやっとという様子だった。
「おかゆのようなものなら食えるんじゃねーか」
「そうですねアルフさん。お米に水を混ぜればいいんですかね?」
「水の量を普通より多くして炊くんだよ。お嬢さん、料理したことないのか?」
クレリアは赤面した。「恥ずかしながら……」
「できたほうがいいと思うぜ。男とか女とか関係なく」
「おっしゃる通りでございます。でもわたしは苦手なんです」
「よし、おれとおかゆをつくってみるか」
「はい!」
「やれやれ、ここで足止めだな」フランクは本を開きながらいった。
「怪我人の前で嫌味や皮肉をいうなよ」とアルフレッド。
「ふん」
「いわせてもらうけど、盗賊にもおまえより冷たいやつはいなかったぜ」
「それは君の運が良かっただけだろう」
「はっ、皮肉も通じねぇや」
「は、は」フランクとアルフレッドのやり取りにアストリアも乾いた唇で笑った。
それをみてクレリアは彼の頬を撫でた。
目の前で弱っている男性を見てクレリアの中でなにかがうずく。それは母性と呼ばれるものだった。
クレリアとアルフレッドの協力でなんとかつくったおかゆを食べるとアストリアは苦しそうに横になった。
「少し眠ったら? 傭兵さん」
「痛くて眠れないんだ」
「いつからですか」
「昨日の夜から」
「かわいそう、眠れるよう側にいてあげるからね」
アストリアは虫の息で瞼を閉じた。そして高熱の中、夢と幻の世界を行ったり来たりした。
その日の夜、アストリアは朦朧とした意識の中で眼を覚ますと、クレリアが傍に座っていて彼をのぞき込んだ。月が幻覚でぐにゃぐにゃ歪んでいる。
どうせ夢だ、いいたいことをいってやれ。
「オレが死ぬとき泣かなくてもいい。傍にいてくれ。クレリア」
アストリアは幼い少女に懇願した。
「………」夢の中のクレリアは言葉では形容できない顔をした。あえていうなら“切なくて死にそう”な顔だった。
その瞳が涙の膜で覆われていく。唇はかすかにふるえている。アストリアの手を強く握りかえし、なにもいわなかった。その感触はとても夢とは思えないほどリアリティがある。
あれ、これは夢じゃないのか?
……眠い。アストリアは心地よい眠りの世界へと入っていった。
翌朝アストリアの熱は下がり起き上がれるようになった。すると自分の側でクレリアがネコのようにからだを丸めて眠っていた。アゼルも一緒である。まるでネコの親子である。
昨日のあれは夢だったのかな? 現実だったら恥ずかしいぞ。
「なぁクレリア……」いいかけてやめた。
クレリアの寝顔はまるで天使だった。
アルフレッドにも見せてやろうか? いや、独り占めだ。
クレリアがはっと目を覚ますと目線が合う。
「……女の子の寝顔を見るなんて、エッチじゃないですか?」
「す、すまない。天使みたいだったから」
クレリアはちょっと照れた。「ヘンな人。年下の女の子に謝ってばっかり」
「はは」
「傷は痛みますか?」
「もう大丈夫だ。飛んだり跳ねたりできるよ」
クレリアは歯を見せて笑った。「よかった!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます