第十章 セラノ 後編
「ニャ~」不意にネコそっくりの泣き声がする。
「アゼル!」クレリアの声の大きさに全員に緊張が走った。「あっごめんなさい」
砦からは相変わらず壁を叩く音が続いている。
気づかれてはいないようだ。
黒猫そっくりのアゼルが茂みにいた。
「私もいるぞ」フランクもアゼルの側にかがみこんでいた。
「フランク、おまえどこにいたんだ」アストリアが驚きの声をあげた。
「そんなことよりその女たちは誰だ」
「盗賊の首領とその友達の女医さん。いろいろあっていまは敵じゃなくなった」アルフレッドが説明した。
「確認しておく。あなたたちは盗賊を辞めたんだな?」
「ああ」
「わたしはもともと盗賊じゃないわよ」
「アミュレットは手に入れたのか?」
「はい、これ」
セラノはポケットに入れていたアミュレットをまるで飴をあげるようにクレリアに渡した。
「ありがとうございます」クレリアがぺこりとお辞儀をする。
「移動しよう。話はそれからだ」
フランクの指示で全員は砦から離れることにした。
遠くまで逃げるのだろう。
盗賊たちが気づいても逃げ切れるところまで……みんなそう考えていた。
フランク以外は。
砦から200レーテ(ほぼ200メートル)離れたときフランクは立ち止った。
「ここでいい」
「どうしたんだ、フランク。もっと遠くに行かないと……」
「
フランクはゆっくり眼鏡を外した。
「フランク?」
「全員私の後ろに下がれ。
ひとつ尋ねておこう。あの砦に未練はないか」
その問いはベルナディスとセラノに向けられていた。
「ない」「ないわ」
「………。」フランクは呪文の集中に入った。
眼は紅く光っていたがアストリアたちは彼の背中を見つめることしか出来なかった。
場が静寂している。虫の鳴き声や風の音も遠慮しているようだ。
フランクが短い杖をかざした。
杖は魔法の触媒であり、魔術師なら一把は持っているものだった。
フランクの杖は特殊であり、普通の魔法使いの半分の長さもない。
普段は腰に吊るしているほどである。
またライナスは杖を持たないアークメイジ級の魔導師だった。
火球でもでるのかと思ってアストリアたちは眺めていたが、不意に視界が歪むような錯覚が起こった。
いや、それは錯覚ではない。
フランクの魔法なのだ。
不意にフランクが宣告した。
「いい忘れていた。全員伏せて眼をつむれ」
間髪入れずフランクは魔法を放った。
魔法の弾は砦に突っ込み爆発した。
まるで雷が近距離に落ちたような轟音が響いた。
それから炸裂音。爆風。
アストリアは本能的にクレリアのからだの上に覆いかぶさった。
細かい
砦の跡地に小規模のクレーターができている。
想像を絶する破壊魔法だった。
地形が変化するレベルである。
ライナスと旅をしていたアストリアでも背筋が寒くなった。
少なくとも目の前でライナスがこれほどの破壊力のある魔法を使ったことはない。
フランクはライナス以上の魔術師かもしれない。
「もういいぞ。みんな」フランクは振りかえった。
深紅の眼があらわになった。
アストリアはフランクの素顔をはじめて見た。
背は低いが端正な顔立ちである。
高い知性とうらはらに攻撃的な顔だった。
全員立ち上がるが言葉はない。
シオジンはベルナディスの腕にしがみついたまま羽をバタバタさせている。
砦は跡形もなく、それと思しき瓦礫の山があるだけだった。
「耳が、変だ」アルフレッドが耳を抑えながら口をパクパクする。
「クレリア、大丈夫か」「ええ」アストリアがどくとクレリアも起き上がった。
「アゼル、大丈夫?」
クレリアはアゼルの上に覆いかぶさっていた。
アゼルはからだをぶるぶると震わせてから一鳴きして自分は無事だと伝えた。
ベルナディスは脇汗をかいていた。
彼女は魔術を手品とたいして変わらないものだと思っていたのだ。
あの砦の中にいたら今頃は……。
「耳をふさぐよういうのを忘れてしまったな、ハハハ」
フランクが珍しく笑った。眼鏡を装着する。
「……フランク。これほどの魔法があるなら最初から使え!」
アルフレッドが食ってかかる。
「説明を聞いていなかったのか? アミュレットまで破壊したらどうする。
どうしても無傷で手に入れる必要があった。
それに私は盗賊を皆殺しにするといった。
私はいったことは100パーセント実行する」
「それにしたってもっとやりようがあったはずだ」
アストリアが不満げな視線をおくる。
「それについては後で君と話したいことがある」
「生きてる人いないわね」セラノはあっけにとられていた。
「生存者がいるとしたらあの中に行くか?」
フランクは冷たい瞳でセラノを見た。
「いや、行かないわ。
わたしはあの人たちと訣別する。
医者としては間違ってるかもしれないけど、ちょっと知識があるだけで本物の医者じゃないの」
セラノはきっぱりと答えた。
ベルナディスは言葉を失っていた。
子どもの頃から付きあいのある人間が一瞬で皆殺しにされたのだ。
セラノが近づいて肩に優しく手を触れた。
「これで良かったのよ。あなたも過去と訣別できるわ。悪い夢だったの」
「ずいぶんと長い夢だったな」
ベルナディスは自嘲した。親に捨てられてから何年たったろう。
ベルナディスの両親はこの大陸の出身ではなく、セラノも見てわかる遠い国出身の女性だった。
ベルナディスがセラノを奴隷として売りさばかなかったのは肌の色と性別にシンパシーを覚えたからだった。
「あのとき先…、セラノを売り飛ばさなくて良かった」
「そういってもらえて嬉しいわ。これからはわたしたち本当の友だちね」
「シオジン。おまえはもう自由だ。行けっ」
ベルナディスがシオジンを解き放った。シオジンは空中を旋回したあとベルナディスのもとに戻ってきた。
「友だちを見捨てるなってシオジンは怒ってるわよ。ベル。
シオジンはあなたについていきたいって」セラノはアストリアたちを見渡した。
「ここで別れましょう。わたしとベルはわたしの
「食料と水はどうする?」アルフレッドが尋ねた。
「実はね、ベルからもらったアクセサリーはひとつじゃないの。
それについてる宝石を売ればなんとかなるわ。
わたしは盗賊に協力していたけど面が割れてないからなんとかなると思う」
セラノはポケットからそれらを見せた。
準備をするなといわれてもちゃっかり自分の机の引き出しからそれらを持ち出していたのだ。主導権はベルナディスからセラノに移っていた。
「盗品を売れば足がつくぞ」フランクの視線は冷たい。
「あたしを誰だと思っている。それくらいのルートはもっている。
だが、それで本当に盗賊から足を洗うつもりだ。
ノーブル・スネイクは解散だ。
……おまえたちの旅の目的。世界を救うとか、正気とは思えないが……」
ベルナディスはクレリアとアストリアのふたりを見やった。
ベルナディスの表情は憑き物が落ちたようで、若返ったようにも見える。
「旅の幸運を祈る」
ベルナディスの言葉にその場にいる全員から笑みがこぼれた。心なしかアゼルとシオジンまで目が微笑んでいるように見える。
「クレリアちゃん」セラノはアストリアとクレリアのふたりをまじまじと見た。
「あなたたちってオオカミとネコのカップルね。
オオカミさん、クー坊を守ってあげて」
「この人はイヌです。あなたたちはメギツネとウサギですね」
クレリアはベルナディスがアストリアを拷問したことを怒っていた。
「なにっ」ベルナディスが食ってかかった。
「まぁまぁ」セラノが割ってはいり止めた。「知ってる?ウサギって……」セラノはここで次の言葉を溜めた。「……性欲強いのよ」
……なんでいまそんなこという。みんな気まずくなった。
「ふふっ、じゃあさよならね。いきましょうベル!」
セラノはベルナディスの手を引いて走り出した。
「おっおい先生!」
「セラノでしょ。あはは」
セラノとベルナディスは旅立っていった。
途中、一回だけ振り返りセラノが手を振った。
セラノとベルナディスは長い旅をすることになる。それは語るに値する物語だがアストリアたちには知る由もないのだった。
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