第三十二章 守護天使

「おまえはこれまでに女を殺したことはあるか」

 その質問にアストリアはぞっとした。


 ――セレナが生き返って自分の仇を取りに来た!


「……ある」

「これでおまえを斬る理由ができた」


 あまりのことに凍り付いていたクレリアは悪寒がした。

 アストリアはいまから死ぬかもしれない。


 アルフレッドもアストリアの馬鹿正直さにいら立ちを覚えた。


 ばか、おまえが殺したんじゃねーだろが!


「おまえが剣を抜かなくてもわたしはおまえを斬る」

 その言葉にアストリアは剣を抜いた。

 シオンはにやりとした。彼女は間合いを詰めた。


 その刹那アストリアの脳は超回転した。

 シオンがセレナの生き返りならば殺されてもいい。


 ――本当にそれでいいのか?

 クレリアとの旅がここで終わってもいいのか?

 なにもかも、これからじゃないのか?

 いま死んでどうする。

 オレは生きたい。

 生きて、心から生きていてよかったと感じてみたい。

 シオンに勝つ方法は……?


 シオンがカタナをふるう瞬間!

 なにかがアストリアの直感に囁いた。



……放して。剣を放して!



 アストリアは剣を手放した!


 シオンは相手の予想外の行動に一瞬凍結フリーズした。

 勢いづいたカタナはアストリアの右腕に食い込んだ。


 肉を切り裂いたが腱や神経に傷がつかなかったことは奇跡としかいいようがない。


 シオンがあと少しカタナを止めるのが遅ければアストリアは右腕を失っていただろう。


 アストリアはその隙に彼女の両手首を掴み地面に押し倒した。地面との激突のショックでカタナは手放された。


 卑怯な!


 シオンは自分を組み伏せているアストリアを憎しみの眼で見、つばを吐いた。


「殺せ。わたしの死体を辱めるがいい」

 精一杯の呪いの言葉を投げかける。


 だが、アストリアは捨てられた子猫を見るような眼でシオンを見た。

 そして、そっとシオンのからだからどいた。


 シオンは転がっているカタナを取り、背中を見せるアストリアを斬ろうとした。

 だが、シオンはそれをしなかった。


 こんどは彼女の直感が〝いまこの男を斬るべきではない〟と、怒りに燃える彼女を必死に説得した。


 シオンはカタナを鞘に収めた。呼吸はまだ荒いままだ。

 山間から朝日が昇ろうとしていた。陽光の浴びた彼らの顔は輝いていた。


 クレリアがアストリアにかけよった。

「ばかっ! 危ないことしちゃダメだっていったばっかりなのに!

 どうしていいわけを守らないの。えく、ひっく、寿命縮んだよ。3時間くらい」

 

 クレリアが涙でえずきながら話す。


「少ないな」

 アストリアは自分が生き残ったことが信じられない顔をした。


「減らず口ゆうな!

 はやく血を止めなきゃ、癒しの魔法はもうないんだから。

 しゃがんで、怪我した腕を高く上げて」


「こうか」アストリアはいわれたとおりにした。

 クレリアが止血帯を丁寧に巻いた。


 アルフレッドが近づいてきてアストリアの頭を叩こうとしたが彼はブロックした。


「おまえ、おれを見殺しにしようとしたな!」かなり怒っている。

「うん」彼は平然と答えた。


「うんじゃねぇ。友達を見殺しにしようとするなよ!」

「すべて計算だ。結果的に助かっただろ」


「ほんとか? まあおれは心が超広いから許すけど」

「許せる範疇を超えているような気がします」

 クレリアの言葉に三人は笑顔になった。

 

 そのやり取りを茫然と見ていたシオンはアストリアを殺さなくて正解だったような気がした。

 脳裏に導師シオメネスの言葉がよぎる。


 剣士としての力量は自分が勝っていた、という確信はある。

 それ以外のなにか・・・で負けたのだ。


 その理由を知りたいと思った。

「私たちの旅に同行しないか」

 いつの間にはフランクが近づいてきていた。


「!」

 フランクは一部始終を観察していた。彼の思惑はこうだ。


 ――シオンとアストリアの決闘でアストリアが死ねばシオンを仲間として引き入れる。

 ――アストリアがシオンを殺せばそのまま旅をつづける。


 決着がつかずふたりとも生き残ったことは自分の運がいい証拠だ。

 パーティにおける戦士の数はふたりが理想的なのは自明の理である。


 戦士が一名の場合、その戦士が死亡したときのパーティ全滅率は極めて高い。

 二名ならどうか。

 戦士がふたりいればひとりが死亡しても戦闘継続可能である。


 ここで戦士の数を増やすことができればこの旅の成功確率は飛躍的に向上する。


 そんなフランクの思惑を彼の眼鏡の上から洞察するちからは彼女にはなかった。

「……いいのか?」


「君もその男との決着がつかないのは不満だろう。

 だが私たちは旅をつづけなければならない。

 君が旅に同行するなら彼との決着をつける機会があるだろうし、決勝を棄権した理由を話す機会も設けられると思う」


「………」シオンは決めかねた。

 目の前の男の思い通りな気がした。


 クレリアが大声を出した。

「わたしは反対です!

 傭兵さんもそう思うでしょ」

 クレリアはアストリアに同意を求めた。


「オレはどうでもいいよ」

「ああん、もう!」


 クレリアとアストリアのやり取りを見ていたシオンは腰に手をあてた。


「ヨウヘイというのがおまえの本当の名前なのか?

 その子どもはおまえの子か?」


「なわけあるか! mercenaryマーセナリィ(傭兵)だよ!

 こんなでかい子どもがいるわけねーだろ」


「あーっ! 子どもっていった!

 もういわないって約束したのに! ウソツキ!」


 シオンははなで笑った。クレリアはカチンときた。


「わたしはあるカタナを探している。

 このカタナ――創竜刀――と対になるカタナ、天魔刀だ。

 天魔刀は黒塗りの刃。

 それが見つかるまではわたしも旅に同行する。

 ただし、すきなときにやめさせてもらう」


「黒塗りの刃だと……。オレたちは、黒い武器を使う暗殺団と闘っている」


「なに…? なら話は早い。

 おまえたちの旅に同行することがわたしの旅の目的を叶えるためにも近道ということだ」


「いいだろう」フランクは眼鏡に触れた。

 シオンはアストリアの目の前に立った。穏やかな陽光がふたりを祝福する。

「おまえの本当の名は?」

「アストリア」


「わたしの名は……」

「ルクシオン=イグゼクスだろ?」


 アストリアのほうから握手を求め、シオンも応えた。

 そして彼女はぐっとアストリアを引き寄せ耳元でささやいた。


「わたしの本当の名はエルトリア・パレス。

 おまえには覚えておいて欲しい」


「これからオレはおまえのことをなんと呼べばいい?」

「いままでどおりでいいさ」


「おまえの声、ある女性の声に似ている。性格はまるで違うが」

「誰だよ」

「大切な人だ」


 クレリアは目を丸くした。

 このパーティはわたしと傭兵さんの蜜月だったのに、お邪魔虫が入ってきた!

 シオンはおもむろに短刀を取り出し自らの長髪をバッサリ切った。


 彼女が手放した金色の髪は朝日を浴びてキラキラと輝きながら地面に落ちた。

「わたしなりのひとつのけじめだ」

「髪が長い方が似合ってた」


 アストリアは短髪になったシオンを見て感想をいった。

「………」

「シオン?」


 シオンはカタナに手をかけた。

「え? え?」アストリアは動揺して後ずさりした。


「そういうことははやくいえ! 斬ってやる」

 アストリアは逃げ出した。


「待て~!」シオンはカタナを振り回してアストリアを追いかけた。

「殺されるー!」アストリアは全力で逃げた。


 はたから見ると狂気の沙汰だが彼女は楽しそうだった。


 アストリアはセレナが死んだとき守護天使に見放されてしまった。


 だが、クレリアという少女と出会ったことで新しい守護天使が彼のもとにやって来たのだ。


 シオンとの決闘のときアストリアは死ぬ運命だった。

 彼に直感を与えたのは守護天使だった。

 クレリアとの出会いがアストリアの未来を変えたのである。


 シオンを加えた一行は無事に神聖エルファリアの国境を越えた。

 のこす神具はあとひとつ。

 真暗黒の剣、ヴォーリアのみである。

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