第三十一章 朝霧の決闘

「おいしそう……」

 クレリアは合流地点にある湖の水面をのぞきこんでいる。


 早朝である。

 まだ朝日は顔をだしていない。空気まで冷えきって霧が立ち込めていた。


 起きたばかりの彼女は寝ぼけまなこで水面に映る自分の顔を見た。


 クレリアは朝起きると大量の水を飲む。

 湖の水は美味しそうに見えた。


「クレリアっ! 飲んじゃダメだ!」

 アストリアは叫んだ。


 合流地点に辿り着くなり、遠目に見えたクレリアは落ちそうなくらい湖面に顔を近づけている。


 湖の水は生で飲めるものではない。

「傭兵さん!」

 アストリアの遠くからの呼びかけにクレリアの脳は覚醒した。


「どこっ⁉」

 周囲は霧がかってよく見えない。


 キョロキョロしていると重心がずれ湖に落ちそうになってしまった。

「ばかっ」


 いつの間にか後ろにいたアストリアが彼女の服の襟をつかんで引き戻した。

 すると服がはだけてしまった。


「ああんっエッチ!」

 クレリアは胸元を隠した。


「すまない、悪かった」

 アストリアは動揺した。


「なに見てんだ、後ろ向け!」

「ああ、そうだな」


 アストリアは後ろを向いた。

 彼の鼓動は脈打っていた。


 一瞬だが彼女の鎖骨がつくる美しいラインを見てしまったのだ。


「いま服の隙間からわたしのからだ見たでしょ」

「ちが…! 瞬間的に見てしまっただけだよ」


「いい訳してる!」

 クレリアは立腹した。


「クレリアを辱めるつもりはなかった。ごめんなさい」

「謝るなら許すけど」

 素直に謝罪した彼をクレリアは受け入れた。


 クレリアは服を整えながら「アルフレッドさんは?」

「いるよ。すぐ来る」


「傭兵さんは、ケガしてない?」

「ああ、かすり傷ひとつ負わなかった」


「スゴイじゃないですか。ラウニィーとかいう人は倒せたの?」

「それが、オレとあたるまえに負けちゃった」


「ええ? じゃあ傭兵さん大会に出なくていいじゃないですか」

「そうだな」


「もうこっちを向いてもいいですよ」

「クレリアは1回もオレの試合見てくれなかったよな」

 アストリアは振り向くなり苦情を申し立てた。


「だって、怖いんだもん」クレリアはそっぽをむく。

「王様に騎士にならないかって誘われたんだぜ」


「へー、それで?」

「断った。先に依頼を受けたのはクレリアの護衛だから」


 クレリアはニコニコ微笑み、背伸びをして彼の頭を撫でる。

「ちゃんとご主人様のもとに帰ってくるなんて、いいこいいこ」

「またイヌ扱いか」


 態度とは裏腹に、自分の選択が間違っていたとは思わなかった。

 クレリアの笑顔はどんな素晴らしい宝石よりも価値があるからだ。


「アストリア、いるのか?」

 霧の向こうからフランクの声が聞こえる。

 仮設テントの中で仮眠をとっていたフランクもふたりの話し声に目を覚ました。


「アルフレッド! おまえも出て来いよ」

 アストリアがアルフレッドを呼びかけると「ここだ」女の声がした。


「!」アストリアの第六感が危機を告げた。

 剣の鞘に手をかけ、声がするほうを見ると後ろから首元にカタナを当てられているアルフレッドが立っていた。


 アストリアが知る限りカタナを使う人間はひとりしか知らない。

 シオンだ!


 アルフレッドを人質にとったシオンが野獣のような眼でアストリアを睨んだ。


 場に緊張感が走る。まさかこんな再会をするとは思わなかった。

「答えろ、アスファー。なぜ決勝をすっぽかした」


「それは……、教えることは出来ない」

 アストリアはこれでもプロの傭兵である。

 守秘義務を簡単に破る人間ではなかった。


「この男を殺すぞ?」彼女の眼は殺気に満ちている。

「殺せよ。その男は人質にはならない」


 アストリアの視線は冷静で、冷気を帯びていると錯覚するほどだった。

 仲間ですら彼が本気なのか思考を読み取ることは不可能。


 スイッチが入ったときの彼は冷酷なのだ。

 シオンの全身にはところどころ包帯が巻かれている。

 ラウニィーの魔法でつけられた傷だ。


「アストリア、てめえ……」

 アルフレッドは自分を見捨てようとする男に恨みがましい言葉を吐こうとした。


 彼は11月の早朝に冷や汗をだらだらとかいた。

 アストリアは見た目より奥の深い男だ。


 普段はクレリアと漫才をしているが戦闘になると冷酷な一面を見せる。

 アストリアが本気なのか、アルフレッドにもわからなかった。


「しゃべるな」

 シオンはアルフレッドを黙らせるとアストリアの眼をじっと見た。


 ブラフか、本気か?


――だが灰色の瞳から思考を読み取ることは不可能だった。

 シオンはアルフレッドを解放した。

 そしてもう一度尋ねた。


「なぜ決勝に出なかった」

「いえない」

「いまこの場でわたしと決闘しろ」


 シオンは怒っていた。

 剣を極めるために女すら捨てた彼女が、絶対に傷つけられてはならないもの、それはプライドだった。


 アストリアが決勝に出なかったことは彼女の誇りを傷つけたのだ。

 その真偽を確かめるため彼を探した。


 盗賊でもない彼女がアストリアの居場所を探し当てることは不可能に近かった。


 だが彼女は99パーセントの執念と、1パーセントの女の勘でアークメイジのちからを借りアストリアにやっと追いついた。


「戦う理由がない」

 アストリアは平然と答えた。

「おまえはこれまでに女を殺したことはあるか」


 シオンは唐突に詰問した。

 その質問にアストリアはぞっとした。


 ――セレナが生き返って自分の仇を取りに来た!

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