エピローグ 血は水よりも濃いか? 前編
「今夜は星の配置がいい。見ろ。アルステアートとリンリクスが同時に満月だ。アストリア、君の依頼をひとつ果たせると思う」
エルファリアの国境を抜けた最初の夜のキャンプでフランクは夜空を見ながらいった。
夜空には金色の月アルステアートと銀色の月リンリクスが望月として浮かんでいる。
「どういうことだ」アストリアはフランクに問いただした。フランクは眼鏡に触れながら答えた。
「君の誕生日から逆算すると血のつながりを現す第四ハウスは冥王星なのだ。今宵は冥王星の配置がベストだ。
そして月がふたつとも満月。ほかの天体の配置も良い。これほどの好条件はいまを逃すと君が30歳になるときまでやってこない。しかも快晴。魔術の成功率の理論値が100パーセントを上回る」
アストリアもほかの仲間もチンプンカンプンという顔だった。
「すべて専門用語だ。理解できなくてかまわない」
「よくわからんが、オレは30歳まで生きるつもりない」
「私も20代のときはそう思っていたよ。私は32歳だ。戦士の死亡率は高い。君の望みは叶うかもしれないな」フランクは眼鏡に触れた。
「おれは来年30歳だぜ。おまえが30歳になるときはみんなで祝おうな」アルフレッドが冗談混じりにいった。
フランクは咳払いをした。「簡単にいうと今夜、君が旅をはじめるときに私に報酬として依頼した君の妹の生存確認をしようと思う。そのための条件がそろったのだ」
「本当か⁉」
「ふむ、ここに
「わたしたちはいないほうがいいですよね」
いままで無言だったクレリアが立ち上がり、シオンとアルフレッドも倣おうとする。
「いや、おまえたちもここにいてくれ。それでも儀式はできるよな、フランク」アストリアは静止した。
「かまわないが、本当にいいのかね?」
「ああ」
フランクは羊皮紙を拡げ図形を書きはじめた。それは魔方陣にも見えるし数式にも見える。最後に中央に紅晶を置き、虹色の小さいガラス玉のようなものをいくつか配置した。アルフレッド、シオン、クレリアも固唾を飲んで見守る。
「ではアストリア、血をこの水晶に垂らしてくれ。ほんの一滴でいい」
アストリアは左手の手袋を脱ぎ、指を浅く切った。
ぽたぽたと血が水晶に垂れると、水晶は夜の中紅光を発した。
フランクは水晶を凝視した。彼の眼も薄暗く光っている。魔法を発動したのだろう。
ガラス玉がころころ転がっていく。ぴたと止まった位置はアストリアからの親族・親等位置を表している。そしてたてつづけに音もなく割れていく。ふたつだけ残った。
「……終わったぞ。
――君の妹は死亡している。9年前、まだ赤ん坊のころだ。死亡理由は免疫不全による病死、以上だ。
君の血縁関係者で生存しているのは両親だけだ」
アストリアは無力感がしびれを伴って指先まで伝わっていくのを感じた。
――本当かと尋ね返す気力さえ湧かなかった。
クレリアはアストリアの横顔を見た。どうしてこの人ばかり過酷な運命に耐えなければいけないんだろう。この人は特別な人間でもなんでもないのに。
「君の母親についても知りたいか?」父親について確認をとらなかったのはフランクなりの思いやりである。
「いわないでくれ。あの女が生きていても死んでいてもオレにはまったく関係がないことだ」
「……そうか。気の毒だったな」
「おまえでも人を慰めることがあるんだな」
「時と場合による」
アルフレッドは終始無言でアストリアの顔を見つめた。気の毒すぎた。過去はともかく特別悪人には思えない彼は、年齢に似合わない運命を背負っている。運命の神がいるとしたら無情すぎる。
アストリアの母親への深く、静かな憎しみの感情をクレリアは女として心苦しく思う。
〝お母さんを許してあげて〟
何度も出かかった言葉をクレリアは飲み込んだ。
クレリアはアストリアに人を許せる人間になってほしい。
それはとても美しい物語だろう。だが、償いも謝罪もない相手を許せという言葉はどれだけ彼を苦しめるだろう。彼の過去を知ってしまったからこそ、親のことは絶対に触れてはいけない。
いまなにもいわないことがクレリアの精一杯の思いやりだった。
「さて、これで君の報酬は払われたわけだ。もう旅に同行する理由がないというなら離脱する権利もあるが、どうするかね?」フランクが冷笑をうかべて挑発する。
クレリアはびっくりした。
ヤダヤダーッ、こんなとこで傭兵さんと離れ離れになってたまるか!
アストリアは無言で席を立った。クレリアとシオンも立ち上がった。ふたりは目を合わせた。
「わたしが励ますの!」クレリアはシオンを睨んだ。
「わたしにもいいたいことがある」シオンはクレリアを見下ろした。
「わたしのほうが付き合いが長いんだから」
「あっ」
クレリアが先手を取りアストリアの側に寄った。
「傭兵さん……」
アストリアは悲愴を込めた表情でクレリアを見かえした。
「肩の荷が下りたよ。これで妹の面倒を見なくて済む。オレってクズだろ?」
クレリアは左手をあげた。一瞬、振り下ろそうか迷いながらもアストリアの頬を叩いた。
「自分を傷つけるのはやめなさい! 暗闇に引っぱられないで! あなたらしくないよ!」
アストリアは打たれるまま立ちつくした。アストリアは泣かなかった。かわりにクレリアが泣いていた。
「パーティを離れたりしないよね?」
「どうしてもいまはひとりになりたい」
「傭兵さんが戻らないならわたしも戻らない」
「お願いだクレリア、ひとりにしてくれ」
クレリアは拒絶の言葉にショックを受けた。いままでアストリアが彼女を拒絶したことは一度もないのだ。クレリアは打ちひしがれてアストリアから離れた。
シオンがつかつかとアストリアに近づいた。
「アストリア! 情けないぞ男のくせに」
「おまえになにがわかる!」アストリアはいら立ちをシオンにぶつけてしまった。
月明かりさえない闇夜に彼の瞳は必要以上に潤い、声はかすかに震えていた。
「わかるさ。わたしは天涯孤独だ。聞けばクレリアも親がいないそうじゃないか。
恥ずかしくないのか、親がいない女をふたりも前にして家族のことでめそめそして。
一緒に旅をしてきた仲間に〝おまえたちがオレの家族だ〟といえる器量をもて!」
「………」
「わたしのことを話そう。わたしはたしかに東方出身だ。捨てられているところを前ソードマスターである
髪の色か肌の色、あるいは瞳の色か、子どものころ親に捨てられた理由を考えたよ。
子のいない是玖珠はわたしを次のソードマスターにしようと厳しい修行をさせた。その修行は熾烈を極めた。課題をこなせないと食事抜きのすきっ腹で、眠れない夜も多かったよ。
わたしは剣の修行をしなくてもご飯を食べさせて欲しかった……!」
シオンの口調はだんだん感情的になっていった。
「年頃の女たちが紅をさし、おしゃれな服を着飾っているのを横目にわたしは剣の修行に明け暮れた。
手はタコだらけ。女の手じゃない。筋肉質で、背もそこいらの男より高かった。
ソード・マスタリーを修めるためにわたしは女を捨てたんだ、それはわたしの意志ではなかった。
ふざけるなよ⁉
是玖珠を親だとは思っていない。人生の最期に、報いを受けさせてやった。
相伝決闘で是玖珠の剣士としての人生を閉ざしたときわたしは麻薬的な快楽を覚えていた。
それから修羅の人生がはじまった。
盗賊、野党との戦い、剣客との決闘、人を斬らない日のほうが少なかった。
わたしより人を殺した人間はいないんじゃないかというくらいさ。
どんなときもいつだってわたしを救ったのはわたし自身だ!
わたしの剣だ! 頼れるものはカタナと己の技量のみ、神などいるのものか!」
色素が薄いグリーンの瞳から涙が滴った。まるで宝石が涙を流しているようだった。
「……わたしは知っているぞ。神を信じるお優しいやつらがわたしを蔑んだ眼で見たのを!
おまえにはわたしの顔がどう見える? 怪物か、それとも殺人鬼か⁉」
「泣いてる女の子に見えるよ。おまえはオレよりはマシだ、おまえの魂は気高いままじゃないか」
シオンは顔を背けた。それでも泣き顔を隠すことは出来なかった。
アストリアはつづけた。
「オレも戦争で殺しまくった。幾千、幾万と。心はすさみ、堕ちるところまで堕ちたよ。
オレに生き残った意味はないよ! でもおまえにはあるといいな」
「呆れた男だ」言葉とは裏腹にシオンの眼は潤んでいた。
闇夜だから気づかれないはずだ。この男なら、たとえ涙目に気づいても、きっとなにもいわないでくれる。
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