第六章 サンドラとアーシャ 中編

「ここにいたんですか」

 アストリアはサンドラの家からほとんど離れていない草むらに座っていた。


「クレリア、どうしたんだ」

「わたしも星を見たくなって」

「無理するなよ」


「だって、くもりの日に星を見るのは面白そう、本当に面白そう」

「ヘンなやつだ」

「あなたほどではありません」


 クレリアはアストリアの隣に座った。


 しばらくふたりは無言でくもり空を見ていた。不思議な時間だった。


 言葉はなにもないのに心の傷が癒えていく……アストリアはそう感じた。


「そういえば、サンドラさんと、なにかオレに聞こえないように話をしてなかったか」


「あれは女同士の話です。男の人は知っちゃダメです」

「ふーん」


『この人のことが好きなのかい?』と訊かれたのだ。

『ちょっと気になるかもしれない』

 そのときクレリアは小声でサンドラに答えた。


 アストリアはじっとクレリアの瞳を見つめた。


 不思議なだ。

 この年下の娘にまっすぐに瞳を見つめられると、なんだって話せてしまう。


 どんなつらいことでも、人生で一番大切な思い出すらも、耳を傾けてくれるのではないか。そんな気がする。


 クレリアの瞳の虹彩は紫がかっている。

「……なんですか?」

「おまえ……、眼が綺麗だな」

「え……」

 クレリアは真っ赤になってしまった。


「そんなに綺麗な眼をしているなら、いつか魔法を使えるようになるかもしれないぞ」


「………」

「どうした?」

「なんでもないです」

 クレリアは気恥ずかしそうに視線を逸らした。


 ぽつりぽつりと雨音がしはじめた。

「雨が降って来たな……。

 おまえだけでも戻れ」

「大丈夫です」

「いや駄目だ」


 アストリアはなかば強引にクレリアを立たせ、背中を抱く形でサンドラとアーシャの家に戻った。


 それは正解だったかもしれない。

 戻る間に雨の勢いはどんどん強くなり、ふたりはずぶぬれになった。


「この子だけでも中に入れてくれ。お願いだ」

 扉の前で大声を出すと扉が開いた。サンドラが心配して開けたのだ。


「オレは外でいい」

「傭兵さん、死んじゃいますよ」

「そうだよ、あんたも入りな」

 サンドラも心配した。


「いや、あの子に悪いから」

「もー! その人も入っていいから!

 おねーちゃん、早く入って!」

 アーシャが大きな声で訴えた。


「ごめんよ……。アーシャ」

 アストリアは剣帯ごと剣を外しサンドラに渡した。


「どこかに隠しておいてください」

「わかった。

 そんなことよりふたりとも暖炉にあたりな。

 いま風呂の準備をするよ」


 アーシャは不思議な気分だった……。


 この人はこんな顔をしてたんだ。

 どうしてわたしに謝ったんだろう。

 でもわたしは、ずっと誰かに謝ってほしかった。


 アストリアとクレリアはからだを寄せあって暖炉に当たっていた。

 夏の終わりの雨を浴びたのだ。


 そのふたりを見てサンドラは小さな声でつぶやいた。


「このふたり、心配だわ。

 片方がいなくなったらもう片方もいなくなってしまいそう……」


「え……」

 その声が聞こえていたのはアルフレッドだけだった。

 彼には意味がわからなかった。


 アゼルがいつの間にかクレリアの側にいて、暖炉の火に当たっている。

 火の粉がからだに当たりそうだった。

「アゼル、暖炉に近づきすぎだぞ」


 アストリアはアゼルを暖炉から引き離した。

「クレリア、使い魔は燃えないのか?」

 クレリアはくすっと笑った。


「燃えますよ。ほとんどネコですから。

 アゼルを心配してくれてありがとうございます」


 震えが止まったころアルフレッドが励ましの意味で皮肉をいった。

「きれいな星は見えたか? おふたりさん」

見えた・・・さ」

 アストリアは答えた。クレリアはなにもいわず微笑んだ。


「さ、風呂が沸いたよ。

 女の子のクレリアから入りな。パジャマはわたしのを貸してあげる」

 サンドラが促した。


 半刻ほどでクレリアが出てきた。

 サイズの違う寝間着を着て、まるで人形のようだ。


「次はあなたの番ですけど、わたしが美少女だからって、わたしが入ったあとのお風呂の水を飲もうとしないでくださいね」


「あたまおかしいのか。よくそんなきたないこと考えられるな」

 アストリアはいやそうな顔をした。


「きたなくない! むしろお腹の調子がよくなりますよ」

「うそをつくな!」


 サンドラ、アルフレッド、そしてフランクは閉口するくらいふたりのやり取りに呆れていたが、アーシャだけは爆笑していた。


「このおにーちゃんヘンだよぉ」

「そうでしょ」

 アーシャとクレリアはすっかり仲良しになった。


「おねーちゃんと一緒に寝たい」

 アーシャがクレリアにかけよった。

 クレリアが困った顔をするとサンドラが助け舟をだした。


「そうだね。女の子だしわたしたちと一緒の部屋で寝な」

「それがいいだろう」

 フランクも同意した。


 次はアストリアが入浴する番だった。

 ……あいつが入ったあとの風呂、なぜかドキドキする。

 あいつが変なことをいうから……。


「オレは変態じゃない……!」

 頭をぶんぶんと左右に振る。


 アストリアは自分以外誰もいないバスルームで、独り言ちた。


 アストリアは入浴中にウトウトしてしまい、長湯した。

 風呂から上がるとフランク以外は仮眠をとっていた。


 フランクは本を読んでいたが、ぱたんと本を閉じアストリアを眼鏡ごしに睨んだ。


「あまり護衛対象となれ合うな。

 君が黙ってプロの仕事をする男だと思ったから雇ったんだからな」


「………」

 アストリアは無言で歯噛みした。

「私のいいたいことはそれだけだ」

 フランクはもう一度本を開いた。


「出てきたのかい」サンドラがふらふらしながら仮眠から起きた。「じゃあわたしたちもはいろうか」


「うん。おにーちゃん、おふろ長かったね。なにしてたの?」

 アーシャもサンドラに起こされた。

「え? ナニってなにもしてないよ」

 アストリアは焦った。

「なんでもいいよ、さぁ、はいろう」とサンドラ。


 アストリアは眠気に襲われ、男性にあてがわれた部屋に入りそのまま床に横になり、気絶するように眠りに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る