第二十三章 左利きの女
まだ陽光も弱いうちにフランクたちは医者を連れてきた。看護師も一緒だった。
部屋に入ってきた医師と女性看護師にクレリアとフェイ、そしてシオンは立ち上がって礼をした。
「はやく輸血を、苦しんでます」
「待ちたまえ。拒絶反応がでたら本当に死んでしまうよ」
医師は不機嫌そうな顔で答えた。
看護師が手際よく準備をする。輸血器具を設置した。
クロスマッチテストのあと、輸血がはじまった。
フェイはアストリアの隣りのベッドに横になる。
フェイからの輸血でみるみるうちにアストリアの肌の血色が良くなっていく。
呼吸も安定する。
クレリアは安堵のため息をついた。
医者は輸血が終わるまえに看護師だけを残して帰った。
「先生はね、昔はこんな人じゃなかったのよ」
中年の女性看護師が話し出したとき視線が集まった。
「昔は大病院にいたんだけど、政治家より先に運ばれた患者の治療を優先したら、圧力をかけられて未来を閉ざされたんです。
院長の娘さんと婚約してたんだけど、婚約を破棄されてね。
あのときの自分は間違っていたって。
ズル賢く立ち回れば今頃は人生の勝利者になれたのにって」
「なんでそんなことを知っているんですか」クレリアが問う。
「病院関係者はみんな知ってるわ。酔うと必ずこの話をするのよ」
アルフレッドとフランクは会話をつづけていた。
「こんな回りくどいことしなくても転送魔法が使えるならそれで血液を輸血できたんじゃないか?」
「血管がどれだけ細いと思っているのかね。
そもそも常に流れている血を転送するのは不可能だ。川の水が転送できないようにね。
フェイの血をビーカーなどに溜めても同じことだ。血管が破裂しないように少しずつ転送できるほど魔法は万能ではない」
「ふーん」
「いま行ったのは全血輸血と呼ばれるもので副反応などのリスクは避けられない。
だが今回は仕方ないだろう」
「ずいぶん詳しいのね。そんなこと古い文献にしか載っていないわ」
看護師が驚いていた。
「目を覚まさない」クレリアが鳴き声のような声を出した。
「疲れて寝てるのよ。もう大丈夫だと思うわ」
輸血が終わり、しばらくして看護師も帰った。
「あのお医者様にどうやって頼んだんですか」
クレリアは頼りない声でマスターに質問する。
「カネだよ。病院がもうひとつ建てられるぐらいのカネを寄付した」
「えっ」
「クレリア、覚えておけ。
99パーセントの人間は善意では動かない。
カネだ。カネで動かすのだ。
人間界においてカネはちからだ! ちからはカネだ!」
「ちょっと待って!」フェイが手帳を取り出した。
「いまのセリフ、メモるから。
あなたのいまのセリフ、アレンジしてわたしの作品に使っていい?
さっすがサド眼鏡」
「だれがサド眼鏡だ!」
フランクは不愉快そうに眼鏡をただした。
「マイペースなやつ」シオンは目を細めた。
アルフレッドは目を丸くした。
「フランクがツッコミを入れた!」
「あの、ふたりだけに……。彼が目を覚ますときに傍にいてあげたいから」
クレリアが気恥ずかしそうにいう。
「あっ、わたし、お腹空いてきちゃった!
血を分けたせいね!
この宿の食堂じゃなくて、外食したいな。
それくらいいいでしょ。フランクさん。おごってよ」
フェイがわたわたとしゃべった。
「まだ話は終わってない……」
フェイがフランクの背中を押しながら部屋を出ていった。
アルフレッドも、シオンもクレリアの気持ちを察して退室した。
フェイはクレリアを振り返りウインクした。
クレリアは微笑み返し、みんなが出ていってから椅子に座った。
彼の目が覚めたらすべてを話そう。すべてを。
わたしの過去も、からだのこともすべて。
――わたしがふつうの人間じゃないってことを。
なにも隠すことがないはだかのわたしを愛してもらいたいから。
怖いけど、きっと彼は受け入れてくれる。
いままでの旅で培ってきた絆がわたしたちを繋いでくれるはずだわ……!
あれ? なかなか目覚めないな。
そういえばそろそろおむつを取り替えたほうがいいかも。
クレリアはアストリアの股間に鼻を近づけた。
「まだ臭わない」
クレリアはアストリアのズボンを脱がしにかかった。
ベルトは以前外したままだった。
「あとはパンツだけだ。わたしも手際が良くなったな」
クレリアがアストリアのトランクスを一気に下ろしタオルをめくった。
「前はよく見なかったけど、これが有名なキン○マか。
おしっこ大丈夫みたい。あんまりしないと逆に心配だなあ」
指で性器をちょんちょんとつついた。するとまた性器が勃起した。
「このコに名前を付けるとしたらムク! ムクムク大きくなるから」
下品な笑みを浮かべる。
誰かに頭をはたかれた。
「?」
クレリアはきょろきょろする。
「下品な事をいうな! エロガキめ。
人のパンツ下ろしてなにやってんだ」
その声はアストリアだった。
「目覚めたの⁉」頭を押さえて「わたしの脳細胞が死んだ! 責任取れ!」
アストリアは股間に巻き付けられていたタオルをとってクレリアに投げつけた。
「きゃっ、キタナイ!」
「傷つくだろ!」アストリアはトランクスもズボンも元に戻した。
「ここはどこだ? 狼は? 蝶は?」
「狼? 狼なんていないよ。蝶ってなんのこと?
寝ぼけてるの?」
「そうだな……、オレはなにをいってるんだ」
「ここは銀のしっぽ亭。
あなたは死にかけて、フェイさんに輸血してもらったの」
「輸血?」
「血を分けてもらうこと。嫌じゃないよね」
「どうでもいいけど。フェイってあの劇作家の……」
「そう。
あなたのために旅の予定を変更してくれたんだよ。
会ったらお礼いってね」
「風呂に入りたい」腕をあげようとして「あれ? からだがバキバキだ」
「そうだよね。
でもそのまえに少し食べたほうがいいよ。
お髭も剃ってね。見苦しいわ」
クレリアはおやつ用のバスケットからリンゴをとった。
「リンゴ食べます? 剝いてあげます」
「ありがとう」
クレリアは左手に果物ナイフを握ってリンゴを剝こうとした。
ナイフの刃先をからだの外側に向けている。
「ナイフが逆だよ、逆」
クレリアはなんのことをいわれているかわからなかった。
「わたし、左利きですよ」
「そうじゃなくて、ナイフの刃の向きが逆!
刃は自分のほうにむけるの!」
「ええ? 危なくないですか?」
「ナイフの刃を外側に向けて、手が滑ったら誰かを怪我させちゃうかも知れないだろ」
「なるほど……」
クレリアはナイフを持ち換えた。
その手つきは危なっかしい。
「危ない! 気をつけろ!」
「うっさいなぁ、横からごちゃごちゃいうなよ」
「口が悪い!」
「ハイ! できました」
クレリアが剝いたリンゴはだいぶ痩せてしまった。
剝いたはずの皮には果肉が厚く残っている。
アストリアは剝いたリンゴをあっという間に食べると、「こっちも食うか」と皮のほうもつまみながら食べてしまった。
「ああ、もう! 皮をむいた意味がないじゃない!」
「ははは、うまいよ。彼女の手料理は」
「………。」クレリアの顔は少し赤くなった。「マスターにはゼッタイ内緒だからね。わたしたちが恋人になったこと」
「ああ。オレの国にはこんな言葉がある。
左利きの女を恋人にすることは幸運なことだって」
「本当に?」
「嘘だよ。いまオレが考えた」
「嘘つき。左利きのことをどうこういわれるの
穏やかな空気がふたりの間に流れた。
お互いの眼を見つめあったあと、吹き出すように笑った。
クレリアは結局なにも話せなかった。
いおうと思っていたことを。
でもいまは、それでいいと思った。
【『左利きの女』という同名の映画がございます。その映画から今回のサブタイトルをつけました】
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