第二十四章 フランクの色眼鏡《カラーグラス》

 アルフレッドもフランクもベッドの上で起き上がっているアストリアに驚いた。


「おまえってさぁ、不死身なんじゃないの?

 よく生きてるなぁ」

 アルフレッドがリンゴを手の上でもてあそびながら、ふいにアストリアに向かって投げつけた!


 アストリアは反射的に怪我をしている右腕でリンゴを受け止めた。

 傷口に衝撃が走る。


「痛ってぇ、なにすんだよ!」

「よかったな、右腕の腱も神経も無事だ。

 腱や神経が傷ついていたらいまのリンゴは受け取れなかったはずだ」


「傭兵さん……!」クレリアはアストリアに抱きついた。

「痛いって! クレリア」

「よかったぁ……」


 クレリアは床にぺたんとしゃがみこんで洟をすすった。

「クレリアちゃん、やったね!」


 輸血協力者のフェイは胸元に垂らした髪先を指先でもてあそぶ。

 この仕草は彼女の癖である。


「参考までに聞いておきたいのだが、なにか夢とか幻を見たかね。誰かが迎えに来るとか」


 フランクが薄ら笑いを浮かべ、挑発に等しい問いを死の世界から生還したばかりの男に投げかける。


「おまえいつもその質問するな。なにも覚えてないよ。

 意識がないんだから夢とか幻とか見るわけないだろ。――それに……」


「それに?」

「迎えに来てくれるのを待っているようじゃダメなんだ……!」


 アストリアは冥界シュピーゲルエルデでのことを全く覚えていなかった。


 クレリアはその言葉の真意に乙女心をくすぐられる。

 彼は暗黒の過去と訣別して少しずつ光射す未来へ歩みを進めている。


 その隣りにわたしがいられたら……!

 彼のちからになりたい!


「あー、なんか腹減ったなぁ」

「食えば? そのリンゴ」


「リンゴはさっき食った。

 みんなが出かけてる間に風呂も入った。

 なんか血が足りないような気がする。

 リンゴひとつじゃ足りないよ」


「気がするんじゃなくて本当に足りないんだよ。

 待ってろ、宿の調理場を借りてなんかつくってやる。

 あとそうだ、医者に意識が戻ったことも伝えないと」

 アルフレッドが部屋を出ていくとクレリアがはじけるように話す。


「聞いて!

 マスターったらひどいんだよ。

 傭兵さんのこと見捨てて旅を続けようっていって、わたしのこと泣かしたの!

 そのあと気が変わったからやっぱり助けるって」


「へえ……」

 アストリアはゆっくりと視線をフランクに合わせる。

 色眼鏡カラーグラスを貫通する殺気と意思を宿して。


「おまえにはたくさん借りがある。そろそろ返してもいいころだ」

 リンゴを置く。その動作の、必要以上の鈍重さがフランクの心臓を射抜いた。


 アストリアはゆっくりと立ち上がりパキパキと指を鳴らした。


 殺人者マーダーの眼でフランクを見る。

 彼は暗黒傭兵部隊不死鬼ふしきの四番隊隊長の過去があるのだ。


 フランクは唾を呑んだ。

 アストリアは戦争で人を殺している。


 彼が関わった戦争の戦死者は400万人超。

 いきがっているだけの若者とは凄みがケタ違いである。


 空間を呑みこむほどの殺意に動じないのはソードマスターのシオンだけである。

 シオンは腕組みをして事の成り行きを見守っている。


「なにをする気だ」

 フランクは後ずさりした。

 最上級魔術師ウィザードの彼が視線だけで気圧けおされたのは人生で初めてだった。

「一発殴らせろ」


「だめよ。暴力は。そんなことのために助けたんじゃない」

 フェイの制止をアストリアは優しく退けた。


「借りは返さなくてはならないんだ。恩には恩を。あだには仇を」


 フランクが腰の魔杖に手を伸ばす。

「おっと、魔法を使うそぶりをわずかでも見せれば2発ぶち込むぜ。

 逃げても躱しても当てる。

 顔が陥没する覚悟はいいか?

 おまえにできることは祈ることだけだ」


 フランクが言葉を選ぶ間さえ与えずアストリアは踏み込んだ。


「やめろッ!」


 フランクは両腕で顔を守りながら叫んだ。


 ……恐怖から閉じた瞳を恐る恐る開けると、アストリアのこぶしが眼前で寸止めされ、フランクの色眼鏡カラーグラスを外した。


 アストリアはフランクの紅瞳を見た。

 灰色の瞳が、紅い瞳を見つめる。


「オレをなめるな。

 ひとつ忠告しておく。

 人を見下していると、いつかその相手に殺されるぞ。

 これで貸し借りなしだ」


 アストリアの瞳に殺気はなかった。

 はじめから殴る気などなかったのだ。


 そしてフランクの手元に眼鏡を渡す。


 フランク・マクマナス人生最大の屈辱であった。

 仲間のいのちを軽んじてきたつけ・・を恥辱というかたちで払わせられたのである。


 背中を見せたアストリアに魔法の攻撃をくらわすことは可能である。


 だがそれをしたら自らの狭量を証明してしまう。

 フランクの自尊心プライドに対する挑発と計算を込めた心理戦は、アストリアの完全勝利だった。


 侮れない男だ。普段の様子からは想像もできない。

 フランクは血がにじむほどこぶしを握りこんだ。


「わたしは傭兵さんが殴らないって、信じてたよ」

「そうか、そうか。クー坊は賢いな」


 アストリアがクレリアの頭を撫でると、彼女はアストリアの背中越しにフランクに向けてベロをだした。


「くっ」

 這いつくばりはしなかったが仲間を見捨てようとしたことを後悔せざるを得ない。


『助けるなら助ける、見捨てるなら見捨てる』


 それが正解であって途中で考えを改めたことが間違いだったのだ。


「あとで今後の旅について話がある」

 フランクは吐き捨てると退室した。


 部屋にはアストリアとクレリア、そしてフェイとシオンだけになった。


「フェイ、握手してくれないか」

 アストリアからいのちの恩人に対して手を差し出した。


「いいけど。

 あなたってよくわからない人ですね。

 さっきは絶対殴ると思いました」

 フェイはアストリアと握手を交わした。


「おかげで助かった。オレは女運だけはいいらしい」

「そうよね。

 こんな美人三人に囲まれてるなんて、この部屋はあなたのハーレムです。

 怪我人だから特別よ」

 フェイが腕を組むと豊満な乳房が肘から先に乗っかって強調される。


 アストリアは一瞬、凝視してしまう。


「いま、おっぱい見てた!

 サイテー!

 わたしのおっぱいを見ればいいのに。ほら!」

 クレリアが服の上から諸手でバストアップする。


「クレリアちゃん……、はしたないわ」


「あんた面白い人だな。

 クレリアにユーモアを教えてやってくれ。

 こいつ、センスないんだ」


「アアン⁉

 いまの発言を見過ごせません!

 10万年にひとりのユーモアセンスを持ってるわたしに向かって破廉恥な!」


「面白いわ。クレリアちゃん!

 いまの面白かった。わたしのツボだった」

 フェイは口元を抑えた。

「そうでしょう、そうでしょう。

 わたしのセンスの良さわかってくれるのはフェイさんだけですよ」


「なぁ、クレリア。

 和解しないか。

 誤解ではあったけれど、誤解させる状況をつくったことはわたしにも非がある」

 シオンが頭をかきながらクレリアに視線を送る。


「そのことはオレも同罪だ」

「おまえは黙ってろ」


 アストリアはいわれた通り黙った。

 いまなにか発言をしたらその場にいる女性全員を敵に回してしまうだろう。

 その場に漂う緊張感はただものではなかった。


「一発殴らせてください」

 クレリアは自分より背の高いシオンを見据えた。

「お、おい……」

 アストリアの小さい声を女性たちは無視した。

「いいだろう」

 シオンは目をつむった。


 クレリアは少し背伸びして左手をシオンの頬に添えた。


「はい、殴りました!

 これで貸し借りなしです。

 わたしのことも叩いていいですよ」


 シオンはクレリアの頭に手を置いた。

「大人は子どもを叩かないんだよ。

 わたしはそういう生き方をしたいと思っている」

 そういって握手を求める。


「左利きのおまえには左手で握手をしたほうがいいのかな」

「そんなことはありません」


 クレリアは右手を差し出した。ふたりは和解の握手をした。


「金髪あばずれイヌドロボウといったことを謝ります」

「繰り返されるほうがこたえるんだよ」


「あなたたち、良いコね」

 フェイが胸元に垂らした髪をもてあそぶ。


 その時ノックの音が聴こえた。

 アルフレッドが鍋を持って入ってきた。


「おかゆだぞ。アストリア。食え!」

 アルフレッドがつくったおかゆはうまかった。

 胃に優しい食事をからだが求めている。


「眠くなってきた」

 食事を終えるとからだが睡眠を求めるサインを出した。


「寝ろ寝ろ」

「ああ」アストリアはベッドに横たわるとすぐに眠った。


 クレリアはアストリアを振り返った。


 ――左利きの女を恋人にすることは幸運か。

 嬉しいこといってくれるじゃない。

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