第十七章 死の天使

 出血多量で死にかけたアストリアは冥界鏡の野シュピーゲルエルデに導かれた。


 すべてが黄金の草原、冥界シュピーゲルエルデにおいてアストリアの前に現れたひとりの少女。


 シュピーリアは死神グリム・リーパーの化身。

 死神の鎌は家庭菜園サイズで腰に吊るしている。


 それは神々の持ち物であり魂を刈り取るちからを持っている。


「わたしの名前はシュピーリア・エルデ・フォン・デム・ナーゲル。

 あなたたちの言葉でいうところの死神ね。

 わたしのことを死の天使と呼ぶものもいるわ。

 そのほうが気に入ってる」


「長い名前だな」

「うるさいわね。あなた、チケット持ってないでしょ」

「うん」


「そういう人は天国にも地獄にも居場所がないの。

 悪霊にならないよう、いのちを刈り取って眠ってもらう」


「そうなんだ」アストリアは彼女の瞳をまっすぐに見る。


「そうなんだって、あなた怖くないの?

 ヘンな子どもね。まーわたしも鬼じゃないから。死神だけど」

 彼女はくすくすと笑った。


「いちおう魂を照会してあげるわ。 

 天国と地獄、どっちに行きたい?」


 シュピーリアはいたずらをする子どものように微笑んだ。

 こう見えて齢900年は超えている死神である。


「天国とか地獄とか本気でいってるやつはバカだよ」

 アストリア少年は答えた。

「生意気な子どもね。まるで本当の地獄を知っているみたい」


 シュピーリアは羅針盤のようなものを取り出した。

 それは紛れもなく因果律測定羅針盤だった。


 フランクが開発したものではない。

 フランクが開発したものよりはるかに正確でまた小型のものである。


 紛れもない神具アトリビュートである。

 フランクは魂に属性やカルマがあると考え、因果律測定羅針盤を開発した。

 完成まで8年かかった。


 因果律測定羅針盤は本来神しか所有してはならない神具だったのだ。


「どれ」

 アストリアに向けると針が狂ったように回りだした。


「うそっ! この数値、針が壊れてる?

 そんなはずは……。

 隠しスキルがふたつもある。寵愛と加護。

 どの神様から祝福を受けているのか?

 あなた、何者なの?」


 アストリア少年はぽかんとシュピーリアを見つめるだけだった。

「カルマも普通の人生でこんな値が出るわけがないわ。

 戦争に行ったってこんな値は出ない。

 カルマがこんなにマイナスなのに属性は中立ニュートラル

 運の値255ってどういうこと⁉」


 シュピーリアの持っている因果律測定羅針盤はフランクのものより性能が良い。

 フランクが測定できなかった運の値も明らかになった。


 彼女はらしくもない冷や汗をかいている。

 それほどまでに異常な値であった。


「このクソガキが聖人や英霊なわけはないし、タイムトラベラーかしら?

 いや違う。

 なんども死にかけて、そのたびに生き返っている・・・・・・・

 癒しの魔法は百年まえに消失したはずなのに!

 違法転生者?

 この子にそんな術が使えるとは思えない……」


 『違法転生者』とは、高度な魔法術式によって魂を不死化し、記憶を維持したまま肉体を転生して生きるものである。

 紛うことなき神敵である。


「記憶を覗いてみようかしら。それで隠しスキルの正体もわかるはず」

 魂の記憶を映す神具水霊鏡を取り出す。


 そのとき、どこからともなく灰色の大きな狼が現れた。毛並みが神々しく輝いている。


 狼は人語をしゃべった。女性の声だった。

「水霊鏡を使うのはやめておけ。伝令にきた。

 その子の魂を直視すると・・・・・神格に影響が出てしまう。

 伝令だ。そのもののいのちを刈り取ってはならん」


「神格に影響って。

 この子はいったい何者なのですか。

 神格に影響があるほど邪悪な存在にも思えませんけれど」


「そのものは大きな運命を持っておる。

 かつてはこの世界の破壊者になろうとした。

 そして未来ではこの世界の救済者になるやもしれん」


「わたしは反対です!

 このものには違法転生者の疑いがあります!

 裁判にかけなくては!」


「そのものは違法転生者ではない。

 わずかな魔力も感じないだろう。ひとりの人間だ」


「………。」シュピーリアは口をへの字にした。

 その通りだった。彼は魔力も持っておらず、魔法が使えるわけはない。


「だからといってわれわれ神が、ひとりの人間をえこひいきするべきではありません。

 死は平等であるべきです。

 この子だけ生き返らせるんですか⁉」


 狼はじっとシュピーリアを見つめた。


「死は平等であるべきだが、公平でないのもまた事実。

 そのものが正しき道を選ぶか、みずからの暗黒に呑まれるか、審議は終わっていない」


「審議って、なんのですか⁉」シュピーリアはヒステリックに叫んだ。

「それを語ることはできない」狼は含みをもって話した。


「よくわからないけど、ボクを特別扱いするのはやめてほしい。

 彼女のいうことはもっともだ」

 アストリア少年は会話に割って入った。


「おお。その物言い、あの方・・・から聞いていた通りだ。

 いいでしょう。

 わたしたちは二度とあなたを助けません」

 狼は喜びの声をあげた。


「せめて、その伝令が誰からのものであるか教えてください」

 シュピーリアは不満げに腕を組んだ。

「………。」

 狼がなにをいったのかアストリアには聞こえなかった。


「うそ……? あのお方・・がこの少年を眼にかけているのですか」

 シュピーリアは驚愕した。


「ねぇ、いまなんていったの?」アストリアがシュピーリアに問いかける。

「神の真名まなは人間には知覚できないのよ」


「なにいってるかぜんぜんわかんないよ」

「わからなくていいわよ」


「知りたい」アストリアはシュピーリアの服を引っ張った。

「ああもう! 服を引っ張るな!

 あなた、もう帰っていいわ」


「どこへ?」

「知らないわよ」


 狼がアストリアの前まで歩いてきた。「私が案内しよう」

「ありがとう」アストリアはシュピーリアのほうを振り向き、「また会える?」


「会えるわよ。

 人間の寿命なんてあっという間だし。

 お近づきの証にジュースあげよう。いま飲んで」

 シュピーリアはペットボトルをアストリアに差し出した。


「ありがとう」

 アストリアはゴクゴクとジュースを飲んだ。


「碧い羽根をした蝶はあなたの守り神。

 わたしたちはその蝶を通じてあなたに導きを与える。

 忘れないように」


 狼の言葉をアストリアは夢うつつに聞いていた。

 先ほど飲んだ神酒ネクタルのせいだった。


 それはここでの出来事を忘れるためのものだった。

 アストリアの肉体はベッドで眠っている。


 肉体と魂の記憶に矛盾が生じないように、鏡の野から現世に戻る魂には飲ませる決まりなのだ。


「さあ行こう。わたしについてきなさい」狼が先導する。「わたしはあるお方からあなたのことをいつも聞かされていました」


「そのひとはだれ?」

「そのお方は……」

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